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2013年3月24日<「主に愛され、主を愛する」ことを固い土台にとして二者択一を選択する>

著者の場合も上記の方々と似た体験をした。 単立のキリスト教会に所属し、主に救われて、
牧師の指導のもと、熱心に伝道に励んだ。 主は、多くの人に引き合わせてくださり、多くの救われる
人を起こしてくださった。 牧師になるための指導、学びをその教会で牧師から受け始めた頃、
何かしら心の奥に疑問を感じた。 「牧師が言われることは、すべてイエス様が言われているのと
同じだから、牧師が言う通りにせよ」というのが、その教会の教えだった。 その牧師たちが訓練と
学びのため、著者に要求されることに一生懸命従おうとするが、心がついていかない。 それが顔にも
表われ暗くなる。 今、思えば、牧師の要求(ベニーヒンの心と取り替えてもらえなど・・)を心の奥底、
すなわち内におられる聖霊が拒否していた、むしろ聖霊の守りだったとつくづく想う。 
結局、牧師の言うことに従わず役に立たず、イエスに嫌われているからと教会を追い出された。 
出た後、田舎なので兄弟姉妹と町でばったり出会うことが多かったが、牧師からの緘口令からか、
彼らは、著者を無視した。 日本の教会の実情をある程度、知っていたので、他の教会に行く気には
なれなかった。 人間不信、教会不信、クリスチャン不信になり、本当にキリストに嫌われているのだろうか、
と悪霊の思う壺に入りそうな思いに駆られたこともある。 しかし、心の奥底から出てきた思いは
「イエス・キリストと聖書だけは間違っていない。こんな私でも滅びることは主の御心ではない。」と顔を上げ、
数年、必死に一人で祈りに祈った。 あれからもうすぐ17年になる。 著者が、踏みとどまることができたのは、
著者の熱心ではなく、ただ一方的な主のあわれみによると本当にそう思う。 人が救われることも、神からの
一方的なあわれみであるが、著者は、そのときもやはり同じあわれみを受けたとつくづく思う。 
心から主に感謝する。 主を愛さずにはいられない。 


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