★旧約聖書 申命記 30:19、20
私は、きょう、あなたがたに対して天と地とを、証人に立てる。私は、いのちと死、祝福との
ろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。あなたもあなたの子孫も生き、
あなたの神、主を愛し、御声に聞き従い、主にすがるためだ。…
★新約聖書 第一ペテロの手紙 5:8
身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのよう
に、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。
● この世界に生きている我々人間は、どうしても目に見えるもの、出来事、事柄、事象などを
見て考えたり、感じたり、判断したりする。どうしても目に見えるものに影響される。
しかし、
聖書では、世界には目に見えない霊の世界があり、霊の影響があることを教えている。事
実、神は「霊」である。だから肉眼では見ることができない。
しかし、多くのキリスト者たちは、
神である主が、実際、臨在されておられることを実感している。肉眼でキリストを見てはいない
けれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた体験をしている。それで霊
の世界があることを知っている。(Tペテロ1:8) そして、目に見えないこと、霊のことは、重要
であることも知っている。
また、神に対抗する「悪しき霊」の類(悪魔、いろいろな種類の悪霊〈例えば病の霊、おしの霊、
占いの霊、怒りの霊、争いの霊、批判の霊、・・・他多々)もまた、通常、我々の肉眼では見るこ
とができないが、これらの霊どもも、実際ずっと存在してきたし、今もなお存在している。聖書
は真実な「神のことば」であるが、その中に書かれている悪しき霊による出来事も、決して作り
話でもたとえでもなく、実際、起こった事である。
聖書の中に書かれている悪霊が働いたことの記述はたくさんある。
福音書では主イエスが悪
霊を追い出す場面が多く記されている。病が悪霊と関連している場合も多々あったようであ
る。旧約時代では、初代イスラエルの王サウルが、主に従おうとしないので神の霊が去り、
悪霊が激しく下ることがあった。そのような時には、家の中で狂いわめいた。 ダビデが琴をひ
いて静めようとしたが、そのダビデをサウルは殺そうとした。神に頼らず、霊媒の女に頼り、す
でに召されていた(死人)サムエルに頼ろうとした。サウルの本心、すなわち欲望、見栄、恥、
外聞…など捨てる気はさらさらなく、自分の思いや願望を主張するところに悪霊がつけ込んで
きた。間違った道へと誘われるのも無理はない。 ある意味、サウル自身の責任である。
主
が働かれようとしても働くことができないからだ。(Tサムエル記)
また、新約聖書のマルコによる福音書5章、ルカ8章、マタイ8章に記されている悪霊につかれ
て墓場で住んでいた男は、自分の意思や感情、思考(知能)まで悪霊にとりつかれていたよう
である。ただルカ8章29節に「汚れた霊が何回となくこの人を捕えたので、彼は鎖や足かせで
つながれて看視されていたが、それでもそれらを断ち切っては悪霊によって荒野に追いやられ
ていた。 彼は、夜昼となく、墓場や山で叫び続け、石で自分のからだを傷つけていた。」と書
かれているが、このところから、無理矢理、悪霊に捕えられ、悪霊によって叫ばざるを得ない
その叫びの奥にある彼の心の奥からの真の叫びが聞こえてくるようで、悲哀さが伝わってくる。
サウルがわめき散らしている叫びとは、違った印象を受ける。
墓場に住んでいた男は、悪霊にがんじがらめにされていたので、彼から、主イエスに解放を求
めたわけではないが、彼の心の奥にある真実な叫びを主イエスは聞き取って下さり、解放して
くださった。悪しき霊どもは「レギオン」と名乗り、二千匹もの豚の中に入り、険しいがけを駆け
降り、湖へなだれ落ちて、豚はおぼれてしまった。(めんどり通信/2013年1月27日参照) この
ように悪しき霊が入ったらあっという間に深刻な状態になる。悪しき霊は人に働き、人の生活
に悪影響を与える。
また、悪しき霊は、いろいろな物を使って、様々なかたちで働いたりもする。
イエスが弟子たち
を強いて舟に乗り込ませて、自分より先に向こう岸へ行かせたとき、弟子たちは向かい風で進
むことができなかった。イエスが舟に乗り込まれると風は止んだ。(マタイ14章) あるときは夕
方になって、イエスは弟子たちに、「さあ、向こう岸へ渡ろう」と言われ、舟で進もうとすると激し
い突風が起こって、舟が進めないばかりか、沈みそうになった。
そのときには、主は風を叱ら
れた。このように、「主のことば」が語られ、「主のみこころ」が行われようとするとき、行く手を
阻むように悪しき霊どもが働くことがある。この場合は、風を使って働いた。
さて、我々はつくづくと知っておかなければならないことは、悪しき霊どもは、人を地獄への道
連れにしようと躍起になっていることである。ペテロは、「あなたがたの敵である悪魔が、ほえ
たける ししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。」と言ってい
るが、これは今なおであり、終末に入っているかもしれないと言われている現代は、二千年前
より悪魔は必死になっていると思われる。悪魔や悪霊どもは焦っている感じさえする。
このこ
とは、決して大袈裟な言い方ではない。悪しき霊は力があり強い。
人にとりつきやすいだけ
でなく、何にでも取り付く。また、どんなものでも使う。
時には、物に付いてきて、とにかく人
を煩わせ、悩ませ、解決を人間の頭脳で考えさせ、真の神から引き離そうとする。 表面的なこ
とだけであれば、人の経験やカウンセリングや道徳や世のもので解決できるであろう。 しか
し、(悪しき)霊が関わっていると、人間的なものだけでは解決できない。 聖霊によらなければ
完全な解決はできない。
いずれにしても、もし、悪霊の影響を受けているとわかっているなら、主が定められた正しい
道、天の御国へ確実に歩んで行くためにも解放されることが必須である。また、自分が今、悪
霊の影響を受けているかどうかを、知ることは結構難しいものであるが、真剣に主に祈り、吟
味をしていくなら、主が直接なり、主が霊を見破る賜物を与えている人を通してなり、何らかの
方法で教えてくださるであろう。教えられたなら、必死で解放を求め叫ぶことである。
サウル
のようではなく、墓場に住んでいた悪霊につかれていた男のように、いわば心の奥からの正直
な真剣な求めを主は見ておられる。
最近、こんなことがあった。 先週木曜日、パソコンが壊れた。 週末に予定が入っているので
夜、早めに「めんどり通信」の準備をしようと始めた。 しばらくすると、ボッという小さな音ととも
に画面が消えた。 ブレーカーが落ちたのかと思って配電盤を見に行ったが異常なし。 パソコ
ンのところに戻ると煙がモクモク。 パソコンケースの中に何やら赤い火?が見えた。 急い
でコンセントからプラグを抜いた。 夜9時ころだったが、いつも世話になっているパソコン屋さ
んの携帯に電話。 翌朝、原因判明。 ムカデがパソコンの中に入っておりショートして機器周
辺が真っ黒。 ゴムのおもちゃくらい大きいムカデの3分の1が爆発、粉々。 残りの3分の2弱が
形として残っていた。 パソコン屋さん曰く。 「虫がパソコン内に侵入はたまにありますが、修
復不可能なくらい黒焦げになるのは珍しいですね。」
著者は、著者にとっては偶然はないと思っている。 今回のことは、主が何か働かれるから、悪
しき霊が先回りして邪魔をしたのではないかと考えている。 パソコンが壊れた木曜日に2人の
兄弟姉妹に「めんどり通信」を何回か読み直すことを勧めていたところだった。 その週とその
数日前にも3人の人に「めんどり通信」を何回か読み直すことを勧めていたからだ。 5,6年くら
い前までは、家の周りが空き地や田んぼだったが、今では周りに家が建って、ここ5年くらいム
カデらしいムカデを見たことがなかった。 データが取り出せるかどうか心配だったが、パソコン屋
にがんばってもらった。 結局、買って2年のパソコンだったが、新しく購入した。 心機一転だ。
主はこのことを益に変えてくださるであろう。
とにかく、悪霊につかれておかしくなるまではいかなくても、悪霊の影響を受けるときがあるか
ら、我々は今もなお、悪霊を追い出してくださっている主イエス・キリストに頼っていきたいもの
である。 聖霊に触れられて、解放と守りを頂き続けるためにも遜っていきたいものである。
★新約聖書 マタイによる福音書 12:34,35
まむしのすえたち。おまえたち悪い者に、どうして良いことが言えましょう。心に満ちている
ことを口が話すのです。 良い人は、良い倉から良い物を取り出し、悪い人は、悪い倉から
悪い物を取り出すものです。