めんどり通信/2009年8月9日。主が復活された記念すべき日曜日で す! ハレルヤ!<聖霊の流れに乗る> |
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★旧約聖書 エゼキエル書 47:5 彼がさらに一千キュビトを測ると、渡ることのできない川となった。水かさは増し、泳げる ほどの水となり、渡ることのできない川となった。 ★旧約聖書 箴言 19:21 人の心には多くの計画がある、しかしただ主の、み旨だけが堅く立つ。 ★新約聖書 ローマ人への手紙 12:3 私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思 うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与え てくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。 ●Tサムエル記16章からダビデが登場する。 改めてダビデの生涯から学べるところが多い と思った。 ざっと出来事を簡単に書いてみる。 イスラエル最初の王となりながら、神の命令を守らなくなったサウルは、王位から退けられた。 (Tサムエル15:23) そしてダビデがイスラエルの王として選ばれた。 ひそかに預言者サムエ ルにより、ダビデにイスラエルの王となる油が注がれた。 主の霊がその日以来、ダビデの上 に激しく下った。(Tサムエル16:13) その後、巨人ゴリヤテとの一騎打ちで勝利を得た。 サウルの息子ヨナタンと契約を結んだ。 (18:4) サウルの娘ミカルと結婚。 サウルがダビデを殺すことをヨナタンや家来の全部に告 げ、何度も殺されそうになった。 兵の最前線に送られたり、槍で突き刺されそうになったり、 寝込みを襲われたりした。 ヨナタンと涙の別れをした後、ノブの祭司の町のアヒメレクの許に立ち寄った。 一人で来たダ ビデに恐る恐る「おひとりですか?」と尋ねるアヒメレクに偽りを交えた答えをしたダビデ。 し かし祭司しか食べられない供えのパンとゴリヤテを倒したときの勝利の剣を受け、主に伺って もらい主のことばをいただいた。 それからガテの王アキシュの許に下り、捕らえられそうに なって咄嗟に気違いのふりをして、その場を去って、アドラムの洞穴へ行った。 ここから荒野 での放浪が始まるが、ここまででも波瀾万丈と言える。 「主に伺ってもらい」ということを21章には書かれていないが、ダビデのことを密告したエドム人 ドエグの「アヒメレクは彼(ダビデ)のために伺って(22:10)」とのことばでサウルがアヒメレクに 問い詰めると、アヒメレクは「私が彼のために神に伺うのは、きょうに始まったことでしょうか。 (22:15)」と否定していないので、ダビデが主のことばをいただいた可能性はある。 また偽りを交えた答えについても、主が許されたと考えることができる可能性がある。 安息日 に弟子たちが麦の穂を摘んで、手でもみ出しては食べていた行為が、安息日には働いてはな らないという律法を守っていないとパリサイ人たちに責められたとき、イエスは「ダビデは神の 家にはいって、祭司以外の者はだれも食べてはならない供えのパンを取って、自分も食べた し、供の者にも与えたではありませんか。(ルカ 6:4 )」と言われた。 このことからアヒメレクに 答えたダビデの応答のことばは、主が許されたのではないかと考えることができないだろうか。 さて、ここまででもダビデの歩みは、様々なことを体験しているが、一言でいえば、聖霊の流れ に乗っていたのではないだろうか。 神のご計画の内にあったのではないだろうか。 聖霊の流れに乗っているということは、いつも平安で災いもなく順調、また信仰も凛としてい る、いいことばかりですべてが順調というのではない。 信仰が凛としているときあり、勝利の 時あり、苦肉の策を取らなければならないときあり、苦境の時あり、窮地あり、また平安なとき ありと様々である。 だから表面(状況、状態)だけ見ていたのでは、聖霊の流れに乗っているかどうか判断できな い。 主の働きをしているといっても、それが聖霊の流れに乗っているとはいえないこともあり 得るかもしれない。 聖霊の流れに乗っていたならば苦境、窮地の時でも、聖別された供えのパンしかないのでそ れを与えられる。(21:6) 勝利の剣しかないのでそれを与えられる。(21:9) パンも剣も神 のことばのたとえであるが、神のことばをいただいて聖霊の流れに乗ることが非常に大切であ る。 「サウルがダビデを殺そうと、人を遣わして家を見張らせていたとき」に詠われた59篇、 「ガテでペリシテ人に捕らえられたとき」に詠われた56篇、「ダビデがガテの王アキシュの前で 狂気の人を装い、追放されたとき」に詠われた34篇を読むと、ダビデが聖霊の流れに乗ってい たとわかる。 ダビデが神の前に、慎み深く、へりくだっていたことがわかる。 「人はうわべを見るが、主は心を見る。(Tサムエル16:7)」「わたしのために、王を見つけた (Tサムエル16:1)と言われた主は、「わたしは、わたしのしもべダビデを見いだし、わたしの 聖なる油を彼にそそいだ。 わたしの手は彼とともに堅く立てられ、わたしの腕もまた彼を強くし よう。(詩篇89:20,21)」とも言われた。 正しく聖霊の流れに乗っていくには、主から神のことば を頂く、頂いているということが大きな鍵となるかもしれない。 絶えず、主イエス・キリストから目を離さず、主に尋ねること、いつも祈ること、神に依り頼むこ とをしていきたいものである。 また、神のことばと信じて聖書を読むことをしていきたいもので ある。 そして主からことばをいただき、聖霊の流れに乗っていきたいものである。。 ★旧約聖書 エレミヤ書 42:6 私たちは良くても悪くても、あなたを遣わされた私たちの神、主の御声に聞き従います。 私たちが私たちの神、主の御声に聞き従ってしあわせを得るためです。」 |
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