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2013年3月3日<「主のことば」「主のみこころ」が与えられたとき確認して確信する> | |
著者も「聖書のみことば」から、著者に直接、与えられた「みことば」が幾つかある。 その中の一つ。 信仰に固く立って間もない頃、家で聖書を読んでいたときのこと。 聖書を通読していて、第二コリント 人への手紙8章9節の「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。 すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、 あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」のところに差し掛かったとき、 涙がボロボロ出てきた。 「おかしいなぁ?」と思いながら、9節の冒頭からまた読み返した。 すると、また同じようなことが起きた。 自分に問いかけてみた。 「今、悲しいのか? 何か感動したのか?」 答えは「否」であった。 3回目、もう一度、この節のみことばの冒頭に 戻って読み始めた。 やはり、読み進めていくと涙がボロボロ出て来た。 ボロボロ出てきながらも、 この一節を読み通した。 そして、「主よ、今、このみことばの意味がよくわかっていませんが、 このみことばが私の上に成就しますように。」と祈った。 その後、だいぶ経って、信仰生活を 振り返ってみたとき、本当にこの「聖書のみことば」を著者の上に成就してくださっていると痛感し、 心から感謝の祈りをしたことを今も覚えている。 しかし、同時に、このみことばの成就は、まだまだ 深みがあると思ったので、「いよいよ深みに成就してください。」と祈ったものだ。 めんどり通信/2013年3月3日号へ |
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