めんどり通信/2010年4月18日。主が復活された記念すべき日曜日で す! ハレルヤ!<百聞は一見にしかず> |
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★新約聖書 ヘブル人への手紙 5:14 しかし、堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚 を訓練された人たちの物です。 ★新約聖書 ルカによる福音書 18:16 しかしイエスは、幼子たちを呼び寄せて、こう言われた。「子どもたちをわたしのところに 来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。 ●「百聞は一見にしかず」とは百回聞くより、1回見る方が良く分かる。 何度繰り返し聞いて も、一度実際に見ることに及ばない、という意味がある。 同じように、神の御業、神のことば の成就、神の奇蹟は、書物で読んだり、人から聞くより、1度、実際それを見たり、体験したり、 それに触れると信仰や霊が深まるということがある。 ただ神からのものは、見る、触れる、体 験するという事実、実際、現実をいかに受け入れるか、自分のものにするかが重要である。 旧約聖書に登場するヤコブ(後にイスラエルと改名)の11番目の息子ヨセフは、ある日、夢を 与えられた。 それは将来、兄弟や両親がヨセフを拝むようになるという夢だった。 父はこの ことを心に留めていたが、兄たちはヨセフを憎んだ。 ヨセフは兄たちに奴隷としてイシュマエ ル人に売られエジプトに連れて行かれた。 ヨセフが見た夢、それは神からのビジョンだったが、そのときには、まだ成就されていなかっ た。 エジプトでは侍従長に家の管理をすべて任せられたが、侍従長の妻の偽証により監獄 に入れられた。 監獄でも、王の献酌官と調理官とが見た夢を解き明かし、二人はそれぞれ 夢の通りになった。 ヨセフは神からのビジョンが本当にその通りになることを見た。 2年後パロの夢の解き明かしをしてエジプトの総理大臣となった。 その後ヨセフが30歳の時、 パロへの夢の解き明かし通り、7年の豊作がありその後大飢饉がきた。 そしてついに神から の夢、ビジョン通り、兄弟や両親がヨセフを拝することになった。 ここでも神からの夢、ビジョ ンは本当にその通りになることを見た。 そして体験した。 ヨセフは神からの夢、ビジョン「将来、兄弟や両親がヨセフを拝むようになる」ということが、実 現するまでに、いろいろな苦難、試練があった。 しかし実現までの途中経過においても、ヨセ フは、夢を与えられ、それらが実現した。 その時には、神の奇跡としてへりくだって受け止め ていたようである。 その証拠に「主はヨセフとともにおられた(創世記39:2,21 )」と記されてい る。 主はへりくだった者のもとにしかおられないからだ。(イザヤ書57:15) またそれがヨセフ の信仰と霊を深め、困難、苦難の中でも神からのビジョンを握って忍耐と希望を持って生き抜 いていくことができた。 神の業、奇蹟、神のことばの成就を見ても信仰や霊が深くならない場合もある。 福音書を見 ると、主は病のいやし、悪霊の追い出し、死人の生き返らせ、5つのパンと2匹の魚から男だけ でも5千人の人たちの腹を満たすなど多くの奇蹟を現された。 しかし、それらを見た人々、体 験した人々がみな主イエス・キリストを最後まで信じ拝したかというとそうではない。 群集はみ な「イエスを十字架につけよ」と寝返った。 弟子と呼ばれる人たちでさえ主から離れて行った と記されている。(ヨハネ福 6:66) 結局、彼らにとって主が現された奇蹟も、御業も彼らの信仰、霊を深める要素にはならなかっ た。 何故か? それは彼らが主のことばを握らなかった、信じなかったということであり、主の 御前にへりくだっていなかったということであるからだ。 神からのもの、ことばやビジョンを握 っていない、受け入れていないということは主の御前に傲慢になっているということである。 主イエスは「神の国に入るには幼子のようになりなさい」と言われた。 我々人は、自我が砕か れ、肉が切り取られることによって、世の常識や人間関係や自分の損得やその他もろもろを 含めた大人の考えをせず、神に対して純粋に素直になれるといえる。 そのために神は我々 が様々な苦難、試練を通ることを良しとされる。 案外、そういうところを通らないと自我は砕か れず、肉は切り取られないものである。 . 自我が砕かれ、肉が切り取られて、神と神のことばに対しては幼子のように素直に受け入れ、 神の御業や奇蹟を見たり、体験したり、日々の生活の中で訓練、試練などを経験して、信仰や 霊の深みに入って、物の考え方においては大人になることは重要である。(Tコリント14:20) 「しかし、堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を 訓練された人たちの物です。(ヘブル5:14) 」と記されている。 我々がもし神の御業や奇蹟を見たり、体験するようなことがあるときには、信仰や霊が深みに 入れるためにヨセフのようにへりくだって受け止めていきたいものである。 そうするなら主が ともにいてくださって、すべてを益となしてくださるであろう。 そして苦難、困難なことが起きて もあわてず聖霊の流れに身を任せることができるであろう。 日々絶えず、主イエス・キリストから目を離さず、主の御前にへりくだって祈り、神に依り頼ん でいきたいものである。 また、神のことばと信じて聖書を読み、主からことばをいただき、 聖霊の流れに乗っていきたいものである。 ★新約聖書 ローマ人への手紙 8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべて のことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています ★旧約聖書 イザヤ書 66:2 これらすべては、わたしの手が造ったもの、これらすべてはわたしのものだ。・・主の御告 げ。・・わたしが目を留める者は、へりくだって心砕かれ、わたしのことばにおののく者だ。 |
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