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2016年12月25日「一つになる」から、いろいろ思考する

20年以上前、教会から、いろいろな聖会や集会に参加させてもらったことがある。 聖会では、
多くの教会から信者たちが参加し、聖歌隊が、いろいろな楽器で演奏し、見事な歌声で賛美歌
をうたい、それに合わせて集まっていたクリスチャンたちが賛美歌を歌っていた。 数人の牧
師の説教があり、証しがあり、皆で主をほめたたえていた。 当然、参加した著者もその中に
いたのだが、当時、心の奥底に、「これはこれですばらしいことかもしれないが、この人たちの
日々の生活は、どうなのだろうか。 本当にキリストと一つになって歩んでいるのだろうか。 
主は今、喜んでおられるだろうか。」などの思いがあったことを覚えている。 
 
また、その聖会に参加した者たちには喜びはあったが、主への感謝、畏敬の念を抱いて、純
粋に喜んでいたというより、多くの人が集まって聖会が盛大なものになり、無意識にその喜び
に酔いしれていた部分が多いのではないだろうかと感じたことも覚えている。 約20年前、所属
していた教会を離れてから、いろいろな体験を通して主から教えられたことは、日々の生活、
普通の生活をしている中で、いつも「キリストと自分が一つになっていること」、「キリストにつな
がり続けること」の重要性である。 そのことが、根本にあること、そのことに取り組んでいくな
ら、主が本当になさりたいと思われることを示し、教え、導いてくださるということである。
 
 



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