めんどり聖書研究会


めんどり通信/2012年10月28日。主が復活された記念すべき日曜日です!ハレルヤ!
<まじない、呪術、呪文、占い、霊媒、偶像などの背後に悪霊の存在あり>



★旧約聖書 申命記 18:10-18:12
  あなたのうちに自分の息子、娘に火の中を通らせる者があってはならない。占いをする
   者、卜者(占い、易をする者)、まじない師、呪術者、呪文を唱える者、霊媒をする者、口
   寄せ、死人に伺いを立てる者があってはならない。これらのことを行なう者はみな、主が
   忌みきらわれるからである。・・・
  
●「偶像礼拝」とは、真の「主なる神」を礼拝せず、偶像化した神を礼拝していると言うことであ
る。 自分ではそれを真の「神」と思い込んでいる。 これはすでに主イエス・キリストを信じてい
る者に対して言えることであろう。 主を信じている者が、心から「偶像」に手を合わすことなど
ないと考えられるからである。 「偶像礼拝をしてはならない」とは、まだ、主を信じていない者
にとって、そのままであろう。 仏壇に手をあわせて拝んだり、神社で拝んだりなどである。 仏
壇そのものは木で作られた物に過ぎない。 お供えも単なる物質的な物である。 このような場
合、皆がみな、悪しき「霊」の影響を、直接的にしかも特別に受けているというのではないと思
われる。 
 
しかし、かと言って、このことには霊的な問題がある。 「彼らのささげる物は、神にではなくて
悪霊にささげられている」と聖書には書かれている(Tコリント10:20) だから、偶像そのもの
は単なる物であっても、その背後に悪霊がいるということである。 そして、その人が知らなくて
も、その悪霊を拝んでいるということになるからである。 悪霊の第一の目的は、人を真の「主
なる神」から引き離すことである。 そういう意味では、拝む対象が単なる物であっても「偶像礼
拝」をする者には、何らかの悪しき霊からの影響があることは確かである。 だから禁じておら
れるのである。 また、人がそれらに求めて、汚されないためで主の怒りを引き起こさな
ためである。 また、主なる神は、人が求めてくるその願いを聞いてやりたいと望んでくだ
さっているが、それらのものを心に秘めていては、その人の願いを聞いてやれないからであ
る。 神は「聖」であり、「義」であられるから、不法を許すことはできないからだ。(レビ19:31、
エゼキエル14:3、U歴代誌33:6

また、中には直接、特別に悪しき「霊」が関係して、影響を受ける場合がある。 そういう場合、
その人には独特な霊的に漂うものがある。 そういう人がかもし出す雰囲気みたいなものは、
クリスチャンでなくても感じる人もいる。 その漂うもの、雰囲気みたいなものは「世の人」から
見れば、皆がみな、「異様」だとは受け取られない場合も多い。 何しろ「サタンさえ光の御使い
に変装する」くらいであるからだ。(Uコリント11:14) そういう人の多くは、まじない、占い、霊
媒、呪術、新興宗教(悪霊の強い働きが見受けられる宗教)、お札(霊的に強い働きがあるも
の)、などに深く心酔している場合が多い。 また、そのようなものに心酔していなくても、その
人の心の奥に悪しき霊と結託するような思い、願望をそのままにしている場合もある。
 
モーセの十戒の筆頭にあなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。(出
エジプト20:3)ある。 神はご自身がすべての源であり、すべてのすべてであることを提示し
ておられる。 神によって造られたものすべては、この神に返り、この神のもとに留まるべきで
あることを命じておられる。 造られたものというとき、我々が肉眼で見える息あるものすべてと
肉眼では見えなくても霊の存在も含まれる。(イザヤ14章、エゼキエル28章) 旧約聖書
ヘミヤ記9:6、7には「ただ、あなただけが主です。あなたは天と、天の天と、その万象、地とそ
の上のすべてのもの、海とその中のすべてのものを造り、そのすべてを生かしておられます。
そして、天の軍勢はあなたを伏し拝んでおります。あなたこそ神である主です。・・」書かれて
いる。
 
さて、十戒の二番目は、「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならい。・・・それらを拝ん
ではならない。それらに仕えてはならない。・・・」(エジプト20章)である。 神の座に着くことを
企てた神の敵、悪魔(サタン)の存在があったから、こう命じられたと思われる。 サタンには多
くの手下、悪霊がいる。 悪魔(サタン)、悪霊は、もともと神に仕える「御使い」であった。 堕
落して、神に忌み嫌われる悪魔、悪霊に成り下がった。 父なる神はそのひとり子を世に遣わ
してまで、人を愛し、人を救おうとされたし今もなお、人を救おうとされている。 しかし、悪魔、
悪霊どもは、人を真の「主なる神」から引き離そうと策略をもって邪魔をする。 それは、悪魔、
悪霊は神の敵であり、「神の定めておられる時」が来たら、滅ぼされることを、やつらは知って
いるからだ。 
 
サタンや悪霊が働きやすい道具がある。 それが聖書に書かれている「偶像、占い、まじな
い、霊媒、口寄せ、呪文、死人に伺いを立てること、呪術、卜占」などその類である。 また悪し
き霊が働いている要素の強い宗教もその類に入る。 人の心の奥に潜む主に喜ばれない、い
やむしろ神に「否」とされるような「思い」も道具になる可能性が強い。 また、悪しき霊どもは、
時には、人の寿命を延ばすようなことさえすることがある。 明らかに神の領域に踏み込んで
おり、分を越え、高ぶっている。 裁かれて当然である。 すべてのものの「いのち」の権限は
主なる神にある! 
 
今の世の中、サタンや悪霊が働きやすい道具は、娯楽や趣味などと軽い感じで生活の中に入
り込んでいる。 マスコミなども大いに加担している。 「偶像礼拝」も深くは考えないで、昔から
行なわれてきたことだから、単なる付き合いでされていることだから、親戚近所などにとやかく
言われないためにしていることだから・・・と安易に行なわれている。 重要視しなければならな
いことが、骨抜きにされている。 また、人の心の奥に潜む悪しき霊と結託するような思い、願
望についても、仕方がないとか、周りもそうだからとか・・という思いでかき消したり、まさかそこ
まで悪くはないだろうと思い込んだりしている。 ただ、我々人の側がどうであっても、サタンや
悪霊は容赦なしに人の様々な隙を見つけては、人の中に付け込んできて影響を与える。我々
は、目に見えない暗闇の支配者の働きがあり、その働きは強いことを認めるべきである。 
 
とにかく我々ができることは、主イエス・キリストを真底から受け入れて、目を覚まして悪の根を
断ち切ること、そして日々絶えず、主イエス・キリストから目を離さず、主の御前にへりくだって
祈り、神に依り頼んでいくことである。 また、神のことばと信じて聖書を読み、主からことばを
いただき、確かな聖霊の流れに乗っていくことである。 イエス・キリストはもうすでに十字架で
死んでくださり、3日目によみがえられて、今も生きておられる。 「死は勝利にのまれた。」 
のお方に返り、このお方と共に歩んでいくことのできる者は、本当の幸いな者であり、人生の
勝利者となる。日々、主に頼り、祈り求めてキリストの愛の中に留まっておきたいものである。

★新約聖書 黙示録 9:20、21
   悪霊どもや、金、銀、銅、石、木で造られた、見ることも聞くことも歩くこともできない偶像  
   を拝み続け、その殺人や、魔術や、不品行や、盗みを悔い改めなかった。
 
★新約聖書 コロサイ人への手紙 3:5
   ですから、地上のからだの諸部分、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪い欲、そしてむさ
   ぼりを殺してしまいなさい。このむさぼりが、そのまま偶像礼拝なのです。



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