めんどり通信/2015年8月23日。主が復活された記念すべき日曜日です!ハレルヤ! <目に見える世界の出来事には、目に見えない霊の世界との関連がある:ダニエル書10章か ら思考>
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★新約聖書 コリント人への手紙 第二 4:18
私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時
的であり、見えないものはいつまでも続くからです。
★新約聖書 コリント人への手紙 第二 10:3、4
私たちは肉にあって歩んではいても、肉に従って戦ってはいません。 私たちの戦いの武
器は、肉の物ではなく、神の御前で、要塞をも破るほどに力のあるものです。
●聖書には、目に見えない霊的な世界があること、地上の出来事の背後に、霊的存在の働き
があるということについて、いろいろなかたちで書かれている。 その中で、ダニエル書10章を
見てみる。 ペルシャの王クロスの第3年、老齢(80歳後半)になったダニエルに、一つの啓示
が与えられた。 このとき、3週間の喪に服していたが、ヒデケルという大きな川(ティグリス川)
の岸で、亜麻布の衣を着、腰にはウファズの金の帯を締め、そのからだは緑柱石のよう、顔
はいなずまのよう、目は燃えるたいまつのよう、腕と足は、みがきあげた青銅のよう、そのこと
ばの声は群集の声のようなひとりの人を見た。 ダニエルと一緒にいた人たちは幻は見なかっ
たが、異常な出来事が生じていること、その存在を感じて震え上がって逃げ隠れた。 ダニエ
ルは、この特別な存在を前にして意識を失って、うつぶせに地に倒れた。
内容やレベルにもよるが、「真実な神のことば」を受けることは、ある意味、大変なことである。
壮大な神のご計画に関する「ことば」であり、「大きないくさ」がある「ことば」「啓示」ならば、尚
更である。 ダニエルのように長年、神からの訓練試練を受け、様々な啓示、幻を受けてきた
者であっても、倒れたのである。 しかし、ダニエルは御使いに励まされ、力づけられて立上っ
たが、また力を失い、また立上らせていただくという状態だった。 それほど、「いくさ(戦い)」が
伴う「神のことば」「啓示」は、すばらしいが もの凄く大変なことであるからだ。
この「大きないくさ(戦い)」とは、この地上での肉の戦いではなく、天における霊的な戦いのこと
である。 神の軍勢とサタンの軍勢の対決である。 黙示録12章7節にも「さて、天に戦いが起
こって、ミカエルと彼の使いたちは、竜と戦った。」と書かれている。 ダニエルのところに来た
のも天的存在者(霊的存在:御使い)たちであった。 このことについて、パウロは、「私たちの
格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にい
るもろもろの悪霊に対するものです。(エペソ6:12)」と言っている。 ちなみに、ダニエル書10
章5節の「ひとりの人」とは、イエス・キリストご自身であるとの見方が多いようだが、著者もそう
思う。(黙示録1章より)
何度も力づけられてダニエルはようやく「わが主よ。お話しください。」と主のことばを聞く態勢
が整った。(ダニエル10:19) ダニエルが祈り始めたとき、すぐにその祈りは聞かれていたとい
う。 それで、祈りの応答のために、そして、「終わりの日にあなたの民に起こることを悟らせる
ため」に、御使いたちはダニエルのところに来たのだという。(ダニエル10:14) ダニエルの祈
りに対する応答は、すでに3週間前に用意されていた。 しかし、「ペルシヤの国の君」の妨害
があり、第一の君のひとりミカエルが助けに来たので、そこは彼に任せて、ダニエルのところに
来たが、結果的に二十一日間(3週間)遅れたのだという。
また、人間のように見える者は「ペルシヤの君と戦うために帰って行く。私が出かけると、見
よ、ギリシヤの君がやって来る。」とギリシャの勢力が台頭することを預言した。 その上で、
「しかし、真理の書に書かれていることを、あなたに知らせよう。あなたがたの君ミカエルのほ
かには、私とともに奮い立って、彼らに立ち向かう者はひとりもいない。」と言った。 ペルシヤ
帝国であろうが、ギリシャ帝国であろうが、真に力を発揮し、本当の意味で戦うことができるの
は、このダニエルにみことばを伝えた人間のように見える者とイスラエルの大天使ミカエルだ
けだということだ。 明らかに天における霊的な戦いである。 天上での戦いの後、ペルシャが
ギリシャに攻撃をしかけたり、ギリシャのアレキサンダー大王がペルシャ軍を徹底的に打ち
破ったりと11章で預言されたことが実際となっている。(U列王記25:8,9)
これらのことから、目に見える世界の出来事の背後には、目には見えない霊的な世界での戦
いがあるということ、目に見える世界も目に見えない世界も現実であり、表裏のように重なって
いるということが示されていると思われる。 表裏は同時進行していると思われるが、目に見え
ない霊的な世界での戦いの方が、時間的に先である場合の方が多いと思われる。 エゼキエ
ル書10章でも、主は亜麻布の衣を着た者に炭火をエルサレムの町にまき散らせと命じられて
いるが、これはエゼキエルの幻視体験、すなわち霊の世界でのことである。 「炭火をまき散ら
せ」は、火によってエルサレムの町が焼かれることを意味しているが、それが数年後、エルサ
レムが火で焼き払われるという現実、実際となった。(U列王記25:8,9、U歴代誌36:19) い
ずれにしても、霊の世界での実際が、目に見える世界の実際となるということである。 また、
目に見えない霊の世界での勝利が、目に見える世界に勝利をもたらすという「事実」がある。
さて、神に愛されれている者の祈りは、聞かれ、神がなさろうとすることを前もって知らせられ
るということも この箇所から知ることができる。 ダニエルが祈っていたのは、エルサレムに
帰還したユダヤ人たちが、エルサレム神殿再建を始めると周辺の住民から強い反対があり、
工事を中断したことを憂い、またイスラエルの民のこれからの歩みを案じて、とりなしの祈りを
していたと思われる。 神に愛されている者は、神のみこころにかなった祈りをしているというこ
とである。 このような、主のみこころにかなった祈りだから、祈り始めた時点で すでにその祈
りは聞かれていたのだとも言えるのかもしれない。 ヨハネの手紙第一5章14節には「何事でも
神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に
対する私たちの確信です。」と書かれている。
前もって、神がなさろうとすること、神のご計画のことば、啓示を知らせられる者は、神を愛し、
神から愛されている者であるが、そのような者は、神の「友」、主の「友」と、神である主が見な
されている。 創世記でソドムとゴモラが滅ぼされる時も、「わたしがしようとしていることを、ア
ブラハムに隠しておくべきだろうか。(創世記18:17)」と主は言われ、アブラハムに前もって知
らせられた。 そのことを知ったアブラハムは、ソドムに住んでいた甥ロトとその家族のため
に、とりなしをすることができた。 結果的にはロトの妻は塩の柱になったが、ロトと2人の娘は
救い出された。 アブラハムが神の「友」だったからである。
また、イエスは仰せられた。 「わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは
主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞
いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。(ヨハネ福15:15)」と。 ダニエルほどの大
変なことばでなくても、神のご計画が進んで行くにあたって、我々一人一人に「主のことば」が
与えられることは、大変なことではあるが、貴重なこと尊いことでもある。
ダニエルは、神殿再建に関することで祈り、その祈りが主のみこころにかなっていた。 神殿と
いうとき、パウロはキリストを真に信じている者を、「聖霊の宿る神の宮、神殿」と言っている。
(Tコリント3:16、6:19) また、真にキリストを信じる者のからだは、キリストのからだの部分
(一部)である。(エペソ5:30) 主なる神は、キリストを かしらとして、すべての真にキリストを
信じる者たちを肢体とする一つのからだを建て上げておられる。 だから、真にキリストを信じ
る者は、そのために祈ることが大切である。 そして その祈りは、一人一人からだの部分に働
きの大小の違いがあるように違いがあるだろう。 だから、一人一人に応じて、主が求めさせ
たいことを求めるのが主のみこころにかなうことだと思われる。 そのためには、主としっかり
つながっていることが必須条件である。 ダニエルが祈った「祈り」は、主が彼の心に与えられ
たのではないかと思っている。 著者は、主のみこころにかなった「祈り」や「思い」が出て来た
ときには、主が与えてくださったから、そのような「祈り」ができる、そのように「思える」と、そう
考えているからだ。 主に感謝!
今日、その主のご計画は進んでいるように思われる。 それだけに、妨害も多い。 サタンは
神のご計画を必死で阻止しようと偽預言者、偽教理を教会、クリスチャンの中に浸透させる、
主のみこころを行なうべきと言いながら律法主義に陥らせる、悪霊を聖霊と思わせたり、正し
い霊の識別から遠ざける、・・・などを教会の中に、キリスト者の中に巧みな方法で浸透させて
いる。 サタンは自分たちには火の池が待っていることを知っている。 だから、一人でも多く
の者を道連れにしようと躍起になっている。(Tペテロ5:8) 天では今なお戦いが続いている。
しかし、旧約の昔から主なる神が預言者たちや神が立てられた人たちを用いて語られてきた
「主のことば」は、必ず成就される。 聖書に書かれている「ことば」、主が語られた「ことば」、
主が与えられた「幻(ビジョン)」には、必ず完了の時が来る! 実現の時がある!
我々は、目に見えない霊の世界が現存していることを認めて、目に見える出来事に振り回され
ないよう、惑わされないようにしたいものである。 目に見える世界がどのような状況、状態で
あれ、目に見えない天における霊の世界では、天の存在者たち(御使い)が、主とともに祈りに
答えて戦っておられるのだから、キリストを見て奮い立ちあがっていきたいものである。 我々
は、霊の武器である「祈り」を主から与えられて絶えず祈り続けていきたいものである。
★新約聖書 第一テモテの手紙 6:12
信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。
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