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2017年6月18日「求めよさらば与えられん」についての思考

 
「求め続け、探し続け、たたき続ける」ことについて、著者の場合。 約21年前に、それまで所
属していた単立の教会を出てから人間不信、教会不信、クリスチャン不信になった。 「牧師が
言われることは、すべてイエス様が言われているのと同じだから、牧師が言う通りにせよ」とい
うのが、その教会の教えだった。 当時の牧師は信者たちや著者を固く立たせようと熱心だっ
た。 だから、決して信者や教えている教役者を「マインドコントロールして支配してやろう」など
と思っていなかったと思う。 
 
一般的に言えば、「良い牧師」である。 しかし、その熱心さが裏目に出ていたように思われ
る。 それが、信者をマインドコントロールにかけてしまうことになったと思う。 熱心な者ほど、
このマインドコントロールにかかっていたのではないかと思う。 
 
牧師の言うことに従わなかったから、心が沈み浮上しなかったから、「見込みなし」「役立たず」
「キリストに嫌われている」と追い出された。 他の信者たちには、「町で会っても挨拶をしては
ならない」と牧師が箝口令(かんこうれい)を敷いたようで、著者を見れば、みな顔をそむけた。 
21年経って今も尚である。 おそらく、Uヨハネの手紙1:9-11「すべてキリストの教をとおり過ご
して、それにとどまらない者は、神を持っていないのである。・・・ この教を持たずにあなたがた
のところに来る者があれば、その人を家に入れることも、あいさつすることもしてはいけない。 
そのような人にあいさつする者は、その悪い行いにあずかることになるからである。」のみこと
ばを信者たちに語られたのではないかと推測する。 
 
当時、「あの教会、あの牧師から離れた自分は滅びる」という恐怖心が半端なかった。 しか
し、約1年半祈って祈って、マインドコントロールから解放された。 主が解放してくださった。 
その後、自分はどう進めばよいのか、主が望まれている道、主が定められている道を求め続
け、たたき続け、探し続けた。 当時の日本の教会の実情をある程度、知っていたので、他の
教会に行く気にはなれなかった。 もちろん、著者の知らなかった教会の中には、主が喜ばれ
る教会があったのかもしれないが、そこへは導かれなかった。 
 
以前所属していた教会の牧師は、よく「ウォッチマン・ニー」の書物からメッセージをされてい
た。 著者も牧師から紹介されて「ウォッチマン・ニー」の本をよく読んだ。 それで、日本で
ウォッチマン・ニーの群れの集会はないかと探した。 当時、すでにウォッチマン・ニーの群れ
はウィットネス・リーに継承されていたと思う。 東京にある回復の召会(地方召会)の集会に出
席してみた。 そのときの集会では、特別に何かを感じることもなかった。 祈るように勧めら
れ祈った。 集会が終わって帰路につきつつ考えていた。 あそこは、主の御心なのだろうか、
今後も何らかの形で交わっていくべきなのだろうか・・・などいろいろ主に尋ねつつ考えていた。
 
そして、羽田空港へ向かう電車の中でのこと。 急に吐き気がしてきた。 電車に酔ったわけで
はない。 幼い頃からあった乗り物酔いは、自分で車を運転するようになり徐々に改善してき
た。 ただ、体調(胃)がすぐれないときや長時間のバスでの移動、山道走行の車では酔いや
すいが、その他は酔うことが少なくなっていた。 乗り物酔いではないと思ったので心の中で
祈った。 もしかしたら、集会で祈った祈りがよくなかったのではないだろうか、証しをするとき、
高ぶったところがあったのではないだろうか、何か間違ったことを話したのではないだろうか、
主の喜ばれる態度でなかったのではないだろうか・・・と次々にいろいろな思いが湧きあがって
きた。 それで、一つ一つ悔い改めi祈った。 
 
それでも、まだ吐き気が治まらない。 それどころか、ひどくなってきた。 ハンカチで口を押え
ながら電車を降りてトイレに駆け込もうと急いでエスカレーターに乗った。 上って行く途中で、
待ち合わせをしていた主人の顔が見えた時、吐き気がピタッと止まった。 嘘のように消えた。 
と同時に、「あそこは違う。 自分が交わるところではない。」ということが、はっきりわかった。 
 
どのように進むべきか、誰とどういうところと交わるべきか、主が定められた道を進むとは具体
的にどうするのか、主が定められた道とは・・・と「求め続け、探し続け、たたき続け」ていた答
えの一つをこのような形で主は教えてくださった。 こういうことを繰り返しながら今日まで進ん
で来れた。 今も主に「聖霊」を豊かに注いでくださるように、「主の定められた道」を歩めるよ
うに、具体的な「主のみこころ」を、主が著者に望まれていること、主が「ことば」を語ってくだ
さるようにと、・・・「求め続け、探し続け、たたき続け」ている
 
 



めんどり通信/2017年6月18日号へ


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