めんどり聖書研究会


めんどり通信/2008年10月19日。主が復活された記念すべき日曜日で
す! ハレルヤ!
<天路歴程(てんろれきてい)>



★新約聖書  ヘブル人への手紙 13:14
   私たちは、この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都を
   求めているのです。

★新約聖書   マタイによる福音書  7:13,14
   狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、
   そこからはいって行く者が多いのです。  いのちに至る門は小さく、その道は狭く、
   それを見いだす者はまれです。

●『天路歴程』という聖書に次いでひろく読まれているという有名な本がある。 ジョン・バンヤ
ンという17世紀、イギリスのクリスチャンの作品である。 彼は当時、説教したということで投獄
され、この作品を獄中で書いた。 15,6年前本を読んだ。 まんが化されたものがビデオになっ
ている。 昨今、久しぶりにビデオを見た。 あらすじはこうである。

滅亡の市に住む男クリスチャンは、罪の重荷で憂鬱(ゆううつ)な日々を暮らしていた。 この
ままでは滅びるから救いに至る道を一緒に探しに行こう、と家族知人を説得した。 ところが、
妻や子供さえばかにして一緒に行こうとしなかった。

一人で出かけたクリスチャンの前に伝道者が現れ「まっすぐに進み、見つけにくいが小さい狭
い門の中に入れば道順がわかる。(マタイ7:13,14)」と言った。 言われたとおり進むと途中、
”頑固”と”軽率”という名の二人の人が現れ、「引き返そう。」と勧めた。 クリスチャンは「天国
へ一緒に行こう。 この本(聖書)を読んでごらん。」と説得すると”軽率”は「じゃあ、行ってみよ
う」と共に進むことになった。

途中、二人は『落胆という泥沼』に落ちた。 ”軽率”は「こんなひどい目にあうのはごめんだ」と
引き返して行った。 落胆の沼に落ちたクリスチャンを御使いが引き上げた。 『落胆の沼』と
は、人の罪や汚れが流れ込んだ沼だという。 それから背中の重荷を取り除いてもらうために
進んで行くと、今度は”世渡り上手”という人が現れ「伝道者の言うことを聞くな。『道徳の町』へ
行け。それが賢明だ。」と言った。

クリスチャンはそのことばに乗って、『道徳の町』へ歩き出した。 すると道の前方に激しい火
が迫ってきて、その火の中から「神のことばに最後まで従え。」と声が聞こえた。 そこに伝道
者がまた現れ、「正しい者は信仰によって生きる。(旧約聖書ハバクク書 2:4)途中で道を引き
返すような者をわたし(神)は悲しむ。先の二人は偽教師である。」と言った。 クリスチャンは
恥ずかしく思って、またまっすぐに進み出した。 

門にたどり着き、入ろうとするとシオンの山(天の御国)へ行こうとする者を中に入らせないよう
にする悪魔の火矢が飛んできた。 門番に助けられ中に入り「途中災いがあるが狭いまっすぐ
な道を進め」ということなど”大切”という名の人が真理を教えてくれた。 道の両側には『救い』
という文字が書かれていた。 

しばらくすると小高い丘にイエス・キリストが現れた。 クリスチャンは、その時本当の救い、十
字架は自分の罪の身代りであったという十字架の本当の意味を悟り、心から悔い改めた。 
するとこの世から背負ってきた背中の重荷が取り除かれ、新しく生まれ変わった。 同時に罪
の赦しの宣言を受け、巻物(聖書)を持って再び出発した。 

途中道端で”軽薄””怠惰””傲慢”という3人が眠っていた。 クリスチャンは「悪魔が狙っている
から起きて立とう。(1ペテロ 5:8)」と起こしながら説得したが、ほっといてくれ、と起きなかった。 
また進んで行くと”形式ばかり”と”見せjかけ”の二人が道の両側の塀の外から乗り越えてき
た。 天国へ行くのに近道をしたという二人にクリスチャンが「自分勝手な道は神が罪人として
見られる、誠実な人とは見られない。」と忠告したが二人は悔い改めなかった。 3人で歩いて
いくとすぐに3つに分かれた道があった。 ”形式ばかり”は左の『破滅への道』へ、”見せかけ”
は右の『危険への道』へ行き滅んでしまった。 

クリスチャンは真ん中の狭くて厳しいがまっすぐな道へと進んで行った。 『いのちの泉』で水を
飲み元気を回復して『困難の丘』を苦労しながら進んで行った。 途中、前方に2頭の獣がいる
とあわてて引き返してきた2人の人と会った。 彼らはクリスチャンに引き返すように勧め立ち
去って行った。 すると”案内人”が現れ「2頭の獣は、信仰があるかどうかを見るためだけにつ
ながれている。」と言った。 そのことばを信じて行くと”聡明”という女性に会った。 そこでは”
慎み””畏敬””愛”という3人の女性とも会い、皆で交わりをした。 そこで神の武具(エペソ
6:11,14~18)
をまとい、また出発した。

しばらく進むと谷からすべり落ちた。 獣が現れ行く手を阻むので戦いとなった。 クリスチャン
は神の武具、信仰の大盾やみことばの剣で戦い、「神は私の力。神のためなら恐れることはな
い。」と勝利した。 それから尚、進んで行った。 すると多くの人々が引き返してきた。 今まで
以上に激しい火、爆発、暗闇が次々と襲いかかってきた。 クリスチャンは祈りに祈った。 「た
とい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおら
れますから。(詩篇 23:4)」

”献身”という道連れが与えられた。 天国へ行くには『虚栄の町』を通らねばならなかった。 
家、国、地位、快楽・・・人間の好むものが手に入る町である。 そこで二人は「私たちは真理
を求めています。」と宣言した。 すると捕まって裁判を受けることになった。 そこでも明確に
イエス・キリストを信じていることの宣言と証しをした。 ”献身”はそこで殉教した。 クリスチャ
ンは釈放され、また狭いまっすぐな道を進み出した。 ”希望”という新たな道連れも与えられ
進んで行ったが、足が疲れてきた。

ちょうどそのとき同じ方向に2本の道があった。 そこに”盲信”という名の者も来て「方向が同
じだから楽な方へ行こう。」ということで進み出した。 ところが怪人”絶望”に捕まり深い穴に閉
じ込められた。 ”希望”とクリスチャンは穴の中で悔い改め祈った。 そして「神が助けてくださ
るに違いない。」と信仰に堅く立った。 そのとき”希望”が約束の鍵を持っていたことを思い出
した。 その鍵で牢の扉を開けて二人は逃げ出した。 怪人が追いかけてきたが二人は祈りな
がら必死に逃げた。 そして逃げ切ったとき、後から来る人たちのために立て札を作った。 
【この道を進んではいけない。神をあざける者がいる。要注意!】

二人は歓喜の山に到着した。 そこはすばらしい所ではあったが目的地ではなかった。 現れ
た羊飼いがまだ進むよう導いた。 しばらくすると白い衣を着た人が現れ「一緒に行こう。」と言
った。 すぐに現れた御使いに「巻物(聖書)を読みなさい。惑わされてはいけない。」と戒めら
れた。 またしばらくすると”無神論”が来て天国などない、引き返せ・・など言い寄ってきたが、
二人はまっすぐに進んだ。 それから気だるい空気が漂った『惑わしの国』を急いで通り抜け、
『ベウラの地(やすらぎの地)』に着いた。 2人の御使いが現れ、最後の試練の川を渡るように
と言った。 しかし、「神はあなたを離れない!」と言われ導き手がともに川を渡ってくださった。 
そうして目標であった永遠の御国に到着した。 

この傑作集を書き上げた後ジョン・バンヤンは祈ったという。 「わたしはまだ荒野にいます。
早く天の御国へ導いてください。巡礼の旅を終わらせてください。」と。 確かにキリスト教の教
えは簡単なことである。 「あなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者
の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われる。(ローマ 10:9)」、「主イエ
スを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。(使徒 16:31)」
と聖書に書
いてあるからだ。 

しかし、本当に信じているのか、本当に救われているのかは、神の試しを受けて始めてわかる
ことであるとも言える。 永遠の命を獲得する、天の御国に入るということは、実は簡単なよう
で難しいことである。 しかし、主イエス・キリストに絶えずよりすがる者は必ず獲得することが
できる。 日々の生活で、絶えず聖霊の導きを求めている者は必ず、試練を乗り越えることが
できる。 キリストが乗り越えさせてくださるからである。 

この『天路歴程』には続編があり、当初、このクリスチャンの信仰に反対していた妻や子供が
後を追って天国の巡礼に出発したことが書かれている。 やはり、その道は狭くて厳しいまっす
ぐであった。 この地上で幸いを得ることも大切なことであろうが、それよりもっと重要なのはこ
の世を去った後、本当の幸いを得ることである。 そのため、今週も絶えず主に尋ね祈りに
祈って、聖書を読み、また祈ってという1週間にしたいものである。

★新約聖書  第一テモテの手紙 6:12
   信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。



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