めんどり聖書研究会


めんどり通信/2014年9月21日。主が復活された記念すべき日曜日です!ハレルヤ!
人に応じてその時その時にすべきことがある。じっと耐えることもすべきことの一つ:ダビデが罪を犯した後を思考>


★旧約聖書  イザヤ書 63:9
   彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、ご自身の使いが彼らを救った。その愛とあ
   われみによって主は彼らを贖い、昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた。
 
●主イエス・キリストを真に信じるということは、人の生涯において、その人自身が神と関わり
を持つということであり、神に愛され神を愛して、キリストと共にこの地上を歩むということであ
る。 この神に愛され神を愛した聖書の登場人物の中で、ダビデを見ていく。 ダビデの生涯
は、大きく分ければ3つに区切られる。 生まれてから神に見い出されて、預言者サムエルか
ら油を注がれるまでの少年期。(Tサムエル16:13 ) サウルに仕え、その後サウルから逃れ
て逃亡生活を送った時期。(Tサムエル17章〜31章) 30歳で王となってから王としての約40
年間の時期。 更に、王となった時期は、2つに分けられる。 バテ・シェバとの姦淫の罪、ウリ
ヤ殺しの殺人の罪を犯す前と後である。 
 
今回、バテ・シェバとの姦淫の罪、殺人の罪を犯した後を思考してみる。 ヘブロンにいたと
き、6人の息子が誕生。 母親はみな違う。 さらに、そばめの子どもたち、女子もいたという。 
ダビデは姦淫と殺人という大きな罪を犯してしまった。 しかし、彼はすぐに悔い改めた。 その
悔い改めは軽いものではなく、彼がどれほど深く悔い改めたのか、詩編51篇を見ればわか
る。 その心を見られた神はダビデを赦された。 しかし、一旦語られた「主のことば」は成就す
る。 第二サムエル記12章11節に書かれているわざわいは、第二サムエル記16章22節で成
就した。 「あなたに生まれる子は必ず死ぬ。」のことばは、すぐさま成就した(Uサムエル1
2:18) 「今や剣は、いつまでもあなたの家から離れない。(Uサムエル12:10)」は、その後続
いて成就していった。 
 
ダビデは、サウルに命を狙われて、逃亡生活をしているとき、苦しみにじっと耐え続けた。 
えに耐えた。 しかし、その苦難によってダビデの神への「信仰」は、成長していった。 ダビデ
「王」になる前の事である。 30歳で「王」になった後、複数の妻と子どもたちを持った。 そし
て、ヘテ人ウリヤの妻バテ・シェバと姦淫の罪を犯し、バテ・シェバの夫ウリヤを剣にかけ殺
し、バテ・シェバを自分の妻とした。 その後から、恐ろしい家庭内の事件が次々と起こった。 
まず長男アムノンが腹違いの妹タマルをはずかしめるという罪を犯した。 このことで「ダビデ
王は、事の一部始終を聞いて激しく怒った」と記されている(Uサムエル13:21) ダビデは誰
に対して激しく怒ったのかは書かれていない。 一般的な受け取り方は、ダビデが、アムノンに
何の処罰も与えなかったのは、彼を甘やかしていたからだ。もしくは、自分もバテ・シェバと同じ
姦淫の罪を犯したので、アムノンを叱りつけ、懲らしめを与えることができなかったのだ、という
ことのようだ。 そうだろうか? 
 
本当に心底から悔い改め、神もそのように見られたなら、明確に「罪が赦された」という確信を
持てる。 ダビデの場合、預言者ナタンによって、罪が赦されたことを明確に聞き確信を得た。 
罪が赦されたことを明確に知ったなら、決して自分が犯した罪意識に責められることはない。 
ただ、その犯した罪は忘れないであろう。 それをもって へりくだるためである。 しかし赦さ
れる前と赦された後の立つ位置が違う。 だから、「赦された」と確信を持った者は、同じ罪を
犯した者に対しても、それは間違っている、悔い改めるべきだと言うことができるはずである。 
たとえ自分の子どもであったとしても言えるはずである。 だから、アムノンをしかりつけ、相応
の懲らしめを与えていないことは、何かほかに理由があったのかもしれない。
 
タマルと同じ両親のダビデの三男アブシャロムは、アムノンに相当の憎しみを持った。 アブ
シャロムがアムノンを殺そうと思うまでの憎しみを持ったのも、やはりダビデがアムノンに父とし
て何の措置もとらなかったからだという意見も多いが、そうだろうか? それでは、どのような
措置を取ればよかったのだろうか? 主に尋ねたらよかったではないか?という意見もあろ
う。 ダビデは、本当に主に尋ねていなかったのだろうか? 詩編によるならば、ダビデは姦淫
と殺人の罪を悔い改めただけでなく、罪を引き起こす自分の内側にある「罪の性質」、「生まれ
ながらの性質」にきちんと向き合って苦しみ悩んでいる。 そして、その「罪の性質」、「生まれ
ながらの性質」からの「救い」、「解放」も真剣に求めている。 また、姦淫と殺人の罪を犯した
時のようにサタンの罠にはまったわけではない。 だから、主に尋ねていた可能性はある。 
ただ、主に尋ねてもすぐに主からの「応え」がなく、そのときの自分の心から出てくる言動を行
なったとも考えられる。  
 
アブシャロムは、アムノンに対して用意周到に復讐する日を密かに待っていた。 事件から2年
経った後羊の毛の刈り取りの祝い」を催し、父ダビデの息子たち全員と、父ダビデとその家
来たちも一緒に招待した。 自分たち全員が行くことはアブシャロムの重荷になってはいけな
いから、とダビデはアブシャロムのことを想い、ただ彼に祝福を与えた。 すると、アブシャロム
はアムノンを名指しで、出席することをダビデに求めた。 まるでアムノンがダビデの名代のよ
うなニュアンスを持たせたのではないだろうか。 それからダビデの息子たち全員は出かけた
が、アブシャロムはその祝いの席で部下に命じてアムノンを殺害した。 その後すぐに、アブ
シャロムは母方の故郷であるゲシェルに逃げて行き、三年の間そこにいた。
 
アムノンが殺されたことを聞くと、ダビデ王だけでなく、家来たちもみな、非常に激しく泣いた、と
書かれている。 Uサムエル13章39節14章1節新改訳口語訳、新共同訳は正反対の意
味になっているが、英訳などからも、ここは、それぞれ、ダビデは、いつまでもアムノンの死を
嘆き悲しんだが、3年経って、アムノンの死をあきらめ、アブサロムに会うことの方に心が向き
始めたということ、ヨアブは王の心がアブサロムに向かっているのを知ったということである。 
ダビデの心がアブシャロムに向き始めていたようだが、ダビデがアブシャロムと会わなかった
ことは、ある意味、アブシャロムに対しての懲らしめとなっていたのかもしれない。
 
その後、ダビデとアブシャロムは再会した。 息子は王の前で地にひれ伏して礼をし、王は息
子に口づけした。 しかし、その後4年間、アブシャロムは謀反を起こすための周到な準備を始
めた。 そして、遂に謀反を起こした。 いくらアブシャロムが、イスラエル人の心を盗んだと
言ってもダビデに戦う力が残っていなかったわけではない。 しかしダビデは戦うことなく、王の
座を明け渡すために都エルサレムを出た。 エルサレムを火の海にしたくなかったことや息子
アブシャロムを想う心、イスラエルの民を犠牲にしたくないという気持ちがあったためだと思わ
れる。 しかし、アブシャロムと戦わなければならなくなり、その戦いでアブシャロムは死んだ。 
 
ダビデの晩年、今度は四男アドニヤが謀反を起こした。 結局、ソロモン王に殺された。 アド
ニアもまた、父親としてダビデが躾(しつけ)を怠っていたから起きたということをよく聞く。 ま
た、アムノン、アブシャロム、アドニアと三人の息子が死に、タマルは腹違いの兄にはずかしめ
られたという、これらの不幸は、ダビデが「罪の結果を刈り取っている」いうこともよく聞く。 「罪
の刈り取り」というのは、ある意味「神の罰」であるとも聞いたことがある。 しかし、著者はどう
してもダビデが悔い改めた後、神の罰を受けたとは思えない。 ただ、罪は赦され(許され)て
も、罪を犯してしまう「生まれながらの性質」、「自我」、「肉(ガラテヤ5:19-21)」は砕かれ切り
取られて、変えられていく必要がある。 
 
この地上で生きていく中で自我は強くなり、「肉」は強くなってくる。 我々すべての人は、アダム
以来の「罪」「罪の性質」を受け継いでいる。(ローマ5:14) だから、またぞろ、「罪」を犯して
しまう可能性はいつでもある。 まして、サタンは食い尽くすべきものを探し回っている。(Tペ
テロ5:8) 誘惑、欲望、偽善、・・・などは、いろいろな形で世にはびこっている。 パウロは「あ
なたがたはまだ、罪と戦って、血を流すまで抵抗したことがありません。(へブル12:4)」と言っ
ているが、自我が砕かれていない者、が切り取られていない者は、この「罪」に抵抗すること
ができない。 たとえ、明らかに「罪」とわかっていることには抵抗できたとしても、サタンの巧妙
な罠による形の「罪」「神に忌み嫌われること」の識別ができず、知らず知らずのうちに、サタ
ンの罠にはまる可能性は大いにある。 「狭い道」を歩んでいるはずが、実は滅びに向かう「広
い道」だったということもあり得る。(マタイ7:13,14)
 
人は初めから完全な者はいない。 ダビデも同様である。 主なる神は、救い出した一人一人
を、「完全な者」とするため、一人一人に応じての「懲らしめ(訓練、鍛練)」を与えられる。 ダ
ビデは、姦淫の罪、殺人の罪を悔い改めた後、次々に子どもたちによって起きた悲惨な出来
事のたび、自分の性質、すなわち「親ゆずりの性質」を受け継がせてしまったことに対しての苦
しみが尋常ではなかったと思う。 著者は、悲惨な出来事のたび、ダビデは、主に尋ね祈った
のではないかと推測している。 しかし、主は応答されなかった。 だから余計、ダビデは「生ま
れながらの性質」「罪の性質」に激しい怒りを覚え、深く傷つき苦しんだのではないだろうか。 
その苦しみ痛みがダビデの肉を切り取っていき、そのたびダビデは、神が望んでおられる「完
全な者」へと変えられていったのではないかと思う。(マタイ5:48、Uコリント13:11) 
 
アムノン、タマル、アブシャロム、アドニアは、事件のあった時の年齢は成人であったと思われ
る。 だから彼ら一人一人と神とのかかわりは、ある程度彼らに責任があると思うが、とにかく
ダビデは、「耐える」しかなかったのではないかと思う。 人間的観点からは、子どもたちにス
カッとした措置を取り、勇敢な栄光あふれるダビデの姿を望むところだが、神はダビデに「耐え
る」ことをさせたのではないだろうか。 それが「神のご計画」であり、「聖霊の流れ」に乗ってい
たことになるのではないだろうか。 ダビデも自分が(その時)すべきことは「耐えること」だと
悟っていたのかもしれない。 だから流れに身を任せていたように思われる。 このように、
れに任せなければならない時がある。 聖書からすると「主の御心」はこうだ、ああだと言い切
れるようなときでも、流れに身を任せなければならない時がある。 流れに身を任せている
ら、スカッとした言動を取れず、むしろ、苦しみばかりが押し寄せてくるように思える時がある。 
その時は「耐える」「耐えている」時である。 しかし、それは神の御手の中にあることだ。
 
耐え抜いたダビデは、ソロモンに遺言と王位を譲ったあと、ヤコブの手紙1章4節ことば
り、「何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者」と神に見なされ、息絶えた。 波乱
万丈ではあったが、耐え忍んで神の御手の中で生きた生涯だった。 神からも人からも愛され
た者だった。 我々は一人一人置かれている状況、環境、状態はみな違うが、いずれにしても
「じっと耐えること」をすべきことが必要な時と場合がある。 神がそのように導いておられる時と
場合が
ある。 そのときは苦しいかもしれないが、主なる神は決して無駄なことをされないし、
我々の
苦しみを無駄にはなさらない。 耐え抜いた者は深く神を愛するようになり、神に愛される。
して、現実に神の栄光が現れる時が来る。 神の計画の中に入れられているからである。
れはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、(我々に)将来と希望を与えるためのもの
である。 主に信頼して、日々を歩んでいきたいものである。(エレミヤ書29:11)
 
★新約聖書 ヤコブの手紙 1:12
   試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束さ
   れた、いのちの冠を受けるからです。
 


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