めんどり通信/2011年1月16日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ! <恵みの神の計画の中へ導かれる> |
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★旧約聖書 イザヤ書 27:6 時が来れば、ヤコブは根を張り、イスラエルは芽を出し、花を咲かせ、世界の面に実を満 たす。 ★新約聖書 第一コリント人への手紙 1:27,28 しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をは ずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。 また、この世の取るに足りない 者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにする ため、無に等しいものを選ばれたのです。 ★旧約聖書 イザヤ書 57:15 ・・・わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。へりくだっ た人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。 ●神はアルファでありオメガで・る。(黙示録22:13) アルファとオメガは、万物の最初と最後 を意味し、神とイエス・キリストは永遠の存在者であることを指す。 神は永遠の昔から永遠の 未来へと存在される。 神ご自身は、時間に制限されることはない。 神は、時間を超越したお 方である。 ただ、神ご自身のご計画によって、万物を創造されたとき、神は時間を定められ た。 だから我々被造物には時間の制限がある。 物質世界には時間や空間の制限がある。 神が最初、ご計画をたてられたのは、神と人が永遠に共に過ごすことを望まれたからである。 永遠の天の御国は、神の世界においては既に存在している。 神のかたちにかたどって創造 された人間が、神の栄光をあらわし、永遠の天の御国で神と共に住めるよう創造された。 し かし蛇(サタン)の悪巧みによってこの計画は阻止された。 人の中に罪が入ってきたのだ。 それで「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができ」なくなった。(ロー マ3:23) この罪が最初の神のご計画を崩した。 すべての人は生まれながらにして皆、罪人である。 だから本当は、人間は自らの罪のために (自己責任により)死ななければならない。 「罪から来る報酬は死(ローマ 6:23)」と書かれて いる通りである。 死とは、体の死だけでなく、永遠に滅びるという第二の死、永遠にわたる滅 びである。 しかし神の人に対する哀れみは変わらず、神は救いの計画を用意してくださった。 神は、人 が神と共に永遠に生きるために「永遠の命」を与えようと、神のひとり子のイエス・キリストをこ の世に送ってくださった。 イエス・キリストは我々の罪の罰を代わりに受けてくださった。 十 字架の死である。 そして三日目に復活されて今も生きておられ、救いのご計画を進めてくだ さっている。 この主イエス・キリストを信じるなら救われる。 神に対しては、いかなる時間制限も課すことはできないが、神は、ご自身が決められている時 に神の方法で、人を救われる。 また、救いのことだけでなく、神は全時代を見渡して、すべて の出来事、すべての人の心の奥など、すべてを知っておられる。(使徒2:23、Tペテロ1:2、T 列王記、詩篇44:21) そして、すべてのことは神の御許しの中で動いている。 確かに人は神から100%自由意志が 与えられている。 意志は一人一人に任されているから、ことの責任は人にあると言える。 し かし、様々な事柄において人が、真にへりくだって神の介入を求めるならば、主が責任を持っ てくださる。 そのときには、人には主の御心に全く従う、という素直な本心が必要ではある。 このように人の心の奥のすべてをご存知の主は、我々にも神の計画を持っておられる。 た だ、我々が素直に、主の御声に聞き従うという歩みをすることによって、神の計画は開かれて くる。 聖書に、神は救う人を選んでいると書かれている。(ヨハネ福15:16,ローマ9:11,エペソ1:4 ,5) 確かに選びはある。 ただ、ある意味、誰が選ばれているのか、最後まで我々ははっきり 知ることができない。 いつ、どんでん返しがあるかわからないからだ。 あのイスカリオテのユ ダは、イエスから「生まれなかったほうがよかったのです。(マタイ26:24)」と言われたが、彼は 12弟子の中の一人だったのである。 主が選ばれる基準は、Tコリント人への手紙1章に書かれている。 とにかく、へりくだることで ある。 口先だけではなく、実際、心からへりくだることである。 へりくだるとは、自分の十字架 を負うこと(マルコ8:34)、神が立てた権威に従うこと(ローマ13:1)、肉に従わず、自分のから だの行ないを殺すこと、(ローマ8:4,13)、主のみことばに従うこと・・・などである。 そのように へりくだっている者に神は、恵みと愛の満ちたご自身の計画の中へと導いてくださ る。 そして、一つ一つの求めていることがらにおいて、主の時が来たときに、恵みと祝福が増 し加わるための神のみわざをあらわしてくださる。 聖霊の流れに乗るということは、あわれみ 深い神の恵みのご計画の中に入るということである。 我々は日々絶えず、主イエス・キリストから目を離さず、主の御前にへりくだって、神が定めら れた道を進めるよう祈っていきたいものである。(詩篇51:6) 心の奥底にある主の喜ばれな いものを教えていただき、主の前に正直になって、主の御前にへりくだって絶えず祈り、聖霊 の流れに乗って導かれたいものである。 ★旧約聖書 伝道者の書 3:1、3:11、3:17 天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。 ・・・ 「神は正しい人も悪者もさばく。そこでは、すべての営みと、すべてのわざには、時が あるからだ。」 ★旧約聖書 詩篇 102:13 あなたは立ち上がり、シオンをあわれんでくださいます。今やいつくしみの時です。定めの 時が来たからです。 |
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