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2013年9月1日<「死後の行き先」についての思考> | |
著者の体験。 思春期の頃(救われる前)、「死」について考えた。 考えれば考えるほど「死」 が恐くなった。 死後の行き先がわからなかったからである。 「死後の行き先」について、その 「答え」を求めて追求を始めた。 講演会で話を聞いたり、本を読んだり、考えたり・・・等々。 「答え」が見つからないので、挙句の果て 占い、霊媒へと心の赴くまま出かけて行った。 人 によって、言うことが違うので、信用できず、本を読み自分でも占い統計を取ったりと知らな かったとはいえ、神の忌み嫌われることを繰り返していた。 当然、「答え」は得られないばかり か、心の奥は満たされず苦しんだ。 占い師か霊媒師の中の一人が言ったことば、「あなたの 先祖には白装束の人(神事に携わった人?)がいる。 先祖があなたの肩にかかっている」が 妙に心に引っかかった。 その後、「答え」を求めるだけでなく、「先祖が浮かばれたら、自分も 幸せになれる(心が満たされる)」と思い、写経、様々な方法での先祖供養、八十八箇所巡り、 高野山参り・・・。 よくぞ、主はこのような著者に対して、忍耐をしてくださり、救ってくださった ものだと心から感謝している。 そんな著者が、初めて連れて行ってもらったキリスト教会で聖霊に触れられた。 牧師の話し の一言も覚えていないが、聖霊に触れられた感覚だけは鮮明に覚えている。 それから、言葉 ではうまく表現できないが、「死後の行き先」についての「答え」を少し見出せた。 またその5年 後くらいに、「答え」は明確になり、確信となった。 あの飢え乾いていた苦しみから解放され た。 それから、いろいろな体験を通り、聖霊に触れられて20年経った頃、心の深いところから 願いが出てきた。 「自分の寿命が終わったとき、『答えを下さった』主イエス・キリスト様のに こっと微笑まれたお顔をはっきりと見たいこと、その御前でお顔を拝すること、『よくやった』と主 からのお褒めのことばをいただきたいこと」である。 今、思うに、これらの願いは、主がくだ さったものだということである。 本当に、主に感謝である。 ![]() ![]() |
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