めんどり通信/2011年7月3日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ! <心の底から時々に垣間見られる思いを見張れ!> |
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★旧約聖書 箴言 4:23 力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。 ★旧約聖書 詩篇 51:10 神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。 ★旧約聖書 詩篇 19:14 私の口のことばと、私の心の思いとが御前に、受け入れられますように。わが岩、わが贖 い主、主よ。 ●前回の「めんどり通信」に登場してきたアサ王の子ヨシャパテ王について。 ヨシャパテ王の 時、北王国イスラエルの王は最悪王と言われるアハブ王だった。 アハブ王の妻イゼベルは もっと最悪で、バアル信仰をイスラエルに持ち込み、深い偶像礼拝へとイスラエルを導いた。 ヨシャパテはそのようなことに全く影響されず、「彼の心は主の道にいよいよ励み、彼はさら に、高き所とアシェラ像をユダから取り除いた。(U歴代誌17:6)」 ダビデの道に従い、父の神 に求めて、その戒めに歩んだ。 だから主は国を彼の手によって確立された。 また、ユダの 人々はみなヨシャパテに贈り物をささげ、ペリシテ人やアラビヤ人などもヨシャパテに贈り物を 携えてきたので、ヨシャパテは富と誉れが与えられ並はずれて強大になった。 ヨシャパテは、主によりすがって立派な信仰の生涯を送れるはずだったが、大きな失敗を犯し てしまった。 「アハブと縁を結んだ」ことである。 また、ヨシャパテは息子ヨラムと北王国イス ラエルのアハブ王の娘、アタルヤとを政略結婚させた。 そのことにより、北王国イスラエルの 対アラム戦に巻き込まれ、命からがら、ユダ国の首都エルサレムへと帰還した。 それらのこ とは失敗というより罪と言えるかもしれない。 ただ、先見者ハナニの子エフーから主の叱責の ことば「あなたは悪人を助け、主を憎む者を愛してよいのですか。」を聞いた後、近隣諸国から の攻撃があったとき、ひたすら主を求めた。 そして、主が直接、敵のおびただしい大軍を打ち 破られた奇跡を見た。 しかしその後、ヨシャパテはアハブ王の死後、神が「悪である」、すなわち「罪だ」といわれるこ と、「アハブの子アハズヤとも同盟」を結んだ。(U歴代誌20:35) ヨシャパテは自分の考え、 計画を押し通した。 ヨシャパテは基本的には主に従い通したが、やはり「北王国イスラエル」 との同盟は、恐ろしい結果を招くことになった。 ヨシャパテ王の時代には治世は平穏で取り立てて問題は起こらなかったが、次の代ヨシャパテ の子ヨラムが王になると、ヨラム王は自分の兄弟をひとり残らず殺してしまった。(U歴代誌2 1:4) また、ヨシャパテが画策した政略結婚によって息子ヨラムに迎えた妻アタルヤの影響 でバアル礼拝がイスラエルの中に持ち込まれ、ヨラムはユダの山地に高き所を造って、エルサ レムの民に姦淫を行わせ、ユダを惑わした。 他、次々と国が混乱していった。 それらの原 因は、神のみこころを求めず、神からの叱責のことばを深く受け止めず、ヨシャパテ王が北王 国イスラエルと同盟を結んだこと、すなわち悪者と同じくびきを負ったことにあった。 ヨシャパ テ王のこの姿勢は、後に大きな禍根を残した。 こうしてヨシャパテの人生を見てみると、一人の者が犯した罪、悪が完全に解決されていなけ れば、その人は平穏な人生を過ごせたとしても、その代償は他の人が払わなくてはならない可 能性があることを教えられる。 罪の問題に関しては、「あなたの神、主であるわたしは、ねた む神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし(出エジプト20:5)」と いうことばがあるが、これは父の罪を子も受け継がなければならないとか父の罪を子に負わ せるというのではない。 本人が犯した罪の責任は、罪を犯した本人に問われる。(エゼキエル 書18:4,13) しかし、父の罪は三代、四代にまで影響を及ぼす、また人の罪は、自分や自分に 関係する者に悪い影響をもたらすことがあるということである。 だからパウロは「不信者と、つ り合わないくびきを共にするな(Uコリント6:14」と言っているが、要は主から離れている者とく びきを共にしてはいけない、ということである。 そして罪が解決される、赦されるということは、 本当に重要なことである。 我々の罪の解決のために十字架にかかられた主イエス・キリスト を感謝する。 そしてこの方は、よみがえられ今も生きておられる。 さて、ヨシャパテは神の戒め「父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし」をよく知っていた はずである。 しかし、自分は平穏無事に過ごしていたから、子や孫、次世代の自分に関係す る人々(彼は王であったからユダの人々)のことを考えなかったのだろうか? 結果、ヨシャパ テの心底に潜んでいた思い、考え、計画を遂げているということは、彼の本心は、自分が大事 だったということであり、彼は砕かれていなかったということであろう。 自我が砕かれるという こと、肉の思いが切り取られるということは、本当に重要なことだとつくづく思う。 ヨシャパテと同様、ソロモンもヒデキヤも自分の思い、考えを心の底に潜ませていた。 彼らは みな、自分に執着した。 ソロモンは異教の女たちに執着し、豪壮な建物を建てる、すなわち 物質的なものに執着し、ヒデキヤはこの地上の体の命に執着した。 彼らはみな、自分の本当 の願い、思い、本心を温存した。 主は人生の途中でそれらをあぶり出し、砕こうとされたはず である。 また心の底から時々に垣間見られる、主の喜ばれない、みことばに反する本音本心 を彼らに知らせたはずである。 彼らはみな、罪であるとは知らなかった、主が喜ばれないこと とは知らなかった、とは言えないはずである。 このことは我々にも言えることである。 心の奥底まで主に清めていただくことは、本当に大切である。 日々の生活の中で、自分の思 い、それも心の底から時々に垣間見られる思いを見張って、主に喜ばれないものは十字架の 下に持っていき、清められたいものである。 主の主権を認め、主の御前に自分のむなしさと 愚かさを徹底的に知り、神に全面的に委ねていく生き方、すなわち「主を恐れ、主の御前にへ りくだる」ことを徹底していきたいものである。 日々絶えず、主イエス・キリストから目を離さ ず、キリストとの交わりを深くしていきたいものである。 ★旧約聖書 サムエル記 第二 22:29 主よ。あなたは私のともしび。主は、私のやみを照らされます。 ★旧約聖書 詩篇 64:6 ・・・・人の内なる思いと心とは深い。 ★旧約聖書 詩篇 139:23,24 神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。 私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。 |
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