めんどり聖書研究会


めんどり通信/2015年1月11日。主が復活された記念すべき日曜日です!ハレルヤ!
悔い改めること、すなわち主のところに立ち返り続けることの大切さ:南ユダ国の14代目マナセ王から思考



★新約聖書 コリント人への手紙 第二 13:13
   主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにあります
   ように。
 
★旧約聖書 エゼキエル書 18:32
   わたしは、だれが死ぬのも喜ばないからだ。――神である主の御告げ。――だから、悔
   い改めて、生きよ。
 
★旧約聖書 箴言 3:11
   わが子よ。主の懲らしめをないがしろにするな。その叱責をいとうな。
 
●イスラエル王制時代、南ユダ国14代目王マナセは、イスラエルの王の中でも「最悪の王」
言われているが、「旧約の放蕩息子」とも呼ばれている。 マナセについては、第二列王記21
第二歴代誌33章に書かれている。 父ヒゼキヤは、宗教改革を行ない、「敬度な王」と言
われたが、息子であるマナセについては、「・・・異邦の民の忌みきらうべきならわしをまねて
主の目の前に悪を行なった。(U歴代誌33:2)」 また、「ユダとエルサレムの住民を迷わせ
て、主がイスラエル人の前で根絶やしにされた異邦人よりも、さらに悪いことを行なわせた。
(U歴代誌33:9)」と書かれている。  マナセは息子たちを異邦のいけにえとして捧げ、火の
中にくぐらせることさえ行なった。(U歴33:6) また、第二列王記21章6節には、「マナセは、ユ
ダに罪を犯させ、主の目の前に悪を行なわせて、罪を犯したばかりでなく、罪のない者の血ま
で多量に流し、それがエルサレムの隅々に満ちるほどであった。」と書かれている。 相当ひど
い悪を行なった王であったようだ。
 
マナセは、12歳で即位し、55年間南ユダ国を治めた。(U列21:1) 55年間のうち、最初の約10
年ほどは父ヒゼキヤと共同統治であったと言われているが、ユダ王の中で最も長い期間統治
した。 父ヒゼキヤは、北イスラエル国、サマリヤがアッシリヤによって滅亡という出来事に出
会い、主に信頼して反アッシリヤ政策を取った。 しかし、マナセは、南ユダを脅かすアッスリ
ヤ帝国は、あまりにも超大国だったので、祖父アハズ同様、進んでアッシリヤに寄っていった。 
アッシリアの忠実な臣下のようになった。 マナセのあまりにもひどい神に忌み嫌われた悪行
は、彼の孫であるヨシヤ王の賢明な改革によってしても、ユダ王国を救うことができないほど
だった。 マナセはユダ王国滅亡の要因になった。 
 
主はマナセとその民に警告と裁きの「ことば」を語られたが、彼らは聞こうともしなかった(U
歴代誌33:10) それで神はマナセをアッシリヤによって、動物のように鈎(かぎ)で捕らえさせ
てバビロンの地に移された。 そうなってマナセは初めて、自分が今まで「偶像」「人(アッシ
リヤなど)」に頼ってきた空しさを知った。 それで、彼は父祖の神の前に大いにへりくだり、心
から悔い改め、神に切に求めた。 「神は彼の願いを聞き入れ、その切なる求めを聞いて、彼
をエルサレムの彼の王国に戻された。」と書かれている。 ここで重要なことは、もとの地位に
戻されたこと以上にマナセは、「主こそ神であることを知った。」ことである。(U歴代誌33:13)
 
今まで散々、自分の身を守るために好き勝手をし、ユダ国を滅亡させる要因にもなったマナセ
を、神は救ってくださった。 再び「王」の地位に戻され、「ユダの地」に戻されたマナセは、神に
仕え、国中の偶像を捨て去り、主の祭壇を築いて、民にも神に仕えさせた。 これほどの変化
が起きたのは、神の「恵み」「あわれみ」による神との「和解」神の「救い」があったからであ
る。 そのことは、イエスが語られたたとえの「放蕩息子」にあらわれている。(ルカ15章) 
 
これらのことから、「主を知ること」は重要なことであるとわかるが、そのために必須であること
は、一人一人が「自発的に明確に悔い改める」ということである。 一人の人が「悔い改める」
ことができるために、神の方が様々なかたちで、一人一人に応じて「恵み」「あわれみ」を提
示しておられる。 マナセが捕えられて悲惨な状態でバビロンに連れて行かれたことは、厳し
「神の裁き」ではあるが、その「裁き」があったからこそ、マナセは「悔い改める」ことができた
と言えよう。 マナセの場合、「神の裁き」は、「神の恵み」「神のあわれみ」となった。 コリン
ト第一の手紙11章32節に書かれている、「裁かれるとすれば、それは、わたしたちが世と共に
罪に定められることがないようにするための、主の懲らしめ」である。(新共同訳) だから「主
の懲らしめ」をないがしろにしてはならないのである。(箴言3:11)
 
また、ダビデの血筋を絶やさないという神のダビデへの「約束のことば」があったからこそ、マ
ナセへの「神の裁き」は、「神の恵み」と神の「あわれみ」となったのではないだろうか(T列王
記8:25) そのように考えると、主なる神から「約束のことば」をいただくということは、大いなる
幸いであると思われる。 確かに、その「約束のことば」が、与えられた人にとって、実際その
通りになるためには、それぞれに定められた期間、「試練訓練」を受け、神からの「試し」を受
ける。 しかし、それを乗り越える者にとって、大きな祝福になることは間違いない。 旧約のヨ
セフの場合を見れば、そのことがよくわかる(めんどり通信/2013年6月23日2013年9月29
 
さて、「悔い改める」とは、単に「ごめんなさい」と謝ることではない。 「悔い改める」という言葉
ギリシャ語原文では、「メタノエオー」という動詞で、もともとの意味は、「考えを改める」とか
「考え直す」であるという。 ところが、新約聖書の中で「メタノエオー」というのは、「神のもとに
立ち返る」という意味を持つのだという。 ルカ15章「放蕩息子」が、父のところに帰ったの
は、「父」であらわされる「神のもとに立ち返った」ということである。  
 
我々クリスチャンは、よく「悔い改める」という言葉を言う。 しかし、「ごめんなさい。」「すみませ
。」と口にするだけで、「主のところに立ち返って」いなければ、「悔い改めている」とは言えな
いということである。 イエスは、我々に「わたしにつながっていなさい。」と言われるが、それ
は、我々に「悔い改め続けなさい」ということ、すなわち「主のところに立ち返り続けていなさ
い。」そして、「わたしにつながり続けていなさい。」ということである。(ヨハネ福15:4) そうす
る者が「主を知ること」ができるだけでなく、「主を知り続ける」ことができるであろう。 マナセの
「悔い改め」は、その後の生き方に、はっきりとわかる変化が表われた。 明らかに「神のもと
に立ち返った」そして「神につながり続けた」ということである。
 
ところが、イスラエルの民は、マナセのようには悔い改めなかったようである。(歴代誌33:17) 
民は、「偶像崇拝」などの「罪」については、マナセから影響を受けたが、「悔い改め」について
は、マナセからの良い影響を完全に受けたとは言えない。 一般的にも「悪いこと」は、すぐに
人に影響を与え、人から人へと伝染するが、「善いこと」は、なかなか人から人へと伝染するも
のではない。 まして、「聖さ」は尚更である。 マナセは、即位して約10年間は、「善王」と言わ
れたヒゼキヤ王と共同統治をしたが、結局、ヒゼキヤからの良い影響は受けていない。 むし
ろ、ヒゼキヤが死んだ後、反発の方が強かったようである。 
 
ユダ国の王たちを見ると、親から子への「信仰の継承」はなかなか難しいものであることがわ
かる。 旧約聖書に登場する神のために大いに用いられた器たちを見てもわかる。(ギデオ
ン、サムエル、・・・) 結局、「救い」は、一人一人である。 「神と人」との「一対一」のかかわり
である。 親が救われているから、子が救われる、また妻が救われているから、夫が救われ
る、と自動的に家族が救われるわけではないということである。(めんどり通信/2013年2月17
/2012年4月8日参照) 「天路歴程」の主人公のクリスチャンの妻は、クリスチャンが「信仰
の道」「救いの道」に進もうとしたとき、大反発した。 この主人公のクリスチャンは「神の訓練
試練」を受けながら「天の御国」に到達したが、だからと言って、妻が自動的に救われたわけで
はなかった。 やはり主人公の妻も彼と同じような「神の訓練試練」の道を歩んだことが、続編
に書かれている。(めんどり通信/2008年10月19日参照) ただ、「いのちの道」「キリストの道」
を歩もうとする者にとって、先に歩んだクリスチャンの歩みが大きな励ましとなることはある。
 
いずれにしても、一人一人が、明確な神との「一対一」のかかわりを持つために、「悔い改め
続ける」こと、すなわち、「主のところに立ち返り続ける」ことに取り組んでいきたいものである。 
そうすることが、神の「恵み」「あわれみ」によって「救い」を提示してくださっている神に、「神
の喜ばれる応答」をすることになるからだ。 日々の生活で、絶えず祈り、主が望まれる祈りが
できるようになって、ますます深く、主と交わり、主を知っていきたいものである。 
 
★新約聖書 使徒行伝 26:20
   ダマスコにいる人々をはじめエルサレムにいる人々に、またユダヤの全地方に、さらに異
   邦人にまで、悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行ないをするようにと宣べ
   伝えて来たのです。






めんどり聖書研究会