めんどり通信/2009年10月18日。主が復活された記念すべき日曜日で す! ハレルヤ!<神の計画には人に対するあわれみがある> |
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★旧約聖書 エレミヤ書 29:11 わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。・・主の御告げ。・・ それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与える ためのものだ。 ★旧約聖書 詩篇 116:5 主は情け深く、正しい。まことに、私たちの神はあわれみ深い。 ●旧約聖書創世記に登場してくるヨセフの苦難と栄光の生涯は、キリストの受難と栄光の雛形 (ひながた)といわれ、ヨセフは主イエス・キリストの型であるといわれている。 創世記37章に 「これはヤコブ(別名イスラエル)の歴史である」と記され最初にヨセフについて書かれている。 ヨセフはヤコブ(イスラエル)の11番目の息子で、ヤコブに特別にかわいがられていた。 その ことをねたんだ兄たちはヨセフを奴隷として売ってしまう。 エジプトの王パロの侍従長に売ら れたヨセフは、神がヨセフとともにおられたので、ヨセフのすることはすべてうまくいった。 侍従長の妻の偽証により監獄に入れられてしまうが、同じく監獄に入れられて来た王の献酌 官と調理官とが見た夢の解き明かしをした。 その2年後、ヨセフはパロの夢を解き明かし、「7 年のききんが起こるから、豊作の間にききんに備えてください」と進言して、パロから大臣に任 命された。 7年のききんは全世界に及び、外国からもエジプトに食料を買いに人々がやって来た。 その 中に兄たちの姿があった。 ヨセフは兄たちのことが分かったが、兄弟たちはヨセフのことが 分からなかった。 そこでヨセフは、そのときは自分の正体を明かさず、兄たちを間者と決め つけ、末の弟ベニヤミンを連れてくるように要求した。 兄たちはシメオンを人質としてエジプトに残し、穀物を持って帰り、エジプトで起きたことを父ヤ コブに話した。 ヤコブはベニヤミンをエジプトに連れて行くことに強く反対するが、穀物が尽き てしまったため、兄弟たちはベニヤミンを連れてエジプトに戻った。 ヨセフはベニヤミンを見ると感激し、兄弟たちにご馳走をした。 その後、兄弟たちがカナンの 地に帰る前にヨセフはベニヤミンの持つ穀物の袋に、自らの使う銀の杯を入れた。 そして兄 弟たちが出発してすぐに、ヨセフは彼らを追い、彼らが銀の杯を奪ったと指摘、兄弟たちは自 信を持って盗んでいないと主張するが、調べると、ベニヤミンの袋から銀の杯が見つかった。 罰としてヨセフはベニヤミンを自分の奴隷とすると言ったが、兄弟たちは自らが奴隷になってで も、ベニヤミンを帰らせるよう頼んだ。 その時、ヨセフは自分のことを明かした。 兄弟たちは 驚き、喜びの再会を果たし和解した。 また、ヤコブもヨセフに会って、劇的な再会を果たし た、ということである。 さて、ヨセフは最初、兄弟たちを見たとき、「かつて彼らについて見た夢を思い出して」、兄弟た ちを間者と言ったと書いている。(創世記42:8,9) 多くの解釈では、ヨセフがすぐに自分の正 体を明かさなかったのは、ヨセフの中に兄たちに対する赦せない気持ちが残っていたからだと か最初は意地悪をしてしまったとか様々あるようだ。 しかし、「わたしが天から下って来たのは、自分のこころを行なうためではなく、わたしを遣わし た方のみこころを行なうためです。(ヨハネ福6:38)」 と主が言われたことばに通ずるのではな いだろうか。 主イエスは父のみこころを行うため、神のご計画を遂行されるため、この地上に 来てくださった。 ヨセフは「今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりませ ん。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。(創世45: 5)」と兄弟たちに言った。 ヨセフがキリストの型であるとするならば、単に兄たちを赦せないから、ヨセフが意地悪だから すぐに自分を明かさなかったとは思えない。 ヨセフはかつて見た夢、「太陽と月と十一の星が ヨセフを伏し拝んでいた、ヨセフの束を中心にして兄弟たちの束がヨセフの束におじぎをした (創世 37:7,9)」は、神からの啓示と受け取っていたのだと考えられる。 そしてその啓示、すな わち神のことばに従ったのではないだろうか。 キリストは、十字架にかけられる前「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてくだ さい。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。(ルカ22:42)」とご自身の 願いを父に申し上げているが、結局は、父のみこころ、ご計画 に従った。 キリストは、今の悪 の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお捨てになった。 私た ちの神であり父である方のみこころに従ったのである。(ガラテヤ1:4) またヨセフが自分を明かすまで、兄弟たちに意地悪、または言い掛かりを付けているとも思わ れるようなこの期間は、兄弟たちに罪の深さを思い知らせるため、ヨセフが生きていたという 奇跡的な神のみわざを深く受け止めさせるため、あわれみ深い神のご計画を目の当たりに見 させるための時になったと思われる。 ヨセフが自分の正体を明かさず、兄弟を試すようなこの期間があったからこそ、兄弟たちはあ の時のヨセフの必死の嘆願を連想し、深い悔い改めへと導かれた。 また、兄弟たちは神の 奇蹟を厳粛に深く受け止めることができた。 神にはあわれみ深い神のご計画があることを 体験できた。 ヨセフが兄弟たちのことを知って、自分を明かすまでの期間は、今日の我々クリスチャンにとっ ては訓練、試しのような時と言えるかもしれない。 そしてその期間は、主がみわざをあらわし てくださり、奇蹟を深く受け止めることができるための準備の期間である。 これだけ科学や医 学、理論などが発達した現代においては、主の奇蹟よりもそちらに頼ってしまいそうである。 そしてせっかく奇蹟が現われても奇蹟を奇蹟と受け取れず、見過ごしてしまったり、群集のよう に、ああすばらしいと一過性のような感じになってしまい、その後の人生に何の益にもならない ということも多いと思われる。 ヨセフが兄弟たちに自分の正体を明かしてからは、父ヤコブとの再会、父親や自分の家族の 一族をエジプトに迎え、ヤコブがパロに謁見、ヤコブの病気、ヤコブがヨセフの二人の子を祝 福、ヤコブの死・・・など次々ことが起こり進んでいった。 訓練、試練についても、クリスチャンにとって霊の父、神は我々の益のため、我々をご自分の 聖さにあずからせようとして、懲らしめると聖書に書いている。(ヘブル12:10) 神の訓練、試 練を受けているときは出口が見えないように思えるほど苦しいと思うが、神の時がくれば出口 の扉は開かれ、事が次々、進んでいく。 すべては神のご計画通り進んでいく。 キリストはご自身の思い、願いがあったとしても父なる 神のみこころどおりになさる。 その神のみこころ、神のご計画には、神の配慮とあわれみが ある。 我々もそのあわれみの神のご計画の中に入らせていただきたいものである。 日々絶えず、主イエス・キリストから目を離さず、主の御前にへりくだって祈り、神に依り頼ん でいきたいものである。 また、神のことばと信じて聖書を読み、主からことばをいただき、聖 霊の流れに乗っていきたいものである。 ★旧約聖書 イザヤ書 25:1 あなたは私の神。私はあなたをあがめ、あなたの御名をほめたたえます。あなたは遠い 昔からの不思議なご計画を、まことに、忠実に成し遂げられました。 ★新約聖書 ローマ人への手紙 8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべて のことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。 |
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