めんどり通信/2009年6月21日。主が復活された記念すべき日曜日で す! ハレルヤ!<主イエス・キリストを愛する> |
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★新約聖書 テモテの第二の手紙 2:8 私の福音に言うとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キ リストを、いつも思っていなさい。 ★新約聖書 コロサイ人への手紙 3:23 何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。 ●キリスト教会やクリスチャンが「神を愛する」「主を愛している」とよく言うのを聞く。 「誰かを 愛する」とは、「その人に対して、自分を投げ打ち犠牲にしてでも、何かをしたくなるような、堪 えられない感情。 その人の望むことをしようとすること。」であると言えるかもしれない。 聖書からすると神が我々に望まれていることは、「従うこと」「みことばを行うこと」「へりくだるこ と」「救われること」と様々ある。 一言で言うなら「神を愛すること」「キリストを愛すること」であ ろう。 そして、キリストを本当に愛しているならば、主に従って行くし、みことばを行うし、主の 御前にもへりくだる、主イエス・キリストの救いを心底、受け入れ悟る。 イエスの時代、パリサイ人や律法学者たちは神の戒めを徹底的に守っていた。 しかし その 彼らに対してイエスは「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいであ る。」と言われた。 律法を守ることを、主イエスは否定しておられない。 しかしもっと大切なこ とは、律法を表面的に守ることより、その心、律法の精神はどうかということである。 誓いについても、その動作の対象云々を問題にする彼らに対して、誓いそのものの神聖さを、 主は述べられている。(マタイ5章) また当時、守らなければならない安息日に病人をいやした イエスは律法学者たちから非難された。 神が定められた安息日は、神がすべてのものを創 造されたことを覚え、記念する日であり(出エジプト記20章)、自分たちの救いを覚える日(申命 記5:12,15)である。 彼らパリサイ人や律法学者たちは、日時だけを守る、形だけの安息日 になっていたようである。 今日、クリスチャンも聖書の原則とはいえ、全くすべて形だけになっているとまで言わないが、 表面的に形だけ守り行うということがあり得る。 たとえば、日曜日は安息日だから、日曜礼拝 には何が何でも出席する、クリスチャンだから教会の奉仕を嫌がってはいけない、率先して自 発的にすることが御心だからそうすべき、クリスチャンはどこかの教会へ所属、または通って いなければならないとか・・・。 確かにその通りであるが、クリスチャンになれば皆が一様にその通りにすべきというのは考え どころであると思われる。 いずれ そのようになるとは思うが、そこまで達するには一人ひとり に応じて聖霊の導きがあると思われる。 たとえそのような形にならなくとも 大事なことは ま ず、一人ひとりがキリストとしっかり結びつくことであり、一人ひとりが主から愛されていることを 真に知るべきである。 また そこまで達っしていなければクリスチャンとして成長していないと は言えない。 主を愛するというとき、神から愛されている、生きておられるキリストから愛されているとわかる 者が、本当に主を愛することができるのではないだろうか。 主を愛するようになってきたら、 主の望まれる者、主に喜ばれる者になりたいと思うようになるものではないだろうか。 そうし たとき、主の御前にへりくだるということを意識しはじめるものかもしれない。 「私は主を愛しているから高ぶっていない」「私は神の御声を聞いて、示された働きをこなして いるから大丈夫」「私は主に祈り聖霊に導かれているから間違いはない」「私は試練にあい続 けているから傲慢になれない」などと自信を持つことは、主の御前にへりくだるどころか無意識 に高ぶっていることになる可能性がある。 主を愛する者は、主を愛しているからこそ、絶えず主の御顔を気にする。 今、自分は主に喜 ばれることをしているだろうか、主に喜ばれない思いはないだろうか、・・・などと自分の行いは もとより、心の思いに気をつける。 そして、外面の何物にもとらわれず、人の内面の真実を見 抜く力を持たれた主に喜ばれる者となりたいと神の御前に日々、へりくだろうと祈る。 主を愛するとは、主に従うことであり、主の御前にへりくだることであり、主のことばを主の望 まれる心で聖霊の導きによって守り行うことである。 主イエス・キリストから目を離さず、絶えず主に尋ね祈ること、どんなことでも絶えず祈り、神の ことばと信じて聖書を読み、主に喜ばれる者にしていただき、主を愛してきたいものである。 ★新約聖書 マタイによる福音書 37,38 そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神 である主を愛せよ。』 これがたいせつな第一の戒めです。 ★新約聖書 ヨハネによる福音書 14:23 イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そ うすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とと もに住みます。 |
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