めんどり聖書研究会


めんどり通信/2011年10月23日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!
<「教会」についての思考>



★新約聖書 マタイによる福音書 18:20
  ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。

★新約聖書 エペソ人への手紙 1:23
   教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ち
   ておられるところです。

●主イエスは「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます(マタイ16:18)」と言われた。 
主が言われた「教会」は明らかに「教会堂」のことではない。 しかし、今日、「教会」といえば、
どうも十字架が立っている「建物(教会堂)」のイメージが強いようである。 教会の誕生はペン
テコステの日と言われているが、使徒時代、初期の教会の形はどのようであったかを「使徒行
伝」からあらかた知ることが出来る。 

使徒時代、主イエス・キリストは昇天する前、弟子たちに「エルサレムを離れないで、わたしか
ら聞いた父の約束を待ちなさい。・・・聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力
を受け・・・地の果てにまで、わたしの証人となります。(使徒行伝1:4,8)」
と言われた。 

弟子たちはイエスの命令を守って、エルサレムで、みな心を合わせ祈りながら待っていた。 
ユダヤ人が守っていた三大祭りの一つ、五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた
き、聖霊降臨があった。 このとき、この日ペテロの説教で三千人ほどが弟子に加えられた。 
教役者、牧師などの指導者は 11人(この後、マッテヤが加わって12人)。 このとき 教会堂
などない。 教会堂を持っていなかったのは、当時の物理的にも治安的にも難しいという理由
もあったが、むしろそれが功を奏していたかもしれない

すぐに男だけで5千人ほどが信じた。 女、子どもを加えたら倍以上かもしれない。(使徒4章) 
この後も、どんどん増えていった。 しかし、使徒行伝を見る限り、指導者はステパノたち7人加
えて合計19人ほどであった。 教役者、牧師などの指導者はとても少ないが、救われた人たち
の信仰はしっかりしていた。 それは信じた人たちの上に聖霊が働かれていたからである。 

この使徒時代とよく似た形が、約4百年前、日本にもあった。 キリシタン時代である。 このキ
リシタン時代の教会は、毎日のように、人々が救われていったと言われている。 家族単位、
家単位で救われ、迫害も厳しかったが、揺さぶられても信仰が動じないキリシタンが多かった
という。 二十六聖人など殉教者の多い時代であった。 このキリシタン時代、教会堂はなかっ
た。 指導者は、一番多かった時で108名。 キリシタンの数は50万人。 宣教の地域は、徳川
幕府による大迫害の中、東北地方にまで、のびていったという。

この頃12年間、摂津国(現在の大阪市から、豊中市、吹田市、高槻市を経て、さらに尼崎、西
宮、芦屋、宝塚から神戸市に至る地域を含む)の高槻城主であったキリシタン大名「山右
近」が、主イエス・キリスト の愛に基づく生き方、町づくりをすすめていった。 右近が高槻城主
だった天正9年(1581年)には2万5千人の領民の内、1万8千人(約72%)がキリシタンであった
とパーデレ(神父)によって報告されているという。 

一方、現代の日本のクリスチャン人口は 1%に満たないといわれている。(プロテスタント、カ
トリックなどすべて総合計)  洗礼を基準とした公式数としては全人口の0.8%、その内現役クリ
スチャンは3割、人口の0.24%ともいわれている。 ただ、米紙クリスチャンポストの情報による
と、最近のギャラップ世論調査によって日本は、キリスト教人口が現在6%にまで増加していると
いうが、日本のクリスチャン人口が、1%を切って0.8%という情報の方が実際に近いような気もす
る。 いずれにしても著者が主イエス・キリストを信じた約30年前、当時の教会の牧師からも同
じ数字1%弱というのを聞いたことがあるが、30年経っても大きく変わってはいないようである。 
何が違うのであろうか? 

使徒行伝の時代、高山右近などキリシタン時代の「教会」の形で共通することは、とにかく聖霊
が大きく働かれていたということである。 パウロが「私が植えて、アポロが水を注ぎました。し
かし、成長させたのは神です。(Tコリント3:6)」
と言っているが、これらの時代、教会堂もなく
教会の指導者も少なくても、神が一人一人を養い育てておられたということである。 「植えるこ
と」「水を注ぐこと」、すなわち主のみことばを語ること、主につなぐこと、聖霊に触れさせるこ
と・・・などを、牧師や伝道者など指導者だけがするのではなく、キリストの愛を持った信徒もし
ていたということである。 

使徒行伝時代、プリスカとアクラは教役者ではなかったが、重要な働きをしている。 新約聖書
原典には「信徒」に相当する語はなく、教会制度が整備されて、その区別が生まれてきたとい
う。 主は、それぞれに与えている賜物に応じて、キリストのからだなる教会の一部として主に
従っていた者を、教会のたて上げのため用いられたようである。 

使徒行伝時代もキリシタン時代も、聖霊によって救われた人たちが次々に起こされて、その救
われた人たち、クリスチャン、キリシタンになった人たちが至る所で集まった。 その集まった
真中にキリストがおられた。 彼らは心から祈った。 その祈りに答える形で聖霊が大いに働
かれた。 その集まりこそが、主が望まれる「教会」であった。 いつでも聖霊が主導権を持た
れた。 だから活き活き(生き生き)とした主のみわざを見ることができた。 キリシタン時代も
聖書の記述そのままの聖霊による大いなる みわざがなされていった。 

主によって真に救われ、何があっても信仰が揺るがされず、失敗しても主の御前にへりくだっ
て心から悔い改め、キリストの愛をもって主に従いつつ生きていたパウロやペテロや弟子た
ち、キリシタン時代の高山右近、殉教することさえ厭(いと)わなかった多くのキリシタンたちの
姿はそのまま証しになった。 だから周囲の人たちはキリスト教とは・・・と神学、教理を知らなく
ても、また押し付けられなくても、次々信仰を持つようになった。  

生きた聖霊の働きが大いにあった。 救われた者たちにとって、みことばが実際となっていた。 
ふたりでも三人でも、主イエス・キリストの名において集まっている所に、確かにキリストがおら
れた。 聖霊が絶えず主導権を持たれていた。 自分たちの信仰を分かち合いながら、世や
古きに感化されずに、主に従っていた。・・・・ そのようなところが現代の教会、クリスチャンと
の違いかもしれない。 もちろん、現代でも以上のようなことはある。 しかし、実際、推測の域
ではあるが、その数は微々たるものではないだろうか? 大いなる聖霊のみわざのあらわれも
目覚しい聖霊の働きも まだまだ見えていないように思えるのだが?

しかし、時がある。 神のすべてのわざには、時があるからだ。(伝道者の書3:17) 日本は必
ず神に立ち返る時が来る。(黙示録7:2,3、イザヤ24:15、詩篇102:13) 主の定めの時が来た
なら、主は日本をあわれんでくださる。(詩篇102:13) その時がすみやかに来るよう願うが、
聖霊が大いに働かれるためにも我々がなすべきことは、主の御前にへりくだって心から祈るこ
と、聖霊主導、聖霊中心の姿勢を常に取ること、みことばを神のことばと真に受け取りつつ読
んで霊の中に蓄えていただき、みことばが生活の中で実際となるよう求めていくこと、キリスト
を体験し続けていくこと、そのために主のみこころは何であるかを、よく悟って主に従っていくこ
と、・・・をしながら、その時のために備えをしていきたいものである。
(イザヤ57:15、詩篇16:
8、Tテサロニケ5:17、エペソ5:17) 

★旧約聖書 イザヤ書 46:10
   わたしは、終わりの事を初めから告げ、まだなされていない事を昔から告げ、『わたしの
   はかりごとは成就し、わたしの望む事をすべて成し遂げる。』と言う。




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