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2015年8月30日<「ソロモンは悔い改めのか」についての思考>

著者が以前(約19年ほど前)、所属していた教会の夜の集会でメッセージをするように牧師か
ら言われたことがあった。 しかし、当時、牧師の言われること教えられることに一生懸命、従
おうとするのだが、牧師から見ると従っていないとのことで、叱られるばかりだった。 著者を浮
上させるためにいろいろ教えてくださっておられたと思うが、著者は、ますます沈むばかりだっ
た。 それで、メッセージは無理だと思ったが、牧師が語る命令は絶対に従わなければならな
かったので、著者は、牧師に言った。 「まだ、抜けきっていないこの状態では、天路歴程で語
ろうと思っても結論を語れません。 どうしたらよいのか わかりません。」と。 すると、牧師は
「私のようになってはいけません、と語ったらいいではないか。 教えることがあるではない
か。」と言われた。 
 
牧師はやはり、その言葉で著者を浮上させようとされたとは思うが、著者は浮上できなかっ
た。 それで祈りつつメッセージを語ることになった。 天路歴程の内容に沿って語りだしたが、
怪人”絶望”に捕まり深い穴に閉じ込められたところにきた。 ここでは、話しの内容は、”希
望”とクリスチャンという2人は穴の中で悔い改め祈り、「神が助けてくださるに違いない。」と信
仰に堅く立ち、牢から逃げ出し、怪人が追いかけてきても逃げ切ったということである。(めん
どり通信/2008年10月19日。<天路歴程(てんろれきてい)>参照) 
 
しかし、著者は、ここを語ることができなかった。 自分は深い穴に閉じ込められ、何か縛られ
ている状態だったからだ。 牧師は「悔い改め祈れ」と言っておられるのだが、著者は、「悔い
改める」という視点ではないと思っていた。 今、振り返るなら、それは「霊」の問題だったと思
う。 結局、「怪人”絶望”に捕まり深い穴に閉じ込められた私のようにはならないでください。」
とメッセージを締めくくった。 集会の後、牧師から「良いメッセージだった。」とほめられたが、
ますます落ち込んだのを覚えている。 自分の体験を天路歴程に照らし合わせて語っていた
ので、「穴の中で悔い改め祈り、牢から脱出して怪人から逃げ切り、次に歓喜の山に到着し
た」とは言えなかった。 もし、そのように語れば口先だけのメッセージになると思った。 


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