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2011年9月11日<自分の解釈判断でみこころを行うのではなく、主が示されたみこころをキリストにしっかりつながって行なうことが大切>

約20年前、著者が以前の教会に所属していた当時、牧師命令で市内をトラクトを持って戸別
訪問伝道をしていたときのことがある。 ある団地を1軒1軒、訪問して留守宅にはトラクトを入
れた。 団地では、いろいろなセールス訪問が多いためか、ドアに「セールスお断り」というス
テッカーを貼っているところも多かった。 

今も、エホバの証人の戸別訪問は多いが、当時も多かった。 一人でも正しい、本物の救いを
受けて欲しい、エホバの証人に引っ掛からないでほしい、自分はセールスをしているのではな
い、「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。(マルコ16:15)」の
みことばを行なっているのだ、と思い伝道していた。 ある1軒のドアの前に立つと、そこも「セ
ールスお断り」と貼ってあった。 しかし、著者は玄関のチャイムを押した。 すると、ドアが開く
なり、「どあほ!おのれは、これが貼ってあるのが見えんのか。・・・・・・」とすごい剣幕でいろい
ろな言葉でののしられ、怒鳴られた。 著者は思わず「すみません。」と謝って立ち去った。

そのとき、心の中で「みことばを行なっていたのだから、それで攻められても仕方ない。右の頬
を打たれたら左の頬を出せ、迫害する者のために祈れ、・・・・あの人が救われますよう
に・・・・」などと思い巡らしていた。 しかし、心のどこかに引っ掛かりを感じた。 それで、主に
尋ね祈った。 

すると主が教えてくださったことは、著者は「みことば、みこころを行なっていた」と思い込んで
いたが、神から見られたら、実際は行なっていなかったということである。 「すべての造られた
者に、福音を宣べ伝えよ」というみことばを行なうにも神のみこころの時、場所、詳細があると
いうことである。 すべての人も事も、詳細を主はご存知である。 そのお宅を、その日のその
時間に訪問することは、主のみこころではなかったということだ。 主のことばを、キリスト教会
の常識や自分の基準で解釈、判断して、行なうのではなく、主が示してくださることを知って、
示された通りに行なうことが、本当に主が願われる「みこころを行なう」ことであることを教えら
れた。 その後は、一つ一つ主のみこころを求めて祈り尋ねてから行動するようになった。


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