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2012年12月23日<神の選びと救いの計画の中に入れられ、とどまる者は幸いである>

「守られた」というとき著者の場合、こんな体験をした。 今までの人生の中で3度、主に命を
助け救われた。 著者が生まれる少し前、母親が畑で麦踏をしていて、しりもちをついたという。 
そのときに胎の中でくるりと回った。 陣痛が起きて、自宅で産婆さんが取り上げるとき、お尻から
出てこようとした。 しかしお尻から出てきても、頭がついてこないと赤ちゃんが危なくなるので、
産婆さんが、赤ちゃんの著者を胎の中に戻して、胎の中で回して頭から出てくるようにしたという。 
上手いベテランの産婆さんだったから助かったものの、へその緒が首に巻き付いて窒息して、
死んでもおかしくなかったと聞かされた。 また、幼稚園に入る前の幼いとき、近所の電器店の
お兄さんが、いつも配達の時、軽トラックに著者を乗せて行ってくれた。 ある日、どういうわけか、
その日に限って著者は、そのお兄さんの軽トラックに乗らなかった。 すると、そのお兄さんの乗った
車が踏み切り事故を起こし、残念ながら、そのお兄さんは亡くなった。 もし、いつも通り、著者が
一緒に乗っていたら著者も間違いなく死んでいただろう。 3度目、小学の低学年のとき、著者は
交通事故に遭った。 母親と一緒に銭湯に行こうと家を出た途端、気を失った。 傘がバイクの荷台に
ひっかかったという。 バイクの運転手は、雨で前がよく見えなかったらしいが、早く帰ろうと飛ばしていたという。 
通常なら、飛ばされるのだから傘がひっかかった時点で、傘が手から離れる。 しかし、どうも著者は、
気を失ったまま傘を堅く握っていたという。 運転手が気付くまで、ひっかかったまま引きづられた。 
バイクが気付いて止まったところがちょうどタクシー会社の前だった。  著者が目を覚ましたのは、
病院へ急ぐタクシーの中だった。 ほんのかすり傷ですんだ。 もし、傘を離していたら、後続車に
はねられていただろうということであった。 他にも多々あるが、特に以上の3度のことは、主に命を
助けていただいたと本当に思う。 著者がクリスチャンになって、主イエス・キリストのことを知れば
知るほどに、主に心から感謝が溢れてくると同時に、「主のために生きたい。主に喜ばれる者になりたい。」
という願いを真に持つようになった。


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