めんどり聖書研究会


めんどり通信/2009年3月29日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!
<古き良き信仰の勇者、枡崎外彦とその父枡崎茂郷に学ぶ!>



★新約聖書 ヘブル人への手紙 12:7~11
       訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲
   らしめることをしない子がいるでしょうか。・・・ なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が
    良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちを
       ご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。  すべての懲らしめは、そのと
       きは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによっ
       て訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。

●今から約20年ほど前、『荒野に水は沸く』を贈頁改題した本『親鸞よりキリストへーぞうり履き
の伝道者升崎外彦物語』という本を読み、いたく感激し勇気付けられた。 今でも思い出すと
奮起させられる。 パウロは「私にならう者となれ(Tコリント4:16)」と言ったが、昔の良き信仰
の勇者に倣う姿勢は、大切なことである。

明治25年(1892年)4月12日、浄土真宗の寺の土塀に五筋の線の入った寺格をもつ名刹○○
寺の独り娘の母と明治10年の西南の役での戦いで大半の部下を失い心の痛手を負い、深く
念仏宗門に帰依し、念仏村長の異名さえとった程の篤信の仏教徒の父の間に外彦は生まれ
た。 難産の結果、産まれはしたが、母は「この子は仏様からの授かり児です。どうか大切に
育てて、○○寺の跡目にして下さい」と分娩後、3日目の夜明け方、亡くなった。  

母の遺言もあり○○寺の後継者たるべき教養をつけるため、外彦は6才の時、他の寺に預け
られ、7才から経文を教わり、10才で得度した。 その後、京都の本山の学校に入学するように
との父を説得して、金沢の工業学校に入学した。 少年期〜青年期にかけて「人生とは何か」
という問題に突き当たった。 寝もやらず仏前に端坐して”南無阿弥陀仏”を唱えても、教理を
聞いても解決しなかった。 そうして哲学に走っていった。 

様々な哲学書、宗教書を読破したが、外彦の心は解決せず平安がなかった。 キリスト教に関
するものだけは一切手を触れなかった。 それは幼少の頃から「キリスト教は日本人の信ずべ
き宗教ではない。 すべての宗教の中で一番下等で、一番迷信的なもの」と父から強く深く教え
込まれていたためであった。 

あらゆる人々に教えを求め、名僧を歴訪して真理を求めたが何物も得られなかった。 自殺も
6回ほど企てたが、あと一歩というところで故障が入り実行にまで至らなかった。 そんなとき町
の十字路のところで救世軍の仕官の路傍伝道が行われていた。 外彦は、その場を一目散に
駆け抜けようとしたが、そのはずみに、いや、というほど電柱に頭をぶつけ、よろめき倒れた。

その瞬間「すべて労する者、重荷を負う者、我に来たれ、我汝らを休ません(マタイ11:28)」
ことばが響いてきた。 外彦は思わず「僕を救って下さい。僕は疲れ切っています。背負いきれ
ない重荷でつぶれそうです。今も自殺しようとしていたところです。」と救世軍仕官の前にひざま
づいた。 外彦、15才のときであった。 「人間の救われる道、天上天下この他になし(使途4:1
2)」 
外彦は永い永い間求め、尋ね、探していたものにめぐり会えたのである。 「おお、主イエ
スよ、私は信じます。あなたこそ真の阿弥陀仏、生ける如来様です。」と叫んだ。 

外彦のヤソ(キリスト)転向は、東本願寺派宗団の大問題となった。 宗団側は手をかえ品を
かえて外彦に翻意を迫ってきた。 そして最後の手段として「僧籍剥奪、寺門追放に処す」と通
知。 父は外彦を父の主催する武芸道場に預けた。 来る日も来る日も剣道と柔道で竹刀で
打たれ、散々に投げられ、締められ、打ちのめされた。 時には大柄な父が小柄な外彦に「寺
に帰る」といわせるために猛烈に打ちかかった。 体はずたずたになった。 外彦はずたずた
の中でも絶えず「主よ、私をあわれんでください。」と主に祈りよりすがった。 ヤソ(キリスト)を
捨てなかった。 主が外彦と共にいて下さる約束を放さなかった。 

あるクリスマス礼拝の日には、火の気一つない冷たい土蔵の中に監禁された。 北国名物の
吹雪の日であった。 トップリ暮れて暗くなった外部から、当時81才の祖母が竹の皮の包みに
握り飯3個とめざし2匹、干柿2つを入れて外彦に渡し「死んだおかか様(母上)のことを忘れる
でないぞ。」と泣きながら訴えてきた。 外彦はポロポロ泣きながら死んだ母の遺言の意味を
考えた。 しかし、それでも『自分のために死んだ主イエス』を想い、献身を誓ったという。 

土蔵幽閉後、ますます外彦に対する監視警戒は強まり、武芸道場での呵責は益々激しくなっ
た。 そして、洗礼を受けたことを聞いた父は、外彦にふんどし一つになることを命じ、庭の氷
の張り詰めた池の上に投げ飛ばした。 そこで正座した外彦の背筋からは血が流れていた。 
「あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみを
も賜わったのです。(ピリピ 1:29 )」
 外彦曰く。 自分の生身を痛められることにより、キリスト
の御旨がいっそうはっきりしてきたと。 

外彦は父の前に出て、両手をつき「私が暫く親不孝になりますことをお赦しください。」と言っ
た。 父は刀を杖に、床柱を背にしたまま男泣きに泣いていた。 折檻される息子よりも折檻
せねばならぬ父の苦しみは、なお一層複雑で深刻であった。 外彦は、そのことがわかり悲し
かったが、道のために受ける一切をキリストの故に忍び、一礼をして寺を出た。 外彦はその
後、様々な受難を受けたが、信仰は鍛えられ、あらゆる体験を通して、ぞうり履きの伝道者とし
て整えられ神の喜ばれる働きに入っていった。 そして最も伝道困難な地を死に場所にと考
え、出雲に行き、ますます神に喜ばれる働きを成していった。

さて、外彦の父は、何とかしてわが子をヤソの手より奪い返そうと、キリスト教の弱点を探すた
めに66巻の聖書を考えながら何度も読み返した。 最初の4章を読むのに3年かかったとい
う。 また息子を拉(ら)し去った救世軍、山室軍平の『平民の福音』は、ボロボロになるまで
読み、暗誦する程になった。 父が驚き怪しんだのはイエス・キリストの人格であった。 「人に
して神、神にして人なるキリスト、我が日夜尊崇しまつる親鸞上人とは比較にならぬ、是は一
介の僧侶、彼キリストは正に神の独り子」と悟った。 

”キリスト神ならば御姿を現わし給え”と65才の父は、2月の極寒の時に21日間、食を断ち、臥
竜山鶯滝(がりゅうざんうぐいすたき)に水垢離(みずごり)を試みた。 満願の21日目に滝か
ら上がって岩の上に座し、掌(しょう:てのひら)を合わせて念じていると、白衣のキリストが彷
彿として現れたという。 父はその場に倒れた。 それから外彦に手紙を書き、外彦を招いて
正座し恭々(うやうや)しく両手をつき謝罪した。 その後、71才で召される際に、”父危篤”の電
報で出雲から駆けつけて来た外彦に「外彦、お前はいいものを見つけたのォー。 外彦、礼を
言うぞ、お前は俺を天国の特等席に案内してくれた大の恩人だ。 外彦、礼を言うぞ。」と言
った。 2時間後けいれんがを起こると、手を挙げて「外彦、外彦、出雲へ帰れ。 ヤソ(キリス
ト)のために働いて死ね。」と叫びつつ安らかに神の聖国へと旅立った。

外側で起きる様々な出来事、それらがたとえ苦難、困難、苦しみ、悲惨を伴おうとキリストに焦
点を合わせてこの地上を歩むという姿勢を崩さなかった枡崎外彦氏の信仰は、イエスから「あ
なたの信仰は見あげたものである」と言われたに違いない。 みことば通り、神は神が愛する
者に訓練、試練を与える。 それは神の試しともなっている。 目に見える事柄、出来事、状
況、つまり世に振り回されず、神のことばだけ、主イエス・キリストだけを信頼する! そのよう
な者を神が求めておられるようである。 そして、神は「神を愛する人々、すなわち、神のご計
画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださる(ローマ
8:28 )」 
この御言葉は真実である!

また、外彦の父のように、注解書や人から教えられた教理をただ鵜呑みにするのではなく、キ
リストから教えられるということが真理を明確につかむことができると言えよう。 キリストとの
直接の交わり、聖霊との実際なる交わりが、クリスチャンにとって必要不可欠である。

クリスチャンだから、こうあらねばならない、教会はキリストの教会だから、こうしなければなら
ない、などと古い皮袋(古い体制)に囚われたパリサイ人や律法学者のようであってはならな
い。 重要なのは、キリストである。 「人にして神、神にして人なるキリスト」である。 このキ
リストを第一にするということは、口先ではなく、枡崎外彦、その父枡崎茂郷の生き方である
と言えよう。 

聖書のみことばの改ざんなど今日、教理に関して不穏な働きが多いが、祈りつつ、時間をかけ
て真剣に求めていくなら、主は必ず御心を悟らせてくださる。
今週も、主イエス・キリストから目を離さず、絶えず主に尋ねること、絶えず祈ること、神のこ
とばと信じて時間をかけて聖書を読むことをしていきたいものである。 

★新約聖書 ピリピ人への手紙 1:20,21
       それは、私がどういうばあいにも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生き
      るにしても、死ぬにしても、私の身によって、キリストのすばらしさが現わされることを求
       める私の切なる願いと望みにかなっているのです。  私にとっては、生きることはキリス
       ト、死ぬこともまた益です。
     

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