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2012年8月26日<信仰の継承>

著者の場合。 主イエスへの想いが深まってきた頃、思い願ったことは、「子どもに命をかけた
キリストへの信仰を受け継がせたい」というものであった。 当時、信仰を反対されていた未信者の
家族に、「子どもは聖書を基準にして育てます。」と宣言した。 その後、祈って祈って取り組んではきたが、
今、改めて振り返って思い出してみれば、主に関すること、聖書に関することなどで、「強要」
「押し付け」じみたことも多々あったと思われる。 子どもたちを、みことば通りに歩ませたために、
子どもたちが傷ついたこともあったと思われる。 失敗も多々あったことは事実である。 しかし、
それを悔いて落ち込むことはない。 なぜなら、当時、必死で祈って取り組んできた。 必死で
主の導きを求めていた。  主は、そのことをご存知である。 だから、むしろ、完全でない、
失敗と思われるようなことでも、主は子どもたちにとっても著者にとっても益に変えてくださると、
本当にそう思う。 子どもに「信仰の継承」「霊性の継承」をさせることは、子どもであっても、
一人一人が神との直接的な関係を持たせることが重要であると
考えている。 そのためには親である著者が、しっかりとした主との直接的な関係を持ち続けることが
必要であると考えてきたし取り組んできた。 また、子どもには苦労をさせたくない、苦しみを
通らせたくないという親心は、脇に捨てなければならないことも痛感している。 親も子も、
苦労なしに、苦しみなしにすんなりと「信仰、霊性」は継承されるものではない。 確かに、
主は「家」「家族」単位で見ておられるが、それでも、神と人との一対一の関係が最優先である。 
キリストと子どもが一対一で、直接的なつながりを持たせることが、「信仰の継承」「霊性の継承」
と考えている。 そして、このことは、子どもが大人になったから終わりというものではないと考えている。 
この地上に生きている間、 「信仰、霊性」を受け継がす側として、主イエス・キリストにつながり続け、
祈りつつ見守っていくことも「責任」の中の一つと考えている。 その中で最大のことが、子のための
「祈り」である。 「祈り」こそが、一番必要かつ重要である。


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