めんどり通信/2010年1月10日。主が復活された記念すべき日曜日で す! ハレルヤ!<キリストが介入した心機一転> |
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★旧約聖書 エゼキエル書 36:26 あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたが たのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。 ★旧約聖書 詩篇 51:10 神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。 ●新しい年に入り、今年も昨年同様・・・と言える人もいるだろうが、多くの人たちは今年こそ は、と何らかの動機で心機一転を図っているのではないだろうか。 昨日、新聞で阪神大震災 にあった人の体験談を読んだ。 大きな体験(身内の死とか自らの大怪我とか)をした人を思 い、体験を語ることばを封印してきた人たちの心の苦しみが書いてあった。 それを読むと、心 の痛みが置き去りのまま心機一転はなかなか難しいようである。 「(災害の度合いが少なかったから)・・・さんはよかったね。」と言われて以来、つらい、と言え なくなっていた人も多いようである。 人がつらい、という基準は外側のことだけでは判断できな いところがある。 外側から見て大きなダメージを受けていると見えてもその人の心は案外、大 丈夫という場合もある。 反対に明らかに小さなダメージで運が良かったと見受けられる場合 でも、人によっては心の傷が深く立ち上がれないということも有り得る。 言うなれば人の心は (他)人には理解しがたいところがある。 様々な体験や思いは物差しでは測れない、と新聞の投稿者は書いていたが本当にその通りで ある。 しかし、人を造られた神は全てをご存知である。 主はすべての人の心を知っておられ る。 (使徒1:24,15:8,ローマ8:27) 人の苦しみ、言葉では言い表すことのできない苦しみをも 知ってくださっている。 聖書に「私たちの大祭司(キリスト)は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は 犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。(ヘブル 4:15)」 「キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かっ て、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられま した。(ヘブル5:7 ) 」と書かれている。 人の性格、性質、感性の違いはあっても、同じ苦しみを受けた者どおしが慰めあうことができ やすい。 新約聖書ピリピ人への手紙2:6,7節に「キリストは、神の御姿であられる方なのに、 神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、 人間と同じようになられたのです。」と書かれているが、神が私たちと同じ人になられて、人とし ての苦しみを通ってくださったからこそ、すべての人の心の底からの叫び、苦しみをわかってく ださるのである。 キリストの最大の苦しみは十字架上であった。 朝9時頃、十字架にかけられ、全地は昼の12 時から3時まで暗くなったという。 そして午後3時ごろ、イエスは大声で、「わが神、わが神。ど うしてわたしをお見捨てになったのですか。(マタイ27:46,マルコ15:34)」と叫ばれた。 父と ひとり子イエスは永遠の昔から一つであられた。 それが私たちの罪の身代わりとなられるた めに十字架で分断された。 罪のない方が罪そのものとなられた瞬間である。 だから神がそ のひとり子から目を逸らされた瞬間でもある。 父なる神から目を離されたキリストの苦しみ は、とうてい我々には理解しがたいものであろう。 また、ひとり子から目を逸らさなければなら なかった父なる神の苦しみも想像を絶するものである。 この地上で生きていると次々と問題が起きてくる。 災害にあわなくても様々なストレスが襲っ てくる。 しなくてもいいような取り越し苦労をしてしまうことも多い。 我慢の生活で神経をすり 減らし、活き活き生きることから遠のいてしまうことも多い。 このようになる原因が、こういう世 の中にもあると思われるが、そのような世に反応し苦しみへと誘導するのは、やはり罪であろ う。 そして、その罪をキリストは処分してくださったのである。 そして、この十字架があったか らこそ、3日目のよみがえりが事実だからこそ、どのような環境、状況でも平安で生きることが できる道が開かれた。 この神、主イエス・キリストに介入していただく心機一転は、決して後戻りすることはない。 長 い、短いそれぞれの人生に、何があっても後戻りすることのない真の心機一転、すなわちキリ ストによる心機一転をして、外側の問題、ことがらだけでなく、内側の問題、心の問題、痛みか らも解放され、新しい生き方に入って、本来、神が与えてくださっている「本当の自分らしさ」で 生きたいものである。 今年も日々絶えず、主イエス・キリストから目を離さず、主の御前にへりくだって祈り、神に依り 頼んでいきたいものである。 また、常に神の前に聞くという姿勢を持って神のことば聖書を読 み、主からことばをいただき、聖霊の流れに乗っていきたいものである。 ★新約聖書 第二コリント人への手紙 1:4 神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自 分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることがで きるのです。 ★新約聖書 エペソ人への手紙 4:22~24 その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅び て行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、またあなたがたが心の霊において新しくされ、真理 に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。 |
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