めんどり通信/2012年1月1日(日曜日)。明けましておめでとうございます! <「偽」を見破り「真実」、「真理」なる主イエス・キリストに信頼せよ!> |
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★新約聖書 第一ヨハネの手紙 5:20
しかし、神の御子が来て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知って います。それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス・キリストのうちにいる のです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。 ★新約聖書 ヨハネによる福音書 14:6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通し てでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。 ●聖書は「全世界は悪い者の支配下にある(Tヨハネ5:19)」と言っている。 イエスは、サタン は「偽りの父」であると言われた。(ヨハネ8:44) 偽りがこの世を覆っているのも無理はない。 だから、この地上で生きるにおいて、我々は「偽り」ということを考慮すべきであろう。 日本は 世界に代表する「偽ブランド大国」と言われているが、だまされるのは買う側の知識不足が大 きな要因という。 ただ、偽ブランド品なら、命に別状もないので「ああ、だまされた」で終わって しまう。 報道に関しても、我々はすべて真実を知らされているとは言い切れない。 様々なところで操 作されているということを聞いたことがある。 政治の世界、報道、書物(一部)、××運動など 心理操作が絡む場合、我々にとって決して良い方向へは向かわない。 我々の生活のみなら ず、命に関わる危険性がある場合も多い。 クリスチャンで、主から「ことば」をいただいている 者、「主のことば」「みこころ」を示されている者でさえも油断はできない。 そのよい例がT列王記13章に記されている。 イスラエルはソロモンの後、北王国と南王国に 分裂し、北王国を治めたヤロブアム王は、偶像を作り出して民たちを罪の道に歩ませた。 主 はこのようなヤロブアムの悪行を止めさせるために、神の審判を警告する一人の神の人(預 言者)をユダ国から送られた。 神の人は主の不思議をもってヤロブアム王に警告した。 そ の後、王が「食事をして元気をつけてください。あなたに贈り物をしたい。」と言ったが神の人は 断った。 そのとき「たとい、あなたの家の半分を私に下さっても、? なたといっしょにまいりま せん。また、この所ではパンを食べず、水も飲みません。」という答えをしている。 彼は、主か ら、この地で飲み食いしてはいけない、もと来た道を通って帰ってはならないと硬く命じられて いたからであった。 ところが、ベテルに住んでいたひとりの老預言者が息子たちから、神の人がしたこと、王に告 げたことば、他の道から帰ったことを聞いた。 すると老預言者は神の人を追いかけ、主のこ とばと正反対のことを言って誘った。 神の人は、主のことばを伝えて断ったが、老預言者は、 自分も同じ預言者であり、御使いが主の命令を受けて「その人をあなたの家に連れ帰り、パン を食べさせ、水を飲ませよ。」と言って命じたと神の人をだました。 その神の人は、老預言者 が言ったことばを信じて、彼といっしょに引き返し、彼の家でパンを食べ、水を飲んだ。 彼らが食卓についていたとき「あなたは主のことばにそむき、あなたの神、主が命じられた命 令を守らず、主があなたに、パンを食べてはならない、水も飲んではならない、と命じられた場 所に引き返して、そこであなたはパンを食べ、水を飲んだので、あなたのなきがらは、あなた の先祖の墓には、はいらない。」と老預言者に、神の人に対しての本当の主のことばが望ん だ。 果たして主のことば通り、神の人は、帰り道で獅子に襲われ、命を落としてしまった。 ひと言で言うなら、主の命令によって、ユダからベテルにやって来たこの神の人は、ベテルに 住んでいた老預言者にまんまとだまされたのである。 本来、ベテルは神と出会う場所だった が(創世記31章)、ヤロブアムによって、礼拝のため金の子牛が安置されたり、レビの子孫が 祭司になるという律法が無視されて、一般の民の中から祭司が任命され務めが行われたり と、真の神と神の律法から離れたことが行なわれるところに変わっていた。 いわば神の国が 世的になっていた、世と同じところだったということである。 偽りが蔓延するのも、うなずける。 老預言者は、そのベテルに住んでいた。 彼の心には「偽」が浸透していた可能性がある。 神の人が、直接、主の命令のことばを受けていたにもかかわらず、結局、その主のことばを蔑 (ないがし)ろにした結果、神の裁きを受けたのである。 彼は偽りのことばを見抜けなかった。 「偽」が蔓延している「この世」に住んでいる限り、誘惑はなくならない。 「誘惑に陥らないよう に気をつけなさい。」とガラテヤ人への手紙6:1には書かれている。 サタンの誘惑にかからな いため、信仰に立っているかどうか、自分自身をためし、また吟味することが必要である。 ま た、信仰だけでなく、心の奥に潜む思いも自問自答するなどして吟味することも大切である。 この「心の奥に潜む思い」を吟味することは大いに必要である。 この神の人は、何故、だまさ れたかを考える時、老預言者が同じ預言者だということで心を許したとか、自分より年上の預 言者なので尊敬しなければならないという考えが働いたとか、ヤロブアム王の誘惑に打ち勝っ たことで(肉の)自信によって使命感が弱くなったとか、いろいろ推測される。 しかし、特に注目すべきことは、彼が答えたことばである。 ヤロブアム王の「? なたに贈り物 をしたい。」に対して、「たとい、あなたの家の半分を私に下さっても、あなたといっしょにまいり ません。」と言っている。 「たとい、あなたの家の半分を私に下さっても」ということばから、こ の神の人の心の奥には、自分でも気づいていたかどうかは定かでないが、欲の思い、願いが 微かながらでもあった可能性がある。 そこが、まんまとだましのことばに乗せられる要因の一 つになったのではないだろうか。 民数記22章に登場してくる預言者バラムも同じような答え方をしていた。 モアブの王バラクの 高いつかさが、バラムに自分たちと一緒に来て、イスラエルをのろってくれるよう依頼したとき、 「私はあなたを手厚くもてなします。」ということばに対して、「たとい、バラクが私に銀や金の満 ちた彼の家をくれても、主のことばにそむいては、善でも悪でも、私の心のままにすることはで きません。」と答えている。 「たとい、バラクが私に銀や金の満ちた彼の家をくれても」というこ とばから、バラムの心の奥に、欲な思いが潜んでいたように思われる。 このときは、主のこと ばに従ったが、後にバラムは、お金、銀や金に対してに盲目となり、モアブの王バラクに助言し て、イスラエルの宿営にモアブの娘を起こり込ませるなどイスラエル人を罪に陥らせた為、殺さ れた。 ペテロは「不義の報酬を愛したベオルの子バラム」と言っている。 我々は、「この世」に住んでいる限り、誘惑を受けることは避けられないが、主に対する堅い 「信仰」を持ち、心の奥底にある「思い」が清められていくなら、たとえ、どのような誘惑が来た としても、自分勝手に判断することなく、主に伺って、正しい主のみこころを悟り、だまされるこ とがないであろう。 何よりも重要なことは、我々が「真実な方」「真理である」主イエス・キリスト ご自身を知っていくことである。 すなわち「本物」を知っていくことである。 頭で知るのではな く、体験を通して知る、理解して悟って自分のものにすることである。 そのように「本物」を知 るなら、「偽」を見破ることができるようになる。 だまされなくなる。 いずれにしても、誘惑に陥らないように、目をさまして、祈り続けることが重要となってくる。(マ ルコ14:38) そして、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことで あるかをわきまえることがきるようになるため、今年も、日々絶えず、主イエス・キリストの足元 に座り、目を離さず、絶えず祈っていきたいものである。 そして、主との深い交わりをしてい き、主の語られることばを聞いて「偽」を見破っていき、聖霊の流れに乗って導かれるまま進ん でいきたいものである。 ★旧約聖書 サムエル記 第二 22:29 主よ。あなたは私のともしび。主は、私のやみを照らされます。 |
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