めんどり聖書研究会


めんどり通信/2017年4月30日(日曜日)主が復活された記念すべき日曜日です!ハレルヤ!
<「迫害」についての思考>


★新約聖書 テモテへの手紙 第二 3:12
   いったい、キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな、迫害を受ける。
 
★新約聖書 マタイによる福音書 5:11
   わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々
   の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。
 
★新約聖書 マルコによる福音書 4:14〜20
   種まきは御言をまくのである。道ばたに御言がまかれたとは、こういう人たちのことであ
   る。すなわち、御言を聞くと、すぐにサタンがきて、彼らの中にまかれた御言を、奪って行
   くのである。同じように、石地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞
   くと、すぐに喜んで受けるが、自分の中に根がないので、しばらく続くだけである。そのの
   ち、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。
 
   また、いばらの中にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞くが、世の
   心づかいと、富の惑わしと、その他いろいろな欲とがはいってきて、御言をふさぐので、実
   を結ばなくなる。また、良い地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を
   聞いて受けいれ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶのである」。
 
●キリストを信じた後、その「信仰」を貫こうとするとき、家族や親族から反対される者も多い。 
ただ、反対されるだけでなく、「迫害」と言えるほどの反対を受ける者もいる。 この「迫害」につ
いて思考してみる。 イエス・キリストが誕生というかたちで、この地上に来てくださり、人を救う
ために十字架にかけられ、死なれた。 しかし、3日目に復活された。 復活された主イエス
は、12弟子たちや多くの弟子たちの前に現われてくださり、「ことば」を語られた。 そして復活
後40日経って、彼らの目の前で、オリーブ山から昇天された。 弟子たちは、その見たこと聞
いたことを多くの国々、多くの人々に伝えていった。
 
ところが、彼らは行く先々で、「イエス・キリストの十字架の死と復活」を証言した時、受け入れ
られないばかりか「迫害」を受けて多くのキリスト者たちが「殉教」していった。 イエスの12弟子
のうち11人も殉教している。 イスカリオテのユダの後12弟子に加えられたマッテヤも悲惨な死
に方をしているようである。 ステパノの殉教は使徒行伝7章に記されている。 「イエス・キリス
トの十字架の死と復活」の後2世紀まで、「主イエス・キリストとキリストのことば」は、停滞するこ
となく成長していった。 聖書以外にも殉教者たちのことが記されている様々な文書が残ってい
ると聞いたことがある。 記録の中に書かれた目撃者たちの「信仰」「歴史的出来事(事実)」
は、「キリスト信仰の真髄」と言えるだろう。 彼らはみな、「キリストの十字架の死と復活」を伝
えて「迫害」を受け「殉教」したのだから。
 
世界のキリスト教の歴史を見ると、いろいろ問題があったようだ。 キリスト教が、テオドシウス
帝により国教化された(392年)頃から、だんだんキリスト教も変わってきたように思う。 日本
の場合、16世紀にはすでに伝えられていた。 1549年にスペインからフランシスコ・ザビエルが
布教活動にやってきた。 力によって統一政権をもたらした豊臣秀吉と徳川家康は、キリスト
教団の存在を危険とみなして、徹底的な排除へとむかった。 カトリックの宣教師たちが日本
にやって来ると、日本国内には約30万人ほどがキリストを受け入れたという。 
 
1587年にバテレン追放令(豊臣政権)、1613年にキリスト教禁教令(徳川政権)を発布。 徳川
政権によって、カトリック国であるスペインとポルトガルとの国交を断絶し、海外との通交を断っ
た。 キリスト教の教えを広めるつもりのないプロテスタントの国であるオランダ一国にしぼり通
交を続けたという。 「5人組」「踏み絵」「宗門改め」「檀家制度」などによる徳川政権の徹底し
「キリスト教排除」は成功した。 「檀家制度」:すべての日本人はどこかの仏教寺に所属
する檀家であることを義務づけた定め。 人々は檀家寺が発行する身分証明書がなければ、
何もすることができなかった。(寺請制度) 「宗門改」:キリシタンを弾圧するため各人所属
の宗教を検査した制度。
 
このところから見れば、何故そこまでやるのか、秀吉も徳川政権も悪魔が利用していたのか、
などと教会やキリスト者(クリスチャン)たちは考えるかもしれない。 確かに、そういう部分は
あったと思う。 しかし、外国から布教という名目できた人たちの目的が、日本をキリスト教化
すること、その後で、軍隊などを送り込んで来て、「正義」「キリスト」の名の下に日本を制圧しよ
うとしたところがあったようだ。 植民地化である。 豊臣、徳川政権など当時の支配者たち
は、そのように見ていたと思われる。 だからと言って、当時の支配者たちが正しかったのかと
言えば、そうでもないが。 ただ、日本はポルトガルかスペインの植民地になることを避けられ
たという意見も多いし、実際、日本はどこの国の植民地にもならなかったという事実はある。 
また、布教で来た宣教師たち、キリスト者たちの皆が皆、間違っていたわけでもないと思う。 
政治や権力、支配とは無縁で、ただただ主の心を心として、真剣に、キリストを伝えて人々が
救われてほしいと願って布教に来た人もいたであろう。
 
しかし、そうは言っても、世界の歴史を見ると、「キリスト」の旗を掲げて、神なる主が望んでお
られない やり方をもって、国や民族、人を支配しようとしてきた歴史的事実がある。 「キリス
ト」「キリスト教」「唯一神」「イエス・キリスト」「全能の神」「聖霊」・・と、そういう旗、名を掲げて
「暴力」を使った歴史的事実がある。 「イエス・キリスト」「主のために」「主のみこころ」と旗を
掲げれば、すべて正しいことを行なっているとは言えない。 今日でもキリスト教会」だからと
言って、すべて神が「良し」とされているのではない、と著者は思っている。 「サタンも光の天
使に擬装する」からだ。(Uコリント11:14)
 
明治時代になると、厳しかったキリスト教禁教令は解け、各国から宣教師がやってきて、キリス
ト教系のミッション・スクールが全国に多く作られた。 しかし、約3百年もの間続いた全国的な
反キリスト教政策は、日本人の心に、キリスト教は危険である、キリスト教は外国の宗教、・・な
ど反キリスト教感情が刻み込まれていた。 キリシタン迫害のためには仏教が利用されたが、
世の中が戦争の様相を帯びてくると、今度は、神仏分離令が出され、仏教は排斥され、神道
が利用された。 太平洋戦争前、キリスト教は、国家神道体制のもとで、布教には大きく制限
が加えられた。 「神仏分離令」:神社とお寺を明確にする政策。 神道が国教。 実際は仏
教を滅ぼし神道だけでよいという意味の政策。
 
太平洋戦後、新しい憲法のもとで「信教の自由」が確立され、自由に布教活動を展開できるよ
うになった。  終戦直後はアメリカを中心とした連合軍の占領下にあったことや敗戦によって
生きがいを失った日本の若者の大勢が、新しい生きがいを求めて、焼け残った教会やアメリカ
からの宣教師たちが作った伝道所に集まったという。 また、終戦直後の貧しさの中で、キリス
ト者(牧師)たちが、無償で死人の葬儀を行ってくれたりということもあり、一時はキリスト教が
ブームになったこともあったという。 
 
現在の世界で起こっていることだが、経済発展の著しい国では、プロテスタントの福音派が信
者を増やしているという。 キリスト教徒が30%を占めるようになった韓国。 中国でも最近で
はキリスト教徒の割合が高くなっているという。 その主力は、中国政府に公認されない地下
教会(あるいは家庭教会)である。 日本も、戦後には高度経済成長という形で、驚異的な経
済発展を経験している。 その時代に、キリスト教の福音派が勢力を拡大していても不思議で
はなかった。 しかし、増えなかった。
 
2015年時点で世界には、キリスト教徒が23億人、イスラム教徒が16億人いると言われるが、
日本のキリスト教徒はカトリックとプロテスタントを合わせても100万人程度で、人口の1%にも
満たない。 そのうち、神から「キリスト者(クリスチャン)」と見られている人はもっと少ないだろ
う。 小学校から大学まで、宗教を背景とした学校は全国に849校あるが、そのうち565校がキ
リスト教系で、毎年、ミッション・スクールの卒業生は50万人程度に達し、高校の卒業生だけで
15万人を越えているというが、それは信者の伸びには結びついていないという。
 
ミッション・スクールに子どもを通わせる親の方は、キリスト教の信者でないことが多いという。 
ミッション・スクールの卒業生は、女性の方が多く、彼女たちが結婚した場合、神道や仏教との
かかわりが多く、キリスト教の信仰をもつとそれが邪魔になるケースも出てくる。 彼らが家庭
をもち、冠婚葬祭にかかわるようになれば、キリスト教の信仰は邪魔になる。 家族全体がキ
リスト者(クリスチャン)にならない限り、その状況は変わらない。 日本人の宗教が、家を単位
としてきたこと、日本人の心に、刻み込まれた反キリスト教感情(キリスト教への反感)が続い
ていること、要は、日本の歴史あるいは文化と深くつながっていることが、キリスト教の拡大を
妨げる大きな要因になっていた推測できる。
 
このような理由があったとしても、家の中で最初にキリストを信じて「キリスト者(クリスチャン)」
になった者の中には、「キリスト信仰」を固く持とうとする者もいる。 そのとき、家族からの反対
がある。 家族以外からの反対を受ける者もいる。 その人に対する反対の仕方は、一人一
人によって度合いが違う。 反対を受けると、すぐにキリストを信じることを撤回する者もいる
し、反対が、あまりにも厳しいからと撤回する者、「迫害」のようなことまで受けても「キリスト信
仰」を持ち続けようとする者と、このことにおいても、一人一人みな違う。(マルコ4:2-20)
 
迫害に関しての過去の「めんどり通信」に書かれているところを参照されたい。 めんどり通信
/2009年3月29日:枡崎外彦とその父枡崎茂郷。/2009年3月22日:斉藤宗次郎。/2008年8月
17日:5歳の少女もりちゃん。/2011年10月23日:キリシタン時代。/2010年1月17日:26聖人。 
 
今日の我々キリストを信じ受け入れた者は、どうすることが主の御心であろうか。 過去に殉
教した人たちから学べることは、毅然と「キリスト信仰」を言い表し、毅然と「キリスト信仰」に立
つ時があるということである。 たとえ幼い者であっても、主が立たせようとされる時に、主が立
たせるということである。 一人一人によって、固く信仰に立つ、その過程は違うということであ
る。 大事なことは、悪霊に縛られて祈れない墓場の人(マルコ5章、ルカ8章、マタイ8章)や、
病で祈ることができない人は別として、どれだけ祈るかどうかである。 聖霊に導かれて祈るか
どうかである。 必死に主に頼るかどうかである墓場の人について。めんどり通信/2013年1
 
とにかく、我々がすべきことは、キリスト教の中に入るのではなく、「キリストと自分」、「神と自
分」、「主と自分」という一対一の「交わり」が確固たるものとなるように、そして、それが、自分
の足場となるように真剣に取り組むべきことである。 キリスト教につながるのではなく、キリス
トご自身につながり、キリスト教の教えではなく、キリストご自身を人に提供するのである。 い
ずれにしても、主の御前にへりくだって、絶えず祈っていくこと、神のことばである聖書を読み、
主が語って下さろうとしているか細い御声を聞こうと(霊)の耳、心を絶えず主イエス・キリストに
向けることである。 そして、祈りながら、聖霊の流れに逆らわず、肉の力で流れの速さを変え
ず、すべてを主にゆだねていくことである。
 
★新約聖書 ヨハネによる福音書 15:5 
   わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、また
   わたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離
   れては、あなたがたは何一つできないからである。
 




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