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2011年8月21日<古いところにいたとき、悪い霊に触れたときの悪影響は除かれる必要あり>

著者が以前、所属していた教会の牧師は、ある教団で牧師をされていた。 ところが、夢か何
かでその教団は悪霊が何らか関与しているようで主が喜ばれないから、教団から出るようにと
の示しを受け、実際、出られて、単立の教会を主の導きにより建てられた。 一人で出るつもり
が、十数名の信者がその牧師についてきたという。 主の召しに従った牧師は、聖霊が大いに
働かれ、教会は神の恵みを豊かに受けて成長したという。 著者がその教会で救われ、通い、
仕えるようになった当初は、牧師の霊的洞察力も信仰も優れていた。
ところが、著者が教会を追い出される少し前から、道が逸れてきていたように思われた。 当
時は、あれっと思うことがあっても、若干、牧師の導きに洗脳がかったところがあり、明確に見
破ることができなかった。 やがて聖霊の第三の波など、偽りの霊に惑わされ、ますます道が
逸れてきた。 そのようなとき、教会で牧師訓練を受けていた著者が、牧師の思うようにならな
かったので、役立たず、と教会を追い出されてしまった。 しかし今思えば、その教会に最初導
かれたことも教会を追い出されたこともすべて主の導きであった。 そして訓練、試練の時と
なった。 そのような中で主のあわれみと守りがあった。 主に心から感謝する。
さて、教会を追い出されてから、教会不信、クリスチャン不信、人間不信に陥ったとき、とにかく
祈った。 そして、何故、追い出されたのか、自分のどこが悪かったのか、など主に尋ね祈る
日々を過ごした。 そして、主が教えてくださったことの中の一つは、その牧師が、教団を出る
時、教団のものをすべて置いて出るべきだったということである。 教団のもの(教え、考え、や
り方・・)の一部を持って出たということである。 そこが悪霊が道を逸らさせるのに十分な入り
口となったということである。 

教会を追い出されてからずっと、教会時代の教えや考え方、やり方をしていたが、主にこのこ
とを教えられてから、きっぱり捨てた。 ただ、きっぱり捨てたつもりでも以前の教会のものが
心に染み込んでいたため、ひょんな時にその染み込んだところが足場となった考えや思いが
出てきた。 それらが取り除かれるのは結構、大変だった。 とにかく気づかせてくださるよ
うにと祈り、また気づかせてくださったときには感謝の祈りをした。 著者にとって以前の教会
は「古いところ」であった。 

そして祈っていくうちに、何が重要なのか、今はどうあるべきなのか、何をどのように捉えてい
けばよいのか、・・・など一つ一つ主がいろいろな体験などを通して教えてくださった。 そして
人(クリスチャン)や今までの教会のやり方にとらわれず、聖霊の導かれるまま歩むということ
を教えてくださった。 すると、目から鱗が落ちたように主の御心がわかり始めた。 キリストと
しっかりつながっておくこと、このことが重要なのである。 


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