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2010年9月12日<神のことばをいただく> | |
著者も24年ほど前、ある日Uコリント8章9節の 「あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリスト の恵みを知っている。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられた。 それは、あなたがたが、彼の貧しさによって富む者になるためである。」を読んでいたとき、突然、 涙があふれてきた経験がある。 そのとき、「あれっ、何で涙がでてきたのだろうか?」とわからなかった。 特別、その御言葉に感動したわけでもなく悲しくもなかった。 不思議だと思い、また8章1節に戻って 読み始めた。 すると9節になると、また涙が出てきた。 おかしいな、と思いつつ、また8章1節に戻り、読み始めた。 やっぱり9節の箇所を読み始めると 涙が出てきた。 3回目のとき、当時はわからないまま「この御言葉が私の上に成就しますように。 主の御心のままにしてください。」と祈った覚えがある。 その後、何年も経ってその御言葉を悟らせていただいただけでなく、自分の上に成就しつつあ ることがわかり、主に感謝の祈りをした。 その後もこのように聖書を通して、また直接なりで 主からことばをいただいたが、その度、御言葉は生きていると痛感した。 「初めに、ことば(ロ ゴス)があった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。(ヨハネ福1:1)」「わたしが あなたがたに話したことば(レーマ)は、霊であり、またいのちです。(ヨハネ福6:63)」 これらのみことば通りである。 めんどり通信/2010年9月12日号へ |
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