めんどり通信/2013年10月20日。主が復活された記念すべき日曜日です!ハレルヤ! <病の中には悪霊からの攻撃による病の場合かある> |
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★新約聖書 マルコ による福音書 9:29
すると、イエスは言われた。「この種のものは、祈りによらなければ、何によっても追い出
せるものではありません。」
★旧約聖書 詩篇 103:3^5
主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴
から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満た
される。あなたの若さは、わしのように、新しくなる。
★新約聖書 ローマ人への手紙 10:11
聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」
●「病」は主に仕えていくときに妨げとなることがある。 「病」は、人を苦しめ、悩まし、煩わせ
る。 だからイエスは、この地上に来られ、公生涯で多くの人たちをいやされた。 使徒たちも
主の御心を受けて、多くの人たちをいやしたことが使徒行伝に記されている。 特に福音書を
見ると、「病」がいやされて苦しみ、悲しみ、嘆きから解放され、主に感謝をするも、「ああ、良
かった良かった。」と自分を基準の生活に戻っていった者たちと主の御心を悟って「主に仕え
る」生き方をしようとする者たちに分かれた。
「群集は、おしがものを言い、不具者が直り、足なえが歩き、盲人が見えるようになったのを見
て、驚いた。そして、彼らはイスラエルの神をあがめた」が、律法学者やパリサイ人たちに扇動
され、「十字架につけろ」と激しく叫び続けた。(マタイ15:31、27:23) この中には、イエスに哀
れみを頂いていやされた者も多かったと思われる。 彼らは、「主に仕える」歩みを少しも思わ
ず、自分を基準の歩みを選んだ。 一方、いやされた後、「主に仕える」生き方をしようとする
者たちもいた。 盲人バルテマイは上着を脱ぎ捨てて、イエスの所へ行くと、いやされた。 そし
てすぐにイエスについて行った。 ペテロの姑は、熱病で床に伏していたが、イエスにいやされ
ると、すぐに起きてイエスをもてなした。 彼らは最期までキリストへの信仰を全うしたであろう。
ただ、我々が思っている一般的な「病」が妨げになっていない場合もあり得る。 パウロや、「氷
点」「塩狩峠」を書かれた三浦綾子さんのような特異なケースもある。(めんどり通信/2010年5
「病」になる原因として、個人の罪からくるもの、生理的なことからくるもの、不節制(暴飲暴食)
など欲からくるもの・・・と様々ある。 我々は病気のとき病院へ行ったり、薬を飲んだりする。
それで完治したり、症状が緩和されたり、なかなか治らなかったりとこれも様々である。 また、
我々クリスチャンが特に知っておかなければならないことは、「病」が悪しき霊からくる場合も結
構あるということである。 何でもかんでも悪霊のせいにして、自分の信仰や内面を省みない
のは良くないが、それでも、「病」が悪しき霊からの攻撃ということがある。 主イエス・キリスト
を真に信じ、神の愛を深く体験した者は、「主に仕えたい」という思いが与えられるものである。
そのような者が、主の御心の通りに従おうと主に寄りすがると聖霊が導いてくださる。 そうす
るとき、悪しき霊が邪魔をし、先回りすることがある。 また、何か主の深い真理や解放がある
ときも悪しき霊が攻撃を仕掛けてくるということがある。
例えば、イエスが12弟子と共にこの地上を歩まれていたある日の夕方、イエスは弟子たちを強
いて舟に乗り込ませた。 「向こう岸に行きなさい」という「主のことば(主のみこころ)」があり、
ペテロたちは「主のみこころ」に従い舟を漕いで進もうとすると進むのを阻むかのように向かい
風が吹いた。 それでも「主のことば(主のみこころ)」に真に従おうとする者と共に主はおられ
て、悪しき霊に向ってしかりつけられる。 そして、目的地に連れて行ってくださるのである。
弟子たちもイエスが舟に乗られて、あっという間に目的地に着いた。 このことからもわかるよ
うに、悪しき霊が関与している「病」となると、イエス・キリストという医者が必ず必要であるとい
うことだ。
最近のことである。 著者の幼い孫が急に熱を出し、地元の病院へ行って薬をもらってきた。
喉が真っ赤だということだったが、その夜、熱が40度を超えた。 処方された薬を飲ませても39
度代が3日続いた。 4日目に隣の県にある小児専門の大きい病院へ救急外来で連れて行っ
た。 血液検査やレントゲンの結果、ウイルス性の肺炎と診断されたが、栄養状態がよいので
入院は免れた。 3日経って良くならなかったらもう一度受診するようにとのことで、やはり受診
となった。 その日は平日だったので朝一番に行った。 診察室のドアが開いたとき、チラッと
見えた横顔で思い出した。 15年前、息子が肺炎で入院したときの担当医だった。 大きい小
児病院で医師も診察室の数も多い中、その医師だった。 孫の肺炎は、悪しき霊からの攻撃
だと感じてはいたが、やはりそうだったのかと思った。
15年前、所属していた教会を追い出され、教会不信、クリスチャン不信に陥っていた頃、祈り
ながら交わりができるキリスト者を探していた。 当時、知り合ったクリスチャンの方に、ある大
きいキリスト教団体の代表者に会うことを勧められ、近くの県まで来られるというので会うこと
になった。 当日、出かけようとしたところ、息子が急に高熱を出した。 会うことを妨げている
と思い、迷ったが、家族の勧めもあって出かけた。 そして代表者に会った。 そのとき、「違
う」と感じた。 少し話したが、長居の必要はなかった。 それで、すぐに孫を診てもらった病院
へ直行した。 悪霊の攻撃と感じたので、小さい病院ではだめだと思ったからだ。 案の定、肺
炎と診断され即、入院となった。 そのときの担当医だった。 偶然はない。 主が今回の孫の
肺炎も攻撃だと教えてくださったと思った。 今回も、孫が熱を出す前日、先週のめんどり通信
で書いたが、<・・あまりにも所属していた団体や団体の指導者が違う霊に強く支配されている
場合は、その団体と団体の指導者との関わりの深さによっては、「古き」がなかなか取り除か
れなくて尋常ではない苦しいみを伴う者もいる。・・>このことを、交わりしている姉妹が体験的
に教えられ、その霊からの解放を体験したばかりであった。 聖霊の流れがあることを感じ、
感謝していた。 こういうことがある。
家に帰って、隣の県に住んでおられ、交わりをしている姉妹に電話で交わった。 昨年、その
方の産まれて間もない女の子が、発見と治療が遅れれば重病になりかねない病気を見つけて
適切な処置と導きをして頂いたという医師が孫や息子と同じ医師だった。 病院へ連れて行く
予定の前日に保健婦さんから電話があり、様子を伝えると強いての勧めでその日に病院へ
行ったという。 その日のその時間に限って、血液のスペシャリストの医師がおられ、診察を受
けれたという。 その医師だから早い診断と処置ができたという。 そして、具体的にいやしを
祈れたという。 この話しを聞いたとき、ますます悪しき霊からの攻撃だと確信した。
いずれにしても、実際の「病」のどのくらいが悪しき霊が関与しているかどうか明確にはわから
ないが、基本的なことは、「病ならばイエス・キリストのところへ行く」ということである。 まして、
悪しき霊が関与しているならば、聖霊によらなければ解決されないから、なおなお主の御前に
へりくだって「主のことば(主のみこころ)」を求めていくべきであろう。 とにかく、主はみこころ
を求めてくる者を見捨てることはない。 主は忍耐をもってたゆみなく祈り続けている者の切な
る願いを聞かれ、祈りを受け入れられる。(詩篇6:9)
「主に信頼する者は、決して失望させら
れることがない。(Tペテロ2:6)」 「まことをもって主を呼び求める者すべてに主は近くあられ
る。(詩篇 145:18)」
★旧約聖書 詩篇 18:6
私は苦しみの中に主を呼び求め、助けを求めてわが神に叫んだ。主はその宮で私の声
を聞かれ、御前に助けを求めた私の叫びは、御耳に届いた。
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