めんどり聖書研究会


めんどり通信/2012年1月29日。主が復活された記念すべき日曜日です!ハレルヤ!
<主なる神は祈りに答えてくださるが、その答え方には様々な方法がある>




★旧約聖書 ヨブ記 33:14
   神はある方法で語られ、また、ほかの方法で語られるが、人はそれに気づかない。

★旧約聖書 詩篇 17:6
   神よ。私はあなたを呼び求めました。あなたは私に答えてくださるからです。耳を傾けて、
   私の申し上げることを聞いてください。

★新約聖書   ヨハネによる福音書 14:23
   イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そ
   うすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人ととも
   に住みます。

●クリスチャンのすべきことの中で最優先すべきことは「祈り」であると著者は思っている。 
「祈る」ことによりクリスチャンは主なる神との交わりを持つことができる。 ただ、こちら側から
祈りはするが、その祈りの「答え(応え)」をいただくという経験がなければ、生きた主なる神と
の交わりができているとは限らない。 主イエスは「主と主のことばにとどまれ」と言われ、「
父および御子イエス・キリストとの交わり」
の大切さをヨハネやパウロは言った。(Tヨハネ1章、
Tコリント1章)
 時たま「祈って」、「答えられて(応えられて)」というのは、主と親しく交わって
いるとは言えない。 主なる神との交わりは深くなっていくなら、祈りが更に答えられるというこ
とを知り、主が生きておられることが更にリアルなものとなっていく。 主なる神の存在を実感
すると、置かれている状況、状態が良い悪いに関わらず、「信仰」が堅くなり、「霊」の深みに
入っていき、神への従順、へりくだり、「みことば」を行なうという実践が神のみこころに沿った
方向に進んでいくようになる。 

また、神がくださる祈りの答え(応え)方にもいろいろ種類がある。 一般的には、聖霊によって
直接、わかるように答えられたり、牧会者など他の人々や様々な出来事や聖書のみことばを
通して与えられたりする。 また祈りの答えを自分で導き出せるように助けてくださることもあ
る。 神からの答えも内容によって違う。 「良し」など許可であったり、「違う」と正したり、「待
て」と最良の時まで待つことを示したり、他、祈りの内容によって様々であるが、祈った者にわ
かるように与えてくださる。 ただ、主は祈りに答えてくださっているのに、我々の方が気づかな
いということも、有り得るかもしれない。

さて、「私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえら
れたと知るのです。(Tヨハネ5:15)」
のみことばを体験した例がある。 創世記24章に記され
ているが、アブラハムは、自分の一番信頼できるしもべダマスコのエリエゼル(創世記15:2)
に、息子イサクの嫁を探してくるようにと命じた。 花嫁の条件は、アブラハムの故郷出身であ
ること、アブラハムの親戚であること、イサクはそこに連れ戻すことはできないこと、である。 
だから、しもべの経験や知識は全く役に立たず、ただアブラハムが言った「御使いをあなたの
前に遣わされる。」
ということば、すなわち聖霊の導きだけが頼りである状況だった。 しもべ
は、主人であるアブラハムの所から出立してアブラハムの生まれ故郷に向かった。 そして、
町に着いた時、祈った。(創世記24:12^14) 要約するなら、私の目の前にイサクの花嫁となる
女性を連れてきて、私にその人で間違いないということを分からせてください、という祈りであっ
た。 これは自分勝手な祈りではなく、神の導きに信頼し、結果を神にゆだねた祈りだった。 

祈りは、神と神のことばへの信頼である。 祈った後は祈りの内容を神にゆだねきっているか
ら、自分の考えや思いに左右されず、ただ聖霊の流れに乗って導きに従うのみである。 この
しもべの場合は、祈りを言い終える前に明らかな聖霊の働き、主の答えがあった。 イサクの
花嫁となるリベカが水がめを肩に載せて水を汲みに来た。 しもべの目の前に来たのである。 
そして、しもべが祈った通り、リベカはしもべだけでなく、らくだにも水を飲ませたので、彼はリ
ベカが間違いなくイサクの花嫁になるべき女性であると明確にわかった。 このように神はそ
の信頼に応え、祈る前から祈りの答えを準備しておられる場合もある。

「祈りの答え」について、この間このようなことがあった。 主から頂いていた約束の「主のこと
ば」があったが、それに関して、著者は自分の正直な願いを主に祈り申し上げていた。 その
祈りには必ず「この願いが主のみこころに沿わない、もしくは主のご計画のうちにないのでした
ら、わかるように教えてください。すぐにその願いは却下します。」という祈りをつけていた。 申
し上げている願いが主が「良し」とされているかどうかが明確ではなかったのと、主はやさしい
方なので、本当は主のご計画のうちになかったことでも、あまりにもしつこく祈るのでその願い
を「良し」とされるということがないようにという思いからだった。 

自分の願いを押し通そうとするつもりはないが、人の奥に潜んでいる思いは自分ではなかなか
知ることは出来ない。 聖霊によって光照らしていただいてわかるという場合が結構多い。 だ
から自分の気づいていない思いに用心した。 主が与えてくださった「主のことば」は、主が成
就、完了される。 そのために主がすでにご自身のご計画を持っておられるはずである。 そ
のご計画を主が行なってくださるのが一番いいと著者は考えている。

その祈りをして数週間後、この間の早天祈祷のとき、その祈り(約束の主のことばに関して自
分の願い)をしていたとき、「この願いを却下します。与えてくださった主のことばだけに返りま
す。そのことばを完了してください。」という宣言にも似た祈りが口をついて出てきた。 自分の
心の奥から「この願いを却下しよう」という思いがあったとわかったが、それは主が与えてくだ
さった「思い」であり、「主がくださった祈りの答え」であることもわかり、主に感謝した。 この
ような「主がくださる祈りの答え(応え)方」もあるのだと思ったものだ。
 
いずれにしても、「祈る」そして、「主からの答えをいただく」、ということを絶えず繰り返していく
ことが重要である。 そのためにも日々絶えず、主イエス・キリストから目を離さず、主に尋ね
ること、いつも祈ること、神に依り頼むことをして主キリストと親しく交わりをしていきたいもので
ある。 そして、主が祈りに答えてくださっている「祈りの答え」を見逃さず、主のみこころを尚
尚、知って、聖霊の流れに乗っていきたいものである。 

★旧約聖書 箴言 16:1
   人は心に計画を持つ。主はその舌に答えを下さる。

★旧約聖書 詩篇 51:6
   ああ、あなたは心のうちの真実を喜ばれます。それゆえ、私の心の奥に知恵を教えてくだ
   さい。




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