めんどり聖書研究会


めんどり通信/2009年10月4日。主が復活された記念すべき日曜日で
す! ハレルヤ!
<すべては神の御ゆるしのもとで行われている>


★新約聖書  黙示録 22:13
       わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりで
       ある。」

★旧約聖書 詩篇 25:12、32:8
   主を恐れる人は、だれか。主はその人に選ぶべき道を教えられる。
   わたしは、あなたがたに悟りを与え、行くべき道を教えよう。わたしはあなたがたに目を留
   めて、助言を与えよう。

● この地球上で、地震、豪雨、暴風、地滑、洪水、干ばつなどの自然現象による災害が多発
している。 しかし、災害を起こすのは自然現象だけというわけにはいかない場合も多くある。 
科学、物理、もろもろにおける技術などが目覚しく発達し、開発が進む環境変化の中で自然災
害と人災を明確に区別することが難しくなってきたようである。 最初の引き金が自然現象で
あっても純粋の自然災害はないという学者もいるようである。 

聖書には、たった1羽の小さい雀(すずめ)さえ、地に落ちることは神の許しなしにはできないと
書かれている。(マタイ10:29) 神はすべてのものを造られた。(箴言16:4 ) すべての権威は
神にある。 だから我々を取り巻く様々な出来事は、神の采配、ゆるしによって起きている。 
災害のような不幸な出来事であっても神の御許しのもとで起きる。 

もちろん神は、我々人を不幸に陥れようと不幸な出来事が起きることをゆるしておられるので
はない。  むしろ神の心は、「ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進む
ことを望んでおられる。(Uペテロ3:9 )」 「神は、すべての人が救われて、真理を知るようにな
るのを望んでおられる。(Tテモテ2:4)」 
様々な出来事を通して、人が神の下に正しく返ってく
ることを望んでおられる。

この地球上に起こるすべてのことは、神の愛といつくしみ、あわれみと正しさの範囲の中で起
きていると言っても過言ではない。 人間の欲望を追求した結果といえる人災さえも神のあわ
れみの範囲の中にあるとするならば、人はそれらの出来事を何一つ無駄にしてはならない。 

神が「その力あるみことばによって万物を支えておられる。(ヘブル1:3)」 すべての権威を持
たれている神がすべてを支配される。(T歴代誌29:12) しかし人の人生に神が介入していた
だくかどうかは、その人の意思表示次第である。 聖書に登場してくる多くの人物は、進んで神
の介入を受け入れた。 旧約時代のアブラハム、ヤコブ、ヨセフ、モーセ、ヨシュア、ダビデ、ダ
ニエル等など。 新約時代のペテロ、パウロ、ヨハネ、等など。 

彼らはみな、神には人に対する神の全般的計画(神の経綸)があると認めた。 それで患難、
試練、苦難を通っても多くの失敗をしても主は自分が滅びることは御心ではない、必ずすべて
を益にして下さる、神のなさることはすべてよい、すべてには神の時があることを信じていた。

だから、たとえどのようなことが起きようとも失望せず、落胆しなかった。 弱さ、侮辱、苦痛、
迫害、困難に甘んじても倒れなかった。 そしてますます主を愛し従っていった。 なぜなら、パ
ウロが記している「私が弱いときにこそ、私は強いからです。(Uコリント12:10)」という言葉通
り、自分の弱さを十分知っており、だからこそ徹底して主を恐れ、主に信頼し、主に従って行っ
た。 主にあっての強さを身に着けていった。 

人生において我々を取り巻く様々な出来事が起きた時、神が介入しているかいないかで結果
が大いに違ってくる。 行き先が違ってくる。 様々な問題が解決されることは当然大切なこと
であるが、救われることはもっと大切なことである。 人が再生(キリストを信じて再び生まれる
こと)されて、永遠の御国へと導かれることはもっと重要なことである。 この世でのことは、
あっという間に過ぎ去るからである。

この地上の人生の歩みは、この地上だけの問題ではない。 目的がある。 この体の命はこ
の地上だけのものであるが、人間はこの地上だけでは終わらない。 聖書によるならば、死
後、行き先がある。 一般的にもよく聞かれる「天国」と「地獄」である。 そして「世と世の欲は
滅び去」
るという。(Tヨハネ2:17) 「この世の有様は過ぎ去る」という。(Tコリント7:31)

様々な出来事の奥に、それを許された神を認めていきたいものである。 それらを通して主が
何を我々に教えようとされているかを尋ねていきたいものである。 そうするならば、それらの
出来事の一つ一つは無駄にはならないであろう。 むしろ主はそれらの一つ一つを益に変えて
くださる。 何事も表面だけ見るのではなく、その奥にある主のみこころを祈り尋ねていきたい
ものである。 神は真剣に祈り求めて来る者に必ず答えて下さる方である。 

小さな雀の一羽でも、神の御前には忘れられていない。 なおさらご自分の民には心を向けて
おられる。 主は、ご自分の民を心配してくださっているのである。(詩篇 55:22) すべての道
で主を認めて、主の御心を知って歩んでいきたいものである。 そうするならば主は我々の道
を天の御国へむかってまっすぐにされるであろう。(箴言3:6)

主の御前にへりくだって祈りつつ思いを点検し、日々絶えず、主イエス・キリストから目を離さ
ず、主に尋ねること、いつも祈ること、神に依り頼むことをしていきたいものである。 また、神
のことばと信じて聖書を読み、主からことばをいただき、聖霊の流れに乗っていきたいもので
ある。 

★旧約聖書  T歴代誌 29:17
   私の神。あなたは心をためされる方で、直ぐなことを愛されるのを私は知っています。私
    は直ぐな心で、これらすべてをみずから進んでささげました。・・・

★新約聖書 マタイによる福音書 10:30
       また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。



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