めんどり聖書研究会


めんどり通信/2011年3月27日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!
<新しい聖霊の流れに乗る>


★新約聖書 マタイによる福音書 9:16,17
    だれも、真新しい布切れで古い着物の継ぎをするようなことはしません。そんな継ぎ切れ
    は着物を引き破って、破れがもっとひどくなるからです。
    また、人は新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれ
    ば、皮袋は裂けて、ぶどう酒が流れ出てしまい、皮袋もだめになってしまいます。新しい
    ぶどう酒を新しい皮袋に入れれば、両方とも保ちます。

★新約聖書  第二コリント人への手紙 3:6
   神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格をくださいました。文字に仕える者では
   なく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです。

●イエスは、「わたしはこの岩(弟子)の上にわたしの教会を建てます。(マタイ16:18)」、と言
われた。 そのことば通り、多くの教会が建った。 しかしイエスの時から2千年経った現代、教
会は衣のようにすり切れ「古い着物、古い皮袋」となってしまった。(イザヤ51:6、マルコ
2:21,22 )
 主イエスの時代の時は、教会も新しかった。 新しい教えを語られたイエスと、モー
セの律法を厳守していたユダヤ人たち(律法学者やパリサイ人たちなど)の間には、摩擦があ
るだけで決して一致することはなかった。 

また、同じくぶどう酒で表される”霊”も古くなった。 2千年前、新しい教会誕生の時(ペンテコ
ステの日)、イエスが約束されていた聖霊が下った。(ヨハネ福15:26、使途2章) しかし当時、
ユダヤ人たちは「古いぶどう酒」を固持し、「新しいぶどう酒」を飲んだキリストの弟子たちと反
目した。 

教会も霊も古くなったが、「イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変ることがない。
(へブル13:8)」
 主のことばも変わることがない。 だから今日も主は、岩(弟子)の上に主ご
自身の教会を建てられるであろう。 ”バック・トゥ・ザ・フューチャー”ということばがある。 「過
去をみて未来を知る」ということであろうか。 旧約時代を見て、また旧約から新約に変わる詳
細を聖書から知って、新しい聖霊の流れに乗っていくことが必要な時代になったと思われる。 
現代は、古い教会から新しい教会へ変わるはざまの時かもしれない。 当時、古い教会と新し
い教会は同じ時代に存在していた。 だぶっていた。 今の時代も同じであろう。

教会は変わるが、聖書に書かれている真理は、変わらない。 イエスが真理であるからだ。(
ハネ福14:6) 
 「ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中に
いるからです。」
と言われる主イエス・キリストが真ん中におられ聖霊が働かれている、そこが
教会である。 聖霊の流れに乗っていたならば、主が御心のままに導いてくださり、御心のか
たちに教会を建て上げてくださるであろう。

主は キリストの教会の建て上げについて、主の方法を持っておられる。 新しい聖霊の導き、
主の示し、主の語りかけこそ優先すべきで、今までの古い体制にこだわっていてはいけないの
ではないだろうか。 むしろ古い体制から出て来ることを主が望まれていると思われる。 

新しい聖霊の川の流れに乗ること、また乗り続けることは、新しいぶどう酒を飲むことである。
新しい聖霊の川の流れに乗っているなら、主ご自身の御手で、主の御心のかたちに建て上げ
てくださる新しいぶどう酒を入れる新しい皮袋、教会へと導いてくださるであろう。 新しいぶど
う酒を入れる新しい皮袋・教会が、どのような形になるのかは わからないが主がご存知であ
る。 主がご計画を立てておられる。 ただ我々は新しい聖霊の流れに乗ることが大切であろ
う。 日々絶えず、主イエス・キリストから目を離さず、主と主のことばの御前にへりくだり、新
しい聖霊の流れに乗り続けたいものである。

★旧約聖書 エゼキエル書  43:2
  イスラエルの神の栄光が東の方から現れてきた。 その音は大水のとどろきのよ
  うであって、地はその栄光で輝いた。

★旧約聖書 イザヤ書 25:1
   主よ。あなたは私の神。私はあなたをあがめ、あなたの御名をほめたたえます。あなたは
   遠い昔からの不思議なご計画を、まことに、忠実に成し遂げられました。




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