めんどり聖書研究会


めんどり通信/2009年5月31日。主が復活された記念すべき日曜日で
す! ハレルヤ!
<見切り発進は神の定められた道からずれる危険性がある>


★旧約聖書 イザヤ書 66:2
       これらすべては、わたしの手が造ったもの、これらすべてはわたしのものだ。・・主の御告
      げ。・・わたしが目を留める者は、へりくだって心砕かれ、わたしのことばにおののく者だ。

★旧約聖書  詩篇 33:4
       まことに、主のことばは正しく、そのわざはことごとく真実である。

●聖書に二人のサウルが登場してくる。 旧約聖書のサウル王、新約聖書のサウロ(サウル)
である。 共にベニヤミン族出身である。 "サウル"という名は迫害者の名である。 旧約時代
のサウルは、神から王の任命を受けたダビデをねたんで、執拗に命を狙った。  そのサウル
は、本来、祭司がすべき全焼のいけにえや和解のいけにえをささげた。(Tサムエル記13章) 
いかなる理由があろうとも王であったとしても 自分勝手にささげものをすることは神のみここ
ろに反していた。 
 
このとき イスラエルの敵ペリシテ人は、最新の武器も人数も多く、サウルの兵士は3千人で、
兵はサウルのもとから散り始めていた。 祭司サムエルが約束の7日間に遅れたという事実も
ある。 しかし状況が悪くなったから、仕方がなかったから、神は御心を変えてくださるだろう、
許してくださるだろう、大丈夫だろう・・・という見切り発進的な行動に、やはり神は否とされた。  

またイスラエルの敵アマレクとの戦いにおいて”聖絶せよ”と言われたことに対して、サウルは
主に、いけにえをささげるために、聖絶すべき物の中で良い物、価値のある物は残した。(T
サムエル記15章)
 やはり神は御心を変えてくださるだろう、許してくださるだろう、大丈夫だろ
う・・・という見切り発進的な思いがあったのではないだろうか。 このときから神はサウルを王
位から退けられた。 

新約聖書に登場してくるサウロ(サウル)は、主の道に従う者を迫害していた。 しかし主の不
思議な呼びかけによりダマスコの近くで突然回心し、使徒パウロとなった。 パウロは使途行
やパウロ書簡を見ると神に従順である。 神のことばや明確な示しがあるときには、そのこ
とばの通り、示しの通り行動するが、神のことばがない時や示しがはっきりしない時は、自ら
の考えでは行動しなかったように見受けられる。 

二人のサウルの明らかな違いは、神のことばを恐れ、神を恐れているかどうかである。 神を
恐れかしこんで、キリストを恐れ尊んでいるからこそ、従順でありへりくだっているのである。 
そして、神のことばに付け加えたり減らしたりせず、語られた神のことばや示しを理解し受け取
るにおいて、自分の解釈や推測、希望を混入させず、主の御心がわからないとき、はっきりし
ないときには、聖霊により確実に教えてくださるまで祈り待つ、この姿勢をパウロからは感じら
れる。 

日々の生活の中で、様々なことについて祈るとき、すぐさま祈りの答えをいただく時もあれば、
時間のかかる時もある。 日々の生活の細々したことについては、祈って祈って、御心がはっ
きりしないまま行動に移さねばならないことが結構、多いと思われる。 そのようなとき、多くの
場合、主はその祈りを聞いてくださっておられ、主の御心でないことをしているときには、その
人にわかるように教えてくださる。 道を間違えていたならば軌道修正をすぐさまして下さる。 

しかし、内容によっては、道を間違っていてもなかなか気づかない場合もある。 特に主の働き
に関することは、神の御心が確実にわからないまま、神が導いてくださるだろう、大丈夫だろう
と予測して見切り発進をすることは、神の定められた道、御心からずれるという危険性があ
る。 また、ずれていることがわかりづらいという危険性もある。 

神のことばや主の示し、主の語りかけを確実にいただくということは、主が喜ばれる働きをして
いこうとするときには、重要なことであると思われる。 そのためには、神の御前にへりくだって
いることが大切である。 神の御前にへりくだっていると、どのような出来事に遭遇しても一喜
一憂せず、現状がどうであれ、信仰をもって神のことばを正しく握ることができる。 

そうすると それまで見えなかったことが見えてくるようになる。 そして、主への愛がますます
深くなってくるものである。 主は仰せられた。 「 わたしを愛する者を、わたしは愛する。(箴
言8:17 )」
と。 主を真に愛して、ますます主に愛されて恵みの深みから深みへと導かれ、確実
に天の御国への道を確かなものとしていきたいものである。 

今週も、主イエス・キリストから目を離さず、絶えず主の御前にへりくだって、主を愛し、絶えず
祈ること、神のことばと信じて時間をかけて聖書を読むことをしていきたいものである。 

★旧約聖書 詩篇 33:11
       主のはかりごとはとこしえに立ち、御心の計画は代々に至る。

★旧約聖書  詩篇 25:12
        主を恐れる人は、だれか。主はその人に選ぶべき道を教えられる。



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