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2012年1月29日<主なる神は祈りに答えてくださるが、その答え方には様々な方法がある> | |
「祈りの答え」について、この間このようなことがあった。 主から頂いていた約束の「主のこと ば」があったが、それに関して、著者は自分の正直な願いを主に祈り申し上げていた。 その 祈りには必ず「この願いが主のみこころに沿わない、もしくは主のご計画のうちにないのでした ら、わかるように教えてください。すぐにその願いは却下します。」という祈りをつけていた。 申 し上げている願いが主が「良し」とされているかどうかが明確ではなかったのと、主はやさしい 方なので、本当は主のご計画のうちになかったことでも、あまりにもしつこく祈るのでその願い を「良し」とされるということがないようにという思いからだった。 自分の願いを押し通そうとするつもりはないが、人の奥に潜んでいる思いは自分ではなかなか 知ることは出来ない。 聖霊によって光照らしていただいてわかるという場合が結構多い。 だ から自分の気づいていない思いに用心した。 主が与えてくださった「主のことば」は、主が成 就、完了される。 そのために主がすでにご自身のご計画を持っておられるはずである。 そ のご計画を主が行なってくださるのが一番いいと著者は考えている。 その祈りをして数週間後、この間の早天祈祷のとき、その祈り(約束の主のことばに関して自 分の願い)をしていたとき、「この願いを却下します。与えてくださった主のことばだけに返りま す。そのことばを完了してください。」という宣言にも似た祈りが口をついて出てきた。 自分の 心の奥から「この願いを却下しよう」という思いがあったとわかったが、それは主が与えてくだ さった「思い」であり、「主がくださった祈りの答え」であることもわかり、主に感謝した。 この ような「主がくださる祈りの答え(応え)方」もあるのだと思ったものだ。 めんどり通信/2012年1月29日号へ |
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