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2013年1月13日<神を「恐れる」ことについて> | |
著者の体験。 主イエス・キリストを信じてそれほど時間がたっていなかった頃、約30年前のこと。 ある日、夢を見た。 著者は今まで、夢で主から何かを教えられるということは後にも先にも この時のみである。 その夢は芥川龍之介の「蜘蛛(くも)の糸」という話しに似ていた。 著者がどこかの穴に落ち込んでいた。 ふとまわりを見ると壁一面、蛆虫(うじむし)が、うごめいていた。 ヒエーと途端に気持ち悪さと恐ろしさでパニックになった。 すると、細い1本の糸が垂れてきた。 必死にその糸にしがみついた。 周りに人の気配はなかった。 ただ一人、必死にその糸に しがみついてもがくように上ろうとした。 しかし、一向に上れない。 恐怖だけがこれでもか、 というほど襲ってきたところで、目が覚めた。 汗びっしょりだった。 そのとき思った。 「これはいかん。 神はおられる。地獄へ行かすこともそこから引き上げることもできるのは、神だけだ。」 このとき、 著者の心の奥深くに、主の方が、主に対する両方の「恐れ」を刻み込んでくださったと、だいぶ 後になってわかり、主をほめたたえ感謝したことがある。 それから15,6年経って、その教会を離れたとき、 いろいろなことがあって、著者はクリスチャン不信、教会不信、人間不信になっていた。 ある日、内面の奥に 働く思い、自分の思いではなく、明らかに悪しき霊からの語りかけのような思いが出てきた。 「おまえは生きるに値しない者だ。滅んで当然の者だ。キリストに嫌われている。(以前に所属していた 教会の牧師に教会を離れる前に言われたことばをつかってきたようだった。) そのとき、著者も納得 しそうになった。 しかし、思いが闇の方へ引っ張られるような感じが強かったが、その思いを振り切り、 「私が滅びることは主の御心ではない。」と口で叫んだ。 著者が二つに引き千切られるのではないかと 思えるほど激しかったのを今でも鮮明に覚えている。 そのとき、誰かが、著者の口のことばを握って 引き上げてくださったように感じた。 それは主であったとすぐにわかり感謝したことを覚えている。 最近、そのことを思い出しながらつくづく想った。 あのとき、著者の信仰や霊が強かったわけではない。 著者が、主なる神に対して「畏れる。おそれかしこまること」と「こわがる」「恐ろしい」という両方の神を 「恐れる」という面を主の方が、著者の中に刻み込んでくださっていたから、あのような状態の中でも、 「私が滅びることは主の御心ではない。」と言えたんだと。 もし、その告白ができていなかったなら、 自殺こそしなかったと思うが、主から離れて他の道を歩んでいたと思う。 その後も、何があっても この主なる神イエス・キリストから離れることがなく今日に至っている。 めんどり通信/2013年1月13日号へ |
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