めんどり聖書研究会


めんどり通信/2013年9月29日。主が復活された記念すべき日曜日です!ハレルヤ!
<試練には、ある一定の期間がある:ヨセフから学ぶ>



★旧約聖書 詩篇119:71
   苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びまし
   た。
 
★新約聖書  コリント人への手紙 第一 10:13 
   あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方
   ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいま
   せん。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。
 
★新約聖書 ローマ人への手紙 8:28
   神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべて
   のことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
 
●主なる神が「良し」とされた聖書の登場人物は、みな「試練」や「訓練」を受けている。 アブラ
ハム、ヤコブ、モーセ、ダビデ、ヨブ、12使徒、パウロ・・・他多々いる。 ちなみに、「試練」と書
かれている箇所のことばを英語で見ると、「誘惑」の単語が使われているところもある。
 
旧約聖書創世記に登場するヨセフの場合。 ヨセフの苦難と栄光の生涯は、キリストの受難と
栄光の雛形(ひながた)といわれ、ヨセフは主イエス・キリストの型であるといわれている。 ヨ
セフは、父ヤコブの11番目の息子だった。 父ヤコブから特別に愛されていたため、兄たちに
憎まれた。 あるとき、ヨセフは夢を見て、それを兄たちに告げたので、兄たちにますます憎ま
れ、ねたまれた。 ところが、また別の日、兄弟たちがヨセフにひれ伏しているというほかの
を見て、それを父や兄たちに話したことによって、兄たちはヨセフを殺そうと企てたが、兄ルベ
ンやユダの言葉によって命だけは助かったが、奴隷としてイシュマエル人に売られエジプトに
連れて行かれた。 
 
エジプトでは、パロの廷臣で侍従長のポティファルのもとに売られ、彼の奴隷となった。 奴隷
となったときも主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そこで、主が彼のするこ
とすべてを成功させてくださった。 ところが、ポティファルの妻がヨセフを執拗に誘惑してき
た。 その度、ヨセフは拒むと、ポティファルの妻にわなに陥れられ、釈明する機会も与えられ
ず、無実の罪で監獄に入れられた。 しかし、そこでも主はヨセフとともにおられたので、監
の長の信用を得た。(創世記39章) 
 
その後、投獄されてきたエジプト王の献酌官と調理官の夢の解き明かしをして、その夢の通
り、献酌官が先に解放されたが、2年間ヨセフのことを忘れてしまった。 しかし、パロが見た2
つの夢を解ける者がいなかったことをきっかけに監獄から出ることができ、パロの夢の解き明
かしと助言をしてエジプトの大臣となった。 30歳であった。 奴隷として売られたときから13年
が経っていた。 解き明かされた夢は、神がなさろうとすること、すなわち7年間の豊作と7年
間の飢饉が来るということだった。 ヨセフはエジプトの国全体を見事な手腕で管理した。 ポ
ティファルの家を管理したことが、パロのもとで国全体を管理する働きをするのに大いに役
立ったと思われる。(創世記40、41章) 
 
7年の飢饉は全世界で厳しくなり、世界中が穀物を買うために、エジプトのヨセフのところに来
た。 カナンの地にいたヤコブは、食料を買うために10人のヨセフの兄たちをエジプトに送っ
た。 そして、彼らはヨセフの前で、顔を地につけて彼を伏し拝んだ。 ヨセフの夢の通りになっ
た。 ヨセフには、兄弟たちだとわかったが、彼らにはヨセフだとはわからなかった。 ヨセフ
は、弟のベニヤミンのことで兄たちを試みた。 ヨセフは素性を簡単には明かさなかったが、つ
いにヨセフは兄弟たちに自分のことを知らせて、泣いた。 ヨセフの試みによって、兄たちは自
分たちの罪の深さを思い知った。(創世記42:21,22) 自分がエジプトに売られたのは、あなた
がたを生きながらえさせるためだったとして、ヨセフは兄弟たちを赦した。(創世記45:7,8、5
0:20) ようやく耐えるだけしかない試練は終わった。 ヤコブと兄弟たちはエジプトに移住し、
エジプトの地で大いなる国民となるという神の約束を得た。 ヨセフは父ヤコブとその家族をエ
ジプトで養った。  
 
こうしてヨセフの人生から見ると、「試練」にはある一定の期間があると見受けられる。 ヨセフ
だけでなく、旧約のヤコブにしろダビデにしろヨブにしろ、彼らの生涯を見ると同じように見受け
られる。 「試練」の期間も厳しさも、一人一人によってみな違うが、生涯ずーっと続くものでは
ないようである。 ただし、「訓練」は生涯続くかもしれない。 新約聖書に登場してくるペテロ
もパウロも他キリストの弟子たちについて書かれているところを見ると、多かれ少なかれ生涯
続いているように見受けられる。 また、「試練」はある意味「訓練」でもあるが、「試練」の場合
は、苦しみが伴う。 それも半端でない苦しみをする者も多い。 肉体的、精神的、心、霊の苦
しみがある。 深みから痛いと感じる苦しみがある。 苦しくて顔をあげられず、先が見えなくて
いらだったり、苦しみの期間があまりにも長いので失望感に襲われたり、ということもある。 
人によっては、大袈裟な言い方かもしれないが、発狂しそうなくらい苦しむ者もいる。 
 
「試練」は、神からくるというよりサタン、悪しき霊どもの攻撃によることが多い。 しかし、それ
でも、すべて神の御許しの下でのことである。  決して、主のご計画の内にある者の一つ一つ
のことを、主は無駄には、なさらない。 決して、神の子が攻撃され弱っているままには、なさら
ない。 たとえ、主は無駄にはなさらない、無意味にはなさらない、という実際、事実をまだ見て
いなかったとしても、それでも必ず、主は益になさる時が来る! 暗闇が光に変わる主の時が
来る! そして、そのような「試練」はいつまでも続くものではない。 殉教者の場合は特殊であ
り、人によってその期間や種類はまちまちだが、「試練」には終わりが来る。 
 
コリント人への手紙 第一 10章13節「・・・神は真実な方ですから、あなたがたを耐えること
のできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるよう
に、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」と書かれているが、この箇所の「試練」は、
英語では「temptation(誘惑)」となっている。 人を「主と主のことば」から引き離そうとする悪し
き霊からの誘惑、攻撃、すなわち、すさまじい「試練」があるときでも、神はそれに耐えることが
できるように、逃れる道も備えてくださるということである。 ただ、「試練」がきつくて、備えられ
た「逃れの道」を見つけづらいときもあるかもしれない。 それも、主はすべてご存知である。 
 
ヨセフの場合、兄たちに奴隷に売られた17歳の時からエジプトの大臣となった30歳までの間、
相当厳しい試練があった。 しかし、試練の途中経過のとき監獄の長の信用を得たり、エジプ
ト王の献酌官と調理官の夢の解き明かしやパロの夢の解き明かしが、「逃れの道」「脱出の
道」となったようだ。 冤罪でポティファルの家を追い出されたが、ポティファルの家を管理した
経験が、パロのもとで国全体を管理する働きをするのに大いに役立ち益になった。 ヨセフの
「試練」のときは、神の目的を行なうための準備期間だったと言えよう。 また、ヨセフは「試
練」を通ることによって、神に存分に用いられる器に整えられた。 
 
いずれにしても、主によって歩みが定められる者は、倒れてもまっさかさまに倒されはしない。
主がその手をささえておられるからだ。(詩篇37:23,24) 主に真によりすがる神の子に立てら
れている計画は、平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである
からだ。(エレミヤ書29:11) 常に、ヨセフとともにおられた主なる神は、イエス・キリストによっ
て神の子とされた者たちとともにいてくださる。 キリストを信じる者が「試練」を通るのは、我々
キリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされるためである。 いよいよ、「主
と主のことば」の前にへりくだり、日々絶えず、主イエス・キリストから目を離さず、祈り続けて、
主との交わりを深くしていきたいものである。 聖霊の流れに乗り続けていきたいものである。
 
★旧約聖書 イザヤ書 41:10
   恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたし
   はあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。
 
★新約聖書 エペソ人への手紙 1:4,5
   すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、
   傷のない者にしようとされました。 神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリスト
   によってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。



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