めんどり通信/2010年12月26日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ! <いつも主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな!掘り出された穴を見よ!> |
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★旧約聖書 詩篇 103:2 わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。 ★旧約聖書 イザヤ書 51:1 義を追い求める者、主を尋ね求める者よ。わたしに聞け。あなたがたの切り出された岩、 掘り出された穴を見よ。 ●「今年もあっという間に過ぎたね。」と挨拶をかわす年末になった。 年をとるごとに時間が過 ぎるのを早く感じる人が多いようだが、著者もその中の一人である。 一年を振り返るとあっと いう間に過ぎたと感じる割には、思い出してみると いろいろな出来事が数多くあった。 そして 一年前と比べて霊においても外側のことにおいても進ませていただいたとつくづく思う。 主に 心から感謝する。 一年間のことだけでなく、救われた前後のことから、いろいろキリストにあって思い出しながら 考えてみると主をほめたたえることばかりである。 「すべての人は、罪を犯したので、神から の栄誉を受けることができ」なくなった、と記されているが、著者もその中の一人であった。 (ローマ3:23) 「わたし、このわたしは、わたし自身のためにあなたのそむきの罪をぬぐい去り、もうあなたの 罪を思い出さない。(イザヤ書43:25)」とのことば通り、主イエス・キリストをわが神、わが救い 主と信じて、悔い改めたとき、主は罪を赦してくださった。 神が罪を思い出さない、と言われるのは、「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪 のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。(イザヤ1:18)」とのことば 通り、あたかも罪を犯したことがなかったかのように扱って下さることである。 ただ、「あたかも罪を犯したことがなかったかのように扱って下さる」と言っても、著者は自分が 犯してきた罪、どんなことをしてきたか、神に忌み嫌われる者であったかを忘れていない。 覚 えている。 しかし、イエス・キリストがわが神、わが救い主と信じ、悔い改め、主に赦された時 から、罪に対しての罪悪感、良心の呵責に苦しむということはなくなった。 それでも、自分が どんなところから救われたか、どんな穴にいたかを決して忘れていない パウロは、「私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。(Tテモテ1:1 3)」と、キリストに救われる前の自分が何をしてきたかをはっきり覚えているようだ。 パウロの 場合、聖書の神を信じ、徹底的に律法を守り、ギリシャ的な教養も学び、東西の教養を身につ けた有能な才人であり、エリート中のエリートだった。 イエスに出会い、救われてからのパウロは、キリストからの観点で以前の自分と今の自分、 以前の状況と今の状況を見ている。 だから、救われるまでの罪、咎、神の喜ばれないすべて の行なってきたことに対する罪悪感、良心の呵責に苛まれることはなかった。 そして、自分を 客観的に見て「私は・・・・、律法についてはパリサイ人、その熱心は教会を迫害したほどで、 律法による義についてならば非難されるところのない者です。(ピリピ3:5~3:7)」と言い、「私は 以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知 らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。(Tテモテ1:13)」と明確に言っている。 パウロの主を信じてからの一生は、苦難、困難、試練、迫害の連続だった。 復活の主が「彼 がわたしの名のために、どんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示すつもりです。 (使途9:16)」と言われた通りの人生だった。 それでもパウロは、常に主に従って行った。 そ して、主の御前にへりくだり続けた。 最後はローマで殉教した。 パウロは、あれほど主に用いられたにもかかわらず、傲慢にならず、へりくだり続けることがで きたのは、絶えず「掘り出された穴を見」ていたから、「主の良くしてくださったことを何一つ忘 れ」なかったからではないだろうか。 著者もパウロの足元にも及ばないが、常々、「掘り出さ れた穴を」思い出し、どんなところに居たのか、どんなところから救われたのかを思い出しつ つ、主に感謝している。 主の良くしてくださったことを思い出しつつ祈っていると自然に涙があ ふれてくる。 主は本当に生きておられると、痛感する。 来年も罪悪感、罪の呵責など古きものを忘れ、ひたむきに前のものに向かってへりくだりつつ 進んでいきたいものである。 そして、聖霊の流れに乗っていきたいものである。 ★新約聖書 第一ペテロの手紙 5:5 ・・・神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。 ★新約聖書 第二ペテロの手紙 3:18 私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。この キリストに、栄光が、今も永遠の日に至るまでもありますように。アーメン。 |
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