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2013年6月9日<主が与えられた位置にとどまっているなら神が立てた権威に従うことができる:ダビデから学ぶ>

著者の体験。 約17年ほど前、主のあわれみによって以前、所属していた教会から主が召し
出してくださった。 実際は「追い出された」のだが、「召し出してくださった」という言葉を、
教会を出て数年経って、ようやく使えるようになった。 当時の牧師は、信者を信仰に固く
立たせようと熱心だった。 だから、「とにかく牧師の言うことはみなイエス様が言っているのと
同じ」ということが信者の心の奥に入り込んだ。 著者も牧師は神が立てられた権威だからと、
必死に従おうとしたが、牧師の気に入る通りに従えていなかったようだ。 役に立たない、
どうしようもない、イエス様に嫌われていると教会を追い出された。 霊的にも深い方だったが、
カルロス・アナコンディアやベニー・ヒンなど怪しい器が導く流れを受け入れた。 その他、悪霊に
付け込まれる隙があり、それらをサタンは見逃さなかった。 しかし、そのようなことを著者は全く
見えていなかった。 むしろ、追い出されることにより、深く傷つき、人間不信、クリスチャン不信、
教会不信に陥った。 しかし、著者がこうして主から離れず今日があるのは、当時、必死に神が
立てられた権威に従おうとした、すなわち、みことばに従おうとした著者の心の奥(本音)の態度を
主は見られて、あわれんでくださったからだと思う。 心から主に感謝する。 そして、そのような体験は、
著者の自我を砕き、肉を切り取るためには必要なことであった。 


めんどり通信/2013年6月9日号へ



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