めんどり通信/2012年5月20日。主が復活された記念すべき日曜日です!ハレルヤ! <「死」について想うこと> |
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★新約聖書 ヘブル人への手紙 9:27
そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている ★旧約聖書 出エジプト記 20:6 わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。 ★新約聖書 ヨハネによる福音書 11:25 イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死ん でも生きるのです。 ●最近、親戚の義叔母が亡くなった。 著者はその方に直接、福音を伝える機会がなかった。 集まった親族が故人の思い出話しをしたり、「葬儀は賑やかにしたら喜ぶだろう。」「(体が)苦 しかったからゆっくり休めてよかった。」・・・などと話している義叔母の残された家族の顔を見 ていると、「福音を伝えたい」という思いになった。 「神は、すべての人が救われて、真理を知 るようになるのを望んでおられ」る。(Tテモテ2:4) 今後、戒名はどのレベルにするか、墓はどうするか、・・・などが話し合われると推測される。 位牌に書かれた戒名のレベルによって、あの世への行き先が左右されるからである。 意味 はよく分らないが、「信士」なら15〜30万円で、「院殿大居士」となると数百万〜!!?というのを 聞いたことがある。 葬式でお坊さんが、身体から離脱した魂を、戒名(浄土真宗では法名)が 書かれた位牌に移すという。 だからその位牌には 先祖の霊が宿っているから拝むのだとい う。 しかし、仏教の教えによると、死んでから49日以内に人の魂は、六道輪廻(天国から地獄 迄の6段階)の何れかに行くというから、少なくとも50日目以降、位牌は意味を失うことになる。 矛盾していると思うのだが、そういうことは案外、知らずにただ、今までの慣わしで、位牌を 作って拝んでいるという人の方が多いのかもしれない。 人が「死ぬ」ということについて、世間の多くの人々の考えは、人は「死んだら何もわからなくな る」、「死んだら無になる」とか、「死後については考えない」、「触れない」、・・などが多数派意
見であろう。 しかし、人が死ぬと「安らかに眠ってください」とか「天国でも好きな音楽を奏でて ください」とか言ったりする。 人は、死んでも霊魂が存在するということを本能的、直感的に 知っているのではないだろうか。 旧約聖書 伝道者の書3章11節に「神はまた、人の心に永 遠への思いを与えられた」と書かれている。 死後のことは、我々生きている者にとって未知の世界のことである。 聖書には、「死」「死後」 についてどんな人でも、死後、神の前に立つ、すなわち裁判、裁きの場に立つことを述べてい る。 みことばを幾つか列挙する。 ★「なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現わ れて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるか らです。(Uコリント5:10)」、★「神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリ スト・イエスの御前で、・・・(Uテモテ4:1)」、★「律法なしに罪を犯した者はすべて、律法なしに 滅び、律法の下にあって罪を犯した者はすべて、律法によってさばかれます。(ローマ2:12)」、 ★「神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるから だ。(伝道者の書12:14)」、 ★「そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けること が定まっている(ヘブル9:27)」など他多々ある。 神は、人を肉体と魂と霊に創造された。 一般に人が死ぬ、というのは、肉体が死ぬ(朽ちる) ことであり、霊魂は永遠に存続する。 そもそも、神の前ではすべての者は「死んだ者」であ る。 アダムとエバ以来、人は罪人であり、聖書は、「すべての人は罪を犯した、義人はいな い。ひとりもいない。」、「あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者」と書かれてい る。(ローマ3章、エペソ2:1) そして、「罪の支払う報酬は死である(ローマ6:23)」と書かれて いる。 本来、人は肉体の死の後、神の前に立ち、裁きを受けたとき、誰一人、神が「良し」とさ れる者がいなかった。 すべての人が地獄へ行く(滅ぼされる)運命にあった。 しかし、イエス・キリストが十字架の上で、私たちの罪の身代わりになって死んでくださり、3日 目によみがえられた。 この主イエス・キリストを信じるならば救われると、人に救いの道が与 えられた。 そして、イエス・キリストは、今も変ることなく、我々人を救うために働いてくださって いる。 だから、主イエス・キリストを求める者は、罪が赦され、死(滅び)から解放される。 裁 きの座では、キリストの血のゆえに、無罪としてくださるばかりか、主が用意してくださってい る、真の天の御国に入ることができるのである。 「死と死後」について、まだまだ多くのことが、人には知らされていないと思われる。 「死後」の ことは、「神の領域」である。 この「神の領域」を人がどこまで知ることを許されているのかは わからない。 その部分については、我々は祈りつつ、主が教えてくださるまで待つことが必要 であろう。 義叔母には直接、福音を伝えることが出来なかったが、「わたしを愛し、わたしの命令を守る 者には、恵みを千代にまで施すからである。(出エジプト20:6)」と聖書に書いているから、遺族 に福音を伝えていきたいと願う。 人が、この地上だけで終わりではないこと、死後行くべき所 が明確にあること、だからこの地上生活は、後の世へ行くための備えの時であることを、はっ きりと伝えていきたい。 機会を与えられるよう祈っていこうと思う。 今週も日々絶えず、主イ
エス・キリストから目を離さず、主の御前にへりくだって祈り、キリストとの交わりを深くして
いき、聖霊の流れに乗っていきたいものである。 ★新約聖書 ローマ人への手紙 10:9 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中か らよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。 ★新約聖書 ヘブル人への手紙 13:14 私たちは、この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都 を求めているのです。 |
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