めんどり通信/2011年4月17日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ! <わずかな肉のものでも心に温存するな!> |
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★新約聖書
ガラテヤ人への手紙 5:16
私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるよう なことはありません。 ★新約聖書 ローマ人への手紙 8:6 肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。 ●第一列王記13章に北イスラエルの初代王ヤロブアムの悪行を止めさせるために、主から遣 わされたひとりの神の人のことが書かれている。 この神の人は、ユダ(プロテスタントのたと え)からベテル(カトリックのたとえ)のヤロブアム王に警告の神のことばを告げに来た。 ヤロブアム王は、神の人のことばを聞いて反抗したが、不思議な神のなせる業を目の当たり にし、神の人に「私といっしょに家に来て、食事をして元気をつけてください。あなたに贈り物を したい。」と言った。 すると、神の人は「たとい、あなたの家の半分を私に下さっても、あなたと いっしょにまいりません。・・・」と答え帰って行った。 その話しを聞いたベテルに住んでいたひとりの年寄りの預言者が、神の人のあとを追って行 き、「私もあなたと同じく預言者です。御使いが主の命令を受けて、私に『その人をあなたの家 に連れ帰り、パンを食べさせ、水を飲ませよ。』と言って命じました。」と偽りを言った。 そのこ とばを信じた神の人は老預言者と一緒に引き返し、彼の家に入ってパンを食べ水を飲んだ。 結局、その預言者は、命じられたことばに従わなかったので、自分の命を落とすことになった、 ということである。 このところの話しから、カトリックの歩みに同調してはいけないこと、カトリックのパン(教え)や 変な水(霊)を飲み食いしてはならないこと、同じクリスチャンからの惑わしがあること、「御使い が・・命じました」「有名な牧師が・・言われた」「夢で主に示された」などの言葉を聞いても、きち
んと主に祈って吟味に吟味を重ねること、引き返して入ってはならない家(教会)に戻らないこ と・・・などを学ぶことが出来る。 重要なことばかりである。 ただ、この箇所を読んでいて思ったことは、ヤロブアム王に驚くべ き預言をするために神に用いられた器ほどの人が、どうして いとも簡単にだまされたのだろ う? ということであった。 また、この神の人のことば「たとい、あなたの家の半分を私に下 さっても、あなたといっしょにまいりません。・・・・」の箇所を読んでいて、民数記22章の預言者 バラクのことを思い出した。 バラクについて簡単に記すと、預言者バラムが当時のモアブの王バラクからイスラエルの民を のろってくれとの依頼を受けた。 すぐに主に祈り尋ねて、御心に従い断ったが、次に来た使 者は大ぜいの、しかも位の高いつかさ達であるうえ、「手厚くもてなします」と言った。 そのとき バラムは「たといバラクが私に銀や金の満ちた彼の家をくれても・・(民数記22:18)」と言った が、最初に語られた「一緒に行ってはならない」という主のことがあるにも関わらず、「主が私に 何かほかのことをお告げになるかどうか確かめましょう」と言った。 このときは、バラムは神に 用いられて、イスラエルに祝福のことばを述べた。 しかし、後にバラムは、金銭欲に陰険な策 をたて、イスラエル人を罪に陥らせた為に殺害された。 結局、第一列王記13章の神の人も民数記22章の預言者バラムも彼らの心の奥に潜んでいた 肉の思い、願望を対処せず温存していたことが問題であろう。 肉とは、ひとことで言えば人間 の生まれながらの性質である。 生まれながらの性質では神の霊の導きに従えない。 ヤロブアム王は「あなたに贈り物をしたい。」と言っただけなのに、この神の人は「たとい、あな たの家の半分を私に下さっても、あなたといっしょにまいりません。また、この所ではパンを食 べず、水も飲みません。 主の命令によって、『パンを食べてはならない。水も飲んではならな い。また、もと来た道を通って帰ってはならない。』と命じられているからです。」と答えている。 わざわざ ここで主からの命令のことばを、すべて言う必要はないと思われる。 彼の血気盛 んな肉の熱心さも感じられる。 また「たとい、あなたの家の半分を私に下さっても」などと言う のは、心の底には金銀に対する欲がわずかでも潜んでいたように感じられる。 「手厚くもてな します」に対するバラムの応答のことば「たといバラクが私に銀や金の満ちた彼の家をくれて も・・(民数記22:18)」と同じではないだろうか。 人の心の奥には、口に出すことば、表面上に表れる行ないからは見えてこない肉の思い、考 えが心の奥に潜んでいることがあり得る。 表面上、主の御心を行なっていたり、善を行なって いると案外、自分でも見逃してしまいがちになるかもしれない。 だから主はご自分のしもべを 試される。 主がその人の本心、本音を知るためだけでなく、その人にも知らせるためである。 主は、その人の真の心を見極(きわ)められる。 主は、真に主のことばに忠実な者を欲してお られる。 様々なことがらを通して主が教えようとしていることを悟り、素直に受け止めることが できるなら幸いである。 示されたとき、素直に受け止めたならば、主の御前にへりくだること が出来るからだ。 これからの時代、僅かな肉のものでも心に温存することは、悪霊に隙を与えることになる。 今、主の働きを存分にしているから大丈夫、御心を行なっているから大丈夫、・・・と安穏とする ことは危険な時代であるかもしれない。 「悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきも のを捜し求めながら、歩き回って」からだ。(Tペテロ5:8) 我々は、心の中を主に探っていただき、聖書に記されている肉欲と呼ばれるものがないかどう かを、また主の喜ばれないものがないかどうかを探っていただく必要があると思われる。 肉 欲は罪へと向かわすようである。 また信仰から迷い出て、滅びへと向かわすようである。(T テモテ6:6-11) 日々、絶えず、主イエス・キリストから目を離さず、十字架のもとに自分を置き、 主の御心を知って祈っていくこと、神に依り頼むことをしていきたいものである。 ★旧約聖書 エレミヤ書 12:3
主よ。あなたは私を知り、私を見ておられ、あなたへの私の心をためされます。・・・ ★旧約聖書 箴言 4:23 力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。 |
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