めんどり通信/2011年4月24日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ! <神のみわざを見ても早合点せず、主の御心を知って行動する> |
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★新約聖書 ローマ人への手紙 8:28
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべて のことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。 ★旧約聖書 箴言 3:5 心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。 ★旧約聖書 詩篇 143:10 あなたのみこころを行なうことを教えてください。あなたこそ私の神であられますから。あ なたのいつくしみ深い霊が、平らな地に私を導いてくださるように。 ●使徒行伝16章の話である。 パウロとシラスがピリピという都市で占いの霊につかれた女奴 隷と出会った。 彼女はパウロたちが神のしもべであることがわかっていたので、幾日もパウ ロたちの後をついて来て、パウロたちのことを叫んで宣伝した。 パウロは困り果て、彼女から 悪霊を追い出した。 彼女から悪霊が出て行ったことにより、占いができなくなり、主人たちは儲ける望みが絶えた ので、パウロたちに怒りを燃やし、言いがかりをつけて長官に引き渡した。 パウロたちは、着 物をはがされ、何度もむちで打たれ、足に足かせが掛けられ、牢に入れられた。 さらに、看 守の厳重な監視がついた。 痛みでうめきながら一晩を明かすような状況の中で、パウロとシラスは真夜中に神に祈りつつ 賛美した。 それをほかの囚人たちも聞き入っていた。 その時、大地震が起き、鍵が壊れて 扉が開き、みなの鎖も解けた。 しかし、パウロとシラスはそこに留まった。 ほかの囚人たち も誰一人逃げなかった。 看守は当然、囚人たちは全員逃げてしまったと思い、自害しようとした。 当時のローマの法律 は、脱獄などが起こると、牢の看守は、その責任を問われ死罪となったからだ。 そこでパウ ロは大声で、「自害してはいけない。私たちはみなここにいる。」と叫んだ。(使途16:28) 一連の事柄から看守は、パウロとシラスとの前に震えながらひれ伏し、「救われるためには、 何をしなければなりませんか。」と言った。 ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あ なたもあなたの家族も救われます。(使途16:31)」と言い、彼とその家の者全部が救いにあず かった。 以上の箇所から、我々は問題が起きるとまず願いや訴えをしがちだが、どのような状況の中 でもまず主を信頼し、賛美を捧げること。 現状を見てがっかりするのではなく、問題だけに目 をとどめるのではなく、ひたすら主を見上げ、主に目を注ぐことが大切であることを学ぶことが 出来る。 また、パウロとシラスは、明らかに神のわざによってその場から脱出できるような状態になった はずだが、二人はそこに留まった。 主のみこころは二人をただ単に逃すことではなく、看守と 彼の家族を救うことにあった。 もし、二人が神のわざである大地震が起きたとき、自分たちを 助けてくださるためだ、と主の御心を早合点して牢から出て行ったなら、囚人たちも脱獄してい ただろう。 看守や彼の家族の救いなどは論外である。 人はとかく苦境に立たされたり、苦しみにあえぐような状況になると、そこから脱出したいと願う ものであろう。 また確かに神も求める者をそこから脱出させてくださる。 しかし、二人は脱出 せず、留まった。 二人は人情で留まったわけではなく、ただ神の御心に従っているというこ と、そこに神の介入があることを囚人たちは目の当たりに感じたと思われる。 だから囚人た ちは逃げなかった。 主イエス・キリストが与えてくださる本当の「救い」「信仰」とは、このようなものである。 自分の ことを中心に考えず、どのような状況下でも神が何を望まれているかを悟って、主のみ心を行 なう。 主に導かれるまま、主の御心に従い行動する。 そのような主に救われたパウロとシラ スの「信仰」を囚人たちは見た。 大地震によって逃げられる状態だったパウロたち、囚人たち も牢に留まったことにより、結果、看守と看守の家族は救われた。 単に「主イエスを信じなさい」ということばを伝えること、言うことはたやすいことかもしれない。 しかし、そのことばに聖霊が働かれているかどうかが重要である。 パウロとシラスは主の御 心を早合点せず、主が望まれていることを知って、主の御心に従い通した。 それで彼らが 語った主の言葉に聖霊が存分に働かれた。 神は、この看守と家族を救おうとご計画されていたから、パウロとシラスが不正に捕らえられる のを許された。 このように我々にとって、とてつもなく悪い出来事であっても、神がご自身のご 計画のためということがある。 しかし、神に従い通したときそれらは必ず益となる。 神の深 い御旨がことがらの背後にあるからだ。 とにかく不思議なことが起こった、神のわざが現れた、神が介入された状況になった、・・・とい うことに遭遇したとき、思わず、「主がこうしなさい、ああしなさい」と語っておられるにちがいな い、と判断して即刻行動に移すことがある。 しかし、我々は、ともすれば主の御心を早合点し て自分の考えが入った行動になってしまうということがあり得る。 大切なことはじっくり主の御 心、御旨を知って、確実に主の御旨を行なっていくことではないだろうか。 時には、失敗する こともあろう。 しかしそれを主は責めたりはなさらない。 主の御心に従おうとする者であるな ら、必ず、教えてくださる。 教えられたときには、悔い改めて道を正せばよい。
いずれにしてもパウロとシラスのように、主との深い交わりを持っていくことが重要である。 日々絶えず、主イエス・キリストから目を離さず、主と主のことばの御前にへりくだること、絶え ず主の御心を知って祈っていくことをして、聖霊の流れに乗り続けていきたいものである。 ★新約聖書 ローマ人への手紙 12:3 私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思 うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与 えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。 |
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