めんどり聖書研究会


めんどり通信/2009年8月16日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!
<何事にも神の方法がある>


★旧約聖書(口語訳) 伝道 11:5
       あなたは、身ごもった女の胎の中で、どうして霊が骨にはいるかを知らない。そのように
       あなたは、すべての事をなされる神のわざを知らない。

★旧約聖書  詩篇 86:10
   まことに、あなたは大いなる方、奇しいわざを行なわれる方です。あなただけが神です。
 
★旧約聖書  詩篇 34:7
       主の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助け出される

●聖書の中に様々な神の方法が書かれている。 例えばゲネサレ湖で漁師ペテロに主が「深
みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」
と言われたときのことである。 夜通し働いて何
一つ取れなかったペテロは半信半疑であったと思うが、主のことばに従った。 すると網が破
れそうになるくらい並々ならぬ大漁になった。(ルカ5:1〜5:10) 人の方法と神の方法は違う。

救いについても、神の方法、人の方法がある。 失敗したり、ねたんだり、怒ったり、争ったりな
どは多くの人が経験することであろう。 そのとき落ち込み傷つくので、気分転換したり、反省し
て今度からは気をつけようと自分に言い聞かせたり、直そうと考えたり、努力する人が多い。 
このようなことが決して悪いことではない。 だが、これらは人間が自分自身の力で自らを救お
うとして考え出した「人の方法」であって、神の方法、聖書の方法とは違う。 

主は、言われる。「わたしのもとに来なさい!(マタイ11:28)」「そのままの状態で来たれ!」「わ
たしの前で、ひざをかがめよ!(悔い改めを表す)」 「わたし(イエス・キリスト)を信ぜよ!」「そ
うすれば、わたし(イエス・キリスト)の十字架で流した血により、あなたの罪を赦す! また、わ
たしの恵みと祝福とキリストの性質に預からせる!」と。 これが神の方法、福音である!

 またこのような神の方法もある。 旧約聖書のTサムエル記19章で、ダビデがサウルから命
を狙われ逃げていた。 ラマにいる預言者サムエルのところに行ったとき、サウルにダビデの
居場所を告げ口する者がいた。 サウルはダビデを捕らえようと使者たちを遣わした。 
 
最初の使者たちは、サムエルたち預言者が預言しているところに遭遇した。 すると、神の霊
がサウルの使者たちに臨み、彼らも預言した。 サウルは3回、使者たちを遣わしたが、使者
たちは皆、神の霊が臨んでダビデを捕らえるどころか、そこにいる預言者達と共に預言した。

使者たちではらちが明かぬとサウルがダビデを捕らえにラマへ行った。 そうすると、サウルに
も神の霊が臨み、預言した。 「ミイラとりがミイラになった」という諺があるが、まさにそのとお
りである。 敵対する者たちの上にも神の霊が臨み、サタンの働きを抑えられた。 神が働か
れ介入されたのである。 もちろん神の霊が臨んだからと言ってサウルたちが救われたわけで
はない。 サウルたちは悔い改めず、神の前にへりくだらなかったからである。

しかしまさか悪霊的な者たちに神の霊が臨むなどとは、通常考えられないことであろう。 だ
が神は、このように時には人には考えられないようなことをなさる。 見事なものである。 敵に
さえも働かれて、その悪事を止めさせる。 あくまでもダビデを助けるための神の方法である。

何事においても神に介入していただくことは重要である。 そうするなら神は何事においても人
には考えられない、思いつかない不思議な方法を用いなさることも多い。 すばらしい神のわ
ざを見たいものである。 体験したいものである。

神の霊、聖霊が、我々のあらゆる領域に介入してくださるために、今週も絶えず、主イエス・キ
リストから目を離さず、主に尋ねること、いつも祈ること、神に依り頼むことをしていきたいもの
である。 また、神のことばと信じて聖書を読むことをしていきたいものである。

★旧約聖書  詩篇 33:11
       主のはかりごとはとこしえに立ち、御心の計画は代々に至る。

★旧約聖書  箴言 19:21
         人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る。


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