めんどり通信/2010年11月28日。主が復活された記念すべき日曜日で す! ハレルヤ!<サタンさえ神の許しがなければ動けない> |
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★新約聖書 マタイによる福音書 10:29 二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがた の父のお許しなしには地に落ちることはありません。 ★新約聖書 ローマ人への手紙 8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべて のことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。 ●聖書には、神は信仰を試されると書いてある。(ヘブル12:6,T歴代史29:17) ただ「主を信 じているかどうか」というのではなく、本物の信仰、神が望まれている信仰へと至らせるための 試し、訓練である。(申命記8:7) 我々が地上で生きている間には、人によって個人差はある が、様々な事が起き、様々なことに遭遇する。 平々凡々、安穏と暮らしていける人もいれば、 傍から見て気の毒に、と思えるほど苦労している人もいる。 苦難や病など一般的に人にとって芳しいと思われないことは、その人の罪の問題や性質からく ること、生理的なことなどが原因となっている場合もあるが、悪霊やサタンの攻撃、邪魔という のが最大の原因であるということが多い。 しかし、全ての権威を持たれている神の御許しがなければ何一つ起こりえない、というのが聖 書の語っていることであるから、我々は起きた出来事、事柄に影響されるのではなく、それを 許された神を見上げることが重要である。 その神を本当の意味で知ることが、その出来事や 問題の解決になるかと思われる。 この世の君であり、今はまだこの地上の権威者であるサタンは、神を知る者を不当な方法で 攻撃しながらも、ある意味、正当な理由で神を知る者を神の前に訴えようと探し回っている。 (Tペテロ5:8,黙示録12:10) 聖書に登場してくる多くの人物がサタンや悪霊からの攻撃を受けて苦難や困難、病など不幸 な境遇を体験している。 その中でも旧約聖書に登場してくるヨブは、サタンからの攻撃がひと きわ目立っている。 ヨブは潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっており、裕福で正直者だった。 そのヨブの信 仰を神はさまざまな試練によって試した。 ヨブは堅固な信仰に立っていた。 ある日、悪魔 (サタン)が神の許可を得てヨブの財産を奪い、子供たちを奪った(殺した)。 それでもヨブは 罪を犯さず、神に愚痴をこぼさなかった。 しかし尚もサタンが神に申し出てヨブを打つことの許しを受けると、サタンは、ヨブの足の裏か ら頭の頂まで、悪性の腫物で彼を打った。 「彼のいのちには触れるな。( ヨブ記2:6)」との神 のことば通り、命こそ取らなかったが、体中を掻きむしって苦しむほど攻撃した。 そこに3人の 友がヨブのうわさを聞いて遠くからはるばる見舞いに来たが、ヨブは彼らから慰めを受けるど ころか反対に攻撃により、苦しみを受けることになった。 ヨブは3人の友に反論するだけでなく、その矛先が神に向かい神に対して疑問をもち、ついに は神に反抗し非難の姿勢すら見せた。 しかし、神が語られると(ヨブ記38^41章)、「知識もなく て、摂理をおおい隠した者は、だれでしょう。まことに、私は、自分で悟りえないことを告げまし た。自分でも知りえない不思議を。(ヨブ記42:3 )」とへりくだった。 「私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、今、この目であなたを見ました。それで私 は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔い改めます。(ヨブ記42:5^6)」というこの告白は、表面だ けのものではなく、今後につながる深いものであった。 ヨブは自分が遭った苦難は、たとえサ タンからのものであろうとどこからのもであろうと、すべて神の御手の中で行なわれていること を知った。 ヨブが、それまでさんざん神の前に、自分の潔白を主張していたが、そのヨブを黙らせ、真底 からの悔い改めをさせたのは「 今、この目で神を見た」(ヨブ記42:5)からである。 神を知ると は、神を見ることであり、神を見るとは、神を知ることである。 ヨブは神を見たということで、自 分が遭った苦難の問題「なぜ苦しまなければいけないのか」に対して、解答を見いだしたと思 われる。 神を見たことによって、本当に満ち足りた。 神を見るならば、神のうちにあわれみも、希望も、すべてのものを見い出すことができる。 ヨ ブは神に許され、ヨブも3人の友と和解し、体は元どおりになり、さらに主はヨブの所有物をす べて二倍に増された。 ただ、ヨブに与えられた最大の幸福は、「神を見た」ということである。 ヨブの救いは、繁栄が回復されることではなく、神を見ることにあった。 この苦難の前にもヨブは神のことを知っていた。 神の御心も行なっていた。 しかし苦悩、絶 望を通ることになった。 それでもこの苦悩、絶望を通して知った神のことは、その後のヨブの 生き方を大いに変えるものとなった。 主の選びはある。 旧約時代、イスラエルは選ばれた。 またイエスは言われた。「あなたがた がわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。(ヨハネ福15:16)」 聖 書を見ると、選ばれた者は必ず、主の試し、訓練、試練を受けている。 また聖霊に導かれて 真に祈っている者はみな、波風の立たない安定した生き方をしているとは言えない。 むしろ、 いろいろな出来事に遭遇し、いろいろな事柄がある。 様々な苦労する体験をしている。 しかし、皆、信仰の勇者になった。 彼らは「サタンさえ神の許しがなければ動けない」ことを 知った。 そして何よりも、神を知った。 神を見た。 神に出会った。 多くの困難、苦難を通 して、その中にサタンでも悪霊でもなく、神を知り、神を見た。 ヨブは老年を迎え、長寿を全うして死んだ。(ヨブ記42:17) 我々もこの地上で、神、キリストを 知り、キリストを見る(体験する)者には、永遠の慰めが用意されている。 この地上において、 我々は、主に直接語りかけられて、そのことばを主が成し遂げられることを、体験しながら い よいよ深く神を知っていきたいものである。 神の栄光を見ていきたいものである。 日々、絶えず、主イエス・キリストから目を離さず、主に尋ねること、いつも祈ること、神に依り 頼むことをしていきたいものである。 また、祈りも聖霊の導きによる祈りができるよう、主の御 前にへりくだっていきたいものである。 主は生きておられる。 ★旧約聖書 イザヤ書 25:1 主よ。あなたは私の神。私はあなたをあがめ、あなたの御名をほめたたえます。あなたは 遠い昔からの不思議なご計画を、まことに、忠実に成し遂げられました。 ★新約聖書 第一ペテロ の手紙 5:8 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのよう に、食い尽くすべきものを探し求めながら、歩き回っています。 |
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