めんどり聖書研究会


めんどり通信/2017年4月23日(日曜日)主が復活された記念すべき日曜日です!ハレルヤ!
<「信仰」の継承や良い影響についての思考>


★新約聖書 ペテロの手紙 第一 3:9
   悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなた
   がたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。
 
★新約聖書 ヨハネによる福音書 15:16
   あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そし
   て、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも
   残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父
   が与えて下さるためである。
 
●聖書の登場人物は多くいるが、その中でも「神の祝福」「信仰」の継承という視点で見ると
き、なかなかスムーズに継承されていないという場合が多いように思われる。 神のために、す
ばらしい働きをしても単発的という場合が多い。 次世代に「神の祝福」「信仰」を継承させ
ることに成功しているケースが案外、少ないようにも思われる。 旧約聖書の箴言17:6には
「孫は老人の冠である、父は子の栄えである。」とある。 神は、信仰の継承を自分から数えて
三世代までは、責任を持つべきだと我々に語っておられるように思える。 とは言え、なかなか
難しいのが事実であり、現状であろう。
 
アブラハムの場合。 アブラハムは「神の救いの担い手」、「神の祝福の担い手」として選ばれ
た。 それで神は、アブラハムに訓練や試練を与え、絶えずアブラハムを導きながら、彼の「信
仰」「霊」を成長させ、鍛え上げて、その子イサクに「神の祝福」を継承させた。 アブラハム
は、一つ一つの神の導きに従った。 時には、肉の考えや決断により大失敗をしながらも主を
知ること、主と親しく一対一の交わりをすること取り組み、ただ「信仰によって生きた」。(ガラ
テヤ3:7-11) だから「信仰の父」と呼ばれるだけでなく、神から「神の友」と呼ばれるまでに
なった。(へブル11章、イザヤ41:8) 「信仰の父」と呼ばれるアブラハムから、「信仰」の継承
が始まった。 サラも「サライ」から「サラ」に改名されて、神の御前でアブラハムと一体になり、
アブラハムとともに神の御前で歩んで行った。 
 
本来は、アダムとエバから「神の祝福」は継承されていくべきであった。 人間は、すべての被
造物を支配するために創造されたのだから。 しかし、罪を犯してから、それができなくなっ
た。 それで、神はノアの洪水によって、それまでのすべてのものを滅ぼして、リセットしたが、
それでもまた、人間の内にある罪の力は強くなっていき、神に背き、神に対抗するまでになっ
た。 「バベルの塔」は、神への反逆行為であった。 それで、忍耐の神は、再びご自身の祝福
を継承させるため、ご自身のご計画を遂行されるために、アブラハムを選ばれたのである。 
 
イサクの場合。 イサクは、妻リベカの助けにより、「兄が弟に仕える」という神のことば通り
に、その子ヤコブに「神の祝福」を継承させた。(めんどり通信/2017年3月12日参照) 
 
ヤコブの場合。 神が直接 介入された場面が多い。 ヤコブは最期のとき、力を振り絞って
床の上にすわり、12人一人一人に、ことば(預言)を語った。 12人のうち、ヨセフには、「祝福」
ということばが多く使われており、ユダには「王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間
を離れることはない。ついにはシロが来て、国々の民は彼に従う。(創世記49:10)」と、後にユ
ダ族から、イエス・キリストが来られることが預言されている。
 
神は、モーセに「わたしは、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。(出エジプト3:
6)」と名乗られたが、「神の祝福」や「信仰」の継承は、確実に、アブラハム、イサク、ヤコブま
では、神が「良し」とされたということである。 もちろん、イスラエルの歴史を見ていくと、長子
の権威は、ヤコブからヨセフへ、その後レビ族のモーセへ、エフライム族のヨシュアへ・・・ユダ
族のダビデ、ソロモンへ、・・・そしてイエス・キリストにまでつながっている。 また、イエスの系
においても、アブラハムからイサクへ、イサクからヤコブへ、ユダへ、・・・・ダビデへ、ソロモ
ンへ・・・マリヤの夫ヨセフへ、そしてイエス・キリストにまでつながっている。(マタイ1:1-16)
 
また、アブラハムの妻サラ、イサクの妻リベカ、ヤコブの妻ラケルレア。 彼女たちの「信仰」
は、それぞれの子どもたちに、何らかのかたちで「良い」影響を与えている。(サラについて:め
んどり通信/2017年1月22日/1月29日/2月5日参照。 ラケルについて:/2017年4月2日
照。) ラケルの場合は、わかりづらいかもしれないが、ラケルの子ヨセフは、長子の権威を受
け継ぎ、神の救いのご計画を担う立役者となった。 もちろん、主がヨセフを選ばれ、主ととも
におられたからではあるが、母親のラケルが何らか、ヨセフの「信仰」に「良い」影響を与えたこ
とは推測できる。
リベカ「信仰」は、祖母「ミルカ」の良い影響が強かったと推測できる。(リベカについ
て:/2017年3月12日参照。) アダムとエバの子カインとアベルの人類最初の殺人が兄弟間で
行なわれたが、これは、アダムとエバ、特に母親のエバの育て方の失敗が大きいように思わ
れる。 リベカは、その失敗を繰り返さず、むしろ、エサウとヤコブを引き離して二人とも救っ
た。(めんどり通信/2017年3月12日参照)
 
新約聖書に登場するテモテも信仰」は、祖母ロイス母ユニケから受け継いだものであると
書かれている。 祖母ロイスと母ユニケは、テモテの「信仰」に「良い」影響を与えたのである。
(Uテモテ1:5)
 
イエスの系図に出てくる四人の女は、@タマル(アラム人かカナン人)、Aラハブ(カナン人)、
Bルツ(モアブ人)、Cウリヤの妻(バテ・シェバのこと:ヘテ人)である。 四人の共通点は、
「女」であること「異邦人」であること、「いわくつき」であることだ。(めんどり通信/2014年12月
7日参照) しかし、ユダとタマルの子ベレツから途切れることなくサルモンに続いた。 サルモ
ンはラハブと結婚してボアズを生んだ。(ラハブについて:めんどり通信/2017年4月16日参照)
 ラハブは母親として、子ボアズに何らかのかたちで「良い」影響を与えたと推測できる。ボア
ズは、ルツと結婚した。 ボアズとルツの子オベデ、エッサイ、ダビデへと続く。 ルツルツ記

を読むなら、子オベデに何らかのかたちで「良い」影響を与えたと推測できる。
  
モーセの場合。 「モーセの母親」については、旧約聖書で数行しか書かれていないが、エジプ
トの王女に引き渡すまで、そして、引き渡した後も祈りでもってモーセの「信仰」に「良き」影響
を与えていると推測できる。(出エジプト2:1-3、2:7-10) また、姉のミリヤムも同様である。
(めんどり通信/2016年10月30日参照) 
 
サムエルの母親ハンナの場合。  エルカナの妻ハンナは、子どもがなく、エルカナのもうひとり
の妻ペニンナには子どもがあった。 ペニンナは、ひどく彼女を悩まして、主がその胎を閉ざさ
れたことを恨ませようとした。 それで、「はしために男の子を賜わりますなら、わたしはその子
を一生のあいだ主にささげます。」と誓願を立てた祈りをした。 主がその祈りを聞いてくださ
り、誓願はその通り果たされた。 ハンナは、ようやく与えられた子どもと離れ離れに暮らすこ
とを悲しんでいない。 むしろ、主なる神に感謝し褒め称えている。(Tサムエル記2章めんど
り通信/2012年9月9日参照) ハンナが息子サムエルに与えた「信仰」の「良い」影響は、サム
エルがハンナの胎の中にいるときからだったであろう。 
 
その他、優秀な祭司であったエリの場合は、2人の息子の「信仰」の継承や良い影響を与える
のに失敗している。(Tサムエル記2章めんどり通信/2014年7月6日。<親の責任、子の責
任についての思考:祭司エリから>参照) サムエルさえも2人の息子の子育てに失敗してい
る。(Tサムエル8:1-3) ただ、サムエルは、子どもには「信仰」を継承できなかったが、ダビ
デを見つけ出す大いなる神の働きをした。 もしかしたら、サムエルの場合は、エリのように神
からの指摘がなかったので、子どもの方に問題があったのかもしれない。(Tサムエル3:13) 
 
その他、主に仕え、大いに主の働きをした聖書の登場人物の多くは、一世代限りの「信仰」
で、「信仰」の継承や良い影響与えて、次世代につないだということが見えてこない。 
 
尚、アブラハムやダビデの場合は「誰かの良い影響を受けた」とか「誰かの信仰を受け継い
だ」ということは見受けられない。 神が直接、彼らを選び召し出されて、主が直接、彼らに語ら
れ導いておられた。 だから、アブラハムは「神の友」と呼ばれ、ダビデは「神に愛され、神を愛
した人」と呼ばれた。 
 
このようにしてみると、三世代まで「信仰」の継承や良い影響を与えることは、なかなか難しい
ものである。 信仰の継承や良い影響を与えること「神の選び」と「神の召し」が大きな要因
となっているように思える。 結局、神が、選び召し出された人に介入されて、神が、ご自身の
ご計画を進められたということである。 よく見てみると 聖書の登場人物は、圧倒的に男性が
多い。 女性はわずかである。 しかし、上記を見てみると、案外、女性が影響を与えている。 
女の存在が大きいことがわかる。 
 
いずれにしても、「信仰」や良い影響を、次世代につなぐためには、まず、自分が日々の生活、
普通の生活をしている中で、いつも「キリストと自分が一つになっていること」、「キリストにつな
がり続けること」が、根本に据えられるように、そのことに取り組んでいくことである。 そうする
なら、主がみこころを示し、教え、導いてくださるであろう。 
 
★新約聖書 テモテの手紙 第二 1:5
   また、あなたがいだいている偽りのない信仰を思い起している。この信仰は、まずあなた
   (テモテ)の祖母ロイスとあなたの母ユニケとに宿ったものであったが、今あなたにも宿っ
   ていると、わたしは確信している。
 




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