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2013年1月6日<「断食」についての考察> | |
著者は今までに3日間の断食を3回、行なった。 1回目は信仰に堅く立って間もない頃、 朝、掃除をしていたら、「断食しなさい」という(霊の)声が聞こえたように感じた。 空耳か 自分の思い込みかどうかわからず、すぐに教会へ行き、牧師に判断を仰いだ。 そのとき イザヤ書のみことばを教えてもらい、それからまるまる3日間、通常の生活をしながら、 家族の者にもわからないようにしながら、祈りつつ何も食べず、水も飲まない断食をした。 結果、何が変わったか、そのときには明確ではなかった。 2回目は、牧師に言われて行なった。 そのとき、初めて3日間の断食でも少量の水を飲んでもいいことを知った。 3回目は、教会を出て、 祈りに祈っていたとき、「断食」という示しを明確にわかったので実行した。 著者の場合、 「断食」の2日目から必ず嘔吐が始まる。 胃液を吐くくらいで、3日目も続く。 3回とも同様だった。 2回目の時、信仰が足りないからだと牧師から指摘されて、祈ったが嘔吐は止まらなかった。 3回目の「断食」のとき、「悪しきもの、古きもの、出て行け」という思いで嘔吐していたが、 「やはり、信仰の問題だろうか」と心配になり、同じような体験をした人がいないかどうか、 いろいろ調べた。 するとあるクリスチャン雑誌のクリスチャン記者が「断食」の取材のため、 自分も「断食」した体験が載せてあるのを読むと、その人も著者と同様であり、それは体質の 問題だということがわかって、ホッとしたことを覚えている。 むしろ、そのような者にも「断食」を 導いてくださった主に感謝したものだ。 どのようなかたちにしろ、3回の「断食」は、著者にとって、 神がご計画されていたことであり、主の方が必要とされていたことだったと、そう思う。 現在も、 特殊体質は変わっていないが、そのことを主がよくご存知なので、主の示し、導きがあれば 「断食」して祈ることがあるかもしれないと考えている。 めんどり通信/2013年1月6日号へ |
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