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2017年5月14日<バプテスマ(洗礼)について思考してみる>

さて、著者の場合。 約20年以上前まで所属していた教会の牧師は、ある教団に属していた
が、主から「その教団は間違っているから、出なさい」と言われ、主のことばに従い出て、単立
の教会を建てられた。 だから、どこの教派教団にも属していない単立の教会だった。 著者
が、イエス・キリストを信じ受け入れてから、もう35年以上になる。 信仰にしっかり立ったのが
約30歳の時。 その頃から、多くの人に伝道し、次々と信仰が明確になる人が起こされ、その
人たちを牧師のところへ連れて行った。 それが当時の教会の方針だった。 その人たちが、
次々と水のバプテスマ(洗礼)を受けることになった。 その時、著者は、「自分は、水のバプテ
スマ(洗礼)をいつ受けたのだろうか?」という思いが脳裏をかすめた。 一緒に教会に通って
いたもう一人の人は、「自分はまだ受けていない。 家族が救われてから、夫婦一緒に受け
る。」とはっきり宣言していたと思う。牧師もそのことを了解していた。
 
ところが著者は記憶が曖昧だった。 牧師に「自分は受けていないように思います。だから、皆
と一緒に受けます。」と言った。 すると、牧師があわてたのを覚えている。 そばにいた婦人
牧師が、洗礼証明書(?)を持ってきて、「受けてるよ」と言われた。 そういえば、頭に牧師が
水を振りかけていたこと、両手をあげて異言を語りだしたこと、・・・など思い出したが、それら
は、2つの体験が一つになって思い出されたのか、水のバプテスマ(洗礼)と聖霊のバプテスマ
を両方1度に受けたのか、思い出せなかった。 水のバプテスマ(洗礼)と聖霊のバプテスマの
教えについても、聖書のことばの教えも解釈も あまり知らず、わかっていない未熟な時に受
けたと思った。 
 
ただ、信仰に固く立ったのは30歳だったが、それ以前から、よく祈っていた。 「自分のことを神
が一番よく知っておられる。 自分の内から出てくるものには、ロクなものがない。 神が定め
られた通りが一番良いし、自分にとって一番幸せなはず。」と本当に心底、思っていたからだ。 
その教会を約21年前に出てから、聖書のことば、キリスト教会のこと、儀式のことなど、いろい
ろ調べ考え、祈って、今日に至っている。 特に、7年前から教会の建て上げや教会のあり方
について祈り考え、ここ数年は、主に尋ねている。 
 
 



めんどり通信/2017年5月14日号へ


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