めんどり聖書研究会


めんどり通信/2018年2月20日(火曜日)主は復活され今も生きておられます!
<お知らせ(5)


★旧約聖書 箴言 2918

 預言がなければ民はわがままにふるまう、しかし律法を守る者はさいわいである。(口語訳)

 幻がなければ、民はほしいままにふるまう。しかし律法を守る者は幸いである。(新改訳)

 幻がなければ民は堕落する。教えを守る者は幸いである。(新共同訳)

 

●2017年までの形の「めんどり通信」を終えた後、いろいろな導きや教えがあり、祈りつつ、

聖書と照らし合わせながら「めんどり通信」を読み直したりしていて、「めんどり通信」の内容の

一部に修正が必要だと感じた。 「ビジョン」に関するメッセージである。 「ビジョン」は、著者が

見たものではなく、聞いたものであり、当時は、大丈夫だと思いアップしたが、改めて読むと、

そのままHPをアップしておくのではなく、修正すべきことが主の導きだと思った。 「ビジョン」

のすべてが間違いというのではないが、ほんの少しでも違和感があるものは載せるべきでは

ないと判断した。 それで、祈りつつ修正を始めることにした。

 

ビジョンが真実、主からのものだとしても、そのビジョンの中に ほんの砂つぶほどの偽(肉の

感情、考え、思い、願い、悪しき霊からのものなど)が入っていたなら、それはもはや、神から

の真実とは言えない。 また、ヨハネの福音書11には初めに、ことばがあった。ことば

神とともにあった。ことばは神であった。と書かれている。 旧約聖書 箴言2918

幻がなければ民は堕落する。とあり、キリスト教会でも「幻、ビジョン」を高く掲げることを勧

めているが、「幻、ビジョン」が、「主と主のことば」より上に立つことは御心ではない。 もちろ

「幻、ビジョン」「主のことば」と同等の場合もあり得るが。 それでも、主と主のことば」

が最優先であるべきだ。 

 

ちなみに日本語の「幻」という意味は、辞書(goo辞書、広辞苑など)によると 『実際にはない

のに、あるように見えるもの。 例えば「死んだ母の幻を見る」というように・・』、などと説明さ

れている。 しかし、聖書においての「幻」は、「幻」原語(ヘブル語)は、「ハーゾーン」 で、

「見る」という動詞「ハーザー」の名詞形で、見たもの といった意味であるという。 聖書におい

ての「幻」は、日本語の「幻」のように、実際には ないのではなく、実際に実在するのである。 

ただ、「幻」を見るには、主の働きのために神からの賜物を頂いていて、特別に神に示された

人だけが見ることができるようである。 

 

新改訳新共同訳では、この箇所(箴言2918)を「幻」と訳されているが、口語訳では

「預言」と訳されている。 文脈からすると、「預言」の方が正しいと思われるが、皆が一致団結

したり、心が高揚するためには「幻、ビジョン」の方が適していたのかもしれない。 それに映

像などが伴えば、更に現実味を覚え、奮起できるのかもしれない。 多くのキリスト教会でも、

この箇所が賛美で高らかに歌われている。 しかし、この箇所で、主が言わんとされているこ

とは、「主と主のことば、キリストに焦点を向けていなければ、民(キリスト者)はほしいままに

ふるまい、結局、滅びる」、または、実在される主イエス・キリストを見つめていない民(クリス

チャン)は堕落して、結局、滅びる」ということではないだろうか。 神のご計画である主イエス・

キリストにとどまり続けることが必要であるということだ。 人間というものは、好き勝手に歩み

たがる者であるからだ。 

 

聖書の登場人物であるアブラハムには「主のことば」が語られた。(創世記121-3,713

1-3,14-17174-818182216-18 また、主のことばが幻のうちにアブラムに臨んだ」

も書かれている。(創世記151) アブラハムは、そのときから故郷を捨て、旅立ち、いろいろ

な出来事を体験し、いろいろな波がありながらも、水に浮かぶ浮き輪のように完全に沈むこと

なく神の指し示すものを見つめて生きる歩みとなった

 

旧約のヤコブは、人生のどん底のとき、一つのはしごが地の上に立っていて、その頂は天に

達し、神の使たちがそれを上り下りしているのを見た。(創世記2812」 ヤコブの生涯を見る

と、与えられたビジョンは、すべて神からであり、現状からは到底想像できないほど、スケール

の大きい「ビジョン」だった。 そして、主はヤコブにもアブラハムと同じように直接なり夢なりで

「主のことば」を語られた。(創世記2812313,11462-他) 明らかに神の計画の中にあっ

たことだった。 

 

ヨセフは、2回夢を見た。(創世記37章) それは、正夢となった。 この夢は神からの「ビジョ

ン」であり、「主のことば」であった。 これらが現実のものとなったのは、ずっと後のことである。

(創世記429〜) それまでの期間、「主のことば」のゆえにヨセフは苦しみ、悲しんだ。 神か

らの試練を通ったのである。 

 

アブラハム、ヨセフ、モーセ、ダビデ、パウロ、・・・など聖書の多くの人物が、神から直接「こと

ば」を語られたり、神からの「幻」、神からの「ビジョン」、神からの「夢」などが与えられている。 

彼らに与えられた「ことば」、「幻」、「ビジョン」、「夢」は、スケールが大きい。 そして、それらの

「ことば」、「幻」、「ビジョン」、「夢」の通りになっている。 ただ、そうなるために、彼らはみな、

「神からの訓練試練」の道を通っている。 そうして、整えられながら約束の主からのことば」

通りになっている。

 

今日、我々キリストを信じる者には、肉眼では見えないが、父なる唯一の神のみがおられ、唯

一の主イエス・キリストのみがおられるだけである。(Tコリント86 そして、「神からのことば」

がある。 だから「主と主のことば」を最優先すべきであり、そこから右にも左にも逸れてはなら

ない。 

 

さて、祈りつつ修正を始めるが、修正できたものから再度アップしたいと考えている。 修正

部分について、まとめると、@さばきについてのビジョン:聖書にもそのような箇所はあるが、

死と生について、死後のことについては「神の領域」だと思っているので、主にゆだねた。 裁

きについて聞いたビジョンのほとんどは、HP上にはアップしていない。 A将来のことのつい

ての預言的なもの:主の再臨はキリスト者が長年求めていることであり、「終末」、「再臨」につ

いては教会ごと、教団、宗派ごとに様々な教えがあり、どれが真実かの判断は難しい。 だか

ら、「ここが聖書の裏付けとなると思う」と著者が受け取っているものだけを載せた。 とにか

く、その時が来たら、神のご計画通りになるであろう。

要は、著者が聞いた
すべての幻、ビジョン(映像、幻視)は、すべて主におゆだねした。  聞い

ビジョンの中には、主から与えられているものもあるとは思うが、やはり冒頭でも書いたよう

に、少しでも人の考えや感情、考え、思い、願いが入っているものは、主からのものとは言え

ず、むしろ、悪しき霊がそれを利用する危険性すらある。 だから、見直し修正する必要があ

ると思った。 ただ、めんどり通信/201454のように、複数の人が別個に同じものを与

えられて一致しているものは、主からのものと思っているので、修正はしない。 その中のひと

りの者は、厳しい試練訓練を受け続けているからである。 そして、改めて内容を見てみると、

逸らしの危険性がなかったからだ。

神に用いられるのは、主のご計画からみると、砕かれていない人であれ、砕かれた人であれ、

神はご自身が用いようとされる者を用いられることは、聖書を見るとよくわかる。 滅んでしま

ったが、尊い働きに用いられた人も多い。 イスラエルの初代王サウル、旧約のバラム、イス

カリオテのユダ、などなどである。 しかし、大事なことは、やはり、一人一人が、いかに、

「主イエス・キリストに繋がり続けている」か、「神と自分、主と自分、キリストと自分の一対一

のしっかりした関係になっている」か、「親しい交わりがある」かどうかだ。 そのことに、真剣に

取り組んでいるなら、砕かれ、清められ、整えられて、主を愛する者に変えられていく。 

 

自分では取り組んでいると思っている最中に、嫌なことにあった、辛い目にあったなど苦労す

るようなことが起こってきた時、すべて主からの試練訓練だと思ってしまいがちであるが、そう

だと言えない場合も多い。 取り組んでいない人でもキリストを信じていない人でも、厳しい苦

難にあって相当な苦労をしている人も多い。 それらは、神からの試練訓練と言えるものでは

ないが、その中には、立派にそれらの苦難から乗り越えている人もいる。 すばらしいことで

はあるが、神とは何の関係もない。 ただ、神が救おうとして、神に立ち返らせようとして、敢え

てそういうところを通されているという人もいるかもしれないが、我々人には、なかなか判断で

きるものではない。

 

要は、「主のために」苦しんでいるのか、「主から与えられていることば」を忠実に行おうとして

の苦しみであるのかどうかが、ある意味、主からの訓練試練かどうかの目安なると思われ

る。 結局のところ、キリストを信じるという者は、「神と自分が一対一の親しい関係」、「主と自

分が一対一の親しく交わる」ことができるように取り組んでいくことが大切であるということだ。

 

 ★旧約聖書 ミカ書 720

  昔からわれわれの先祖たちに誓われたように、真実をヤコブに示し、いつくしみをアブラハ

  ムに示される。

 

★旧約聖書 ゼカリヤ書 816

  あなたがたのなすべき事はこれである。あなたがたは互に真実を語り、またあなたがたの

  門で、真実と平和のさばきとを、行わなければならない。






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