めんどり聖書研究会


めんどり通信/2009年5月17日。主が復活された記念すべき日曜日で
す! ハレルヤ!
<主が語られたことばは、神ご自身が神の基準と神の方法で成就する>


★旧約聖書 イザヤ書 14:24
       万軍の主は誓って仰せられた。「必ず、わたしの考えたとおりに事は成り、わたしの計っ
        たとおりに成就する。

★新約聖書 ローマ人への手紙 4:21
        神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。

●聖書中に極めて多く現れる「神は言われた」「主は語られた」ということばを、神ご自身が成
就されている事実を聖書の中で見ることができる。 そして、それはその時だけで終わったも
のではなく、現代に至るまで、聖書を開きそのことばを受け入れたどの時代の者たちの上にも
成就されるものである。

アブラハムの場合、年老いても子がなく、妻サラも不妊の女であり、すでにその年を過ぎた身
であった。 しかし、神はアブラハムに「あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し
加えよう。創世 12:2、17:4)」「あなたは多くの国民の父となる。(創世記22:17)」
と仰せられた。

アブラハムは最初、このことばの意味を理解できなかったと思われる。 生理的にも常識的に
も考えられないことであったからだ。 それでサラの提案、サラの女奴隷ハガルによって子を
持つ、ということを受け入れた。

しかし、神のことばは、神ご自身が成就される。 神のことばが成就されるのに、人が手助け、
協力するものではなく、”子を産める者から子を持ち、子孫を増やしていく”というような人間的
なものに引き下げてはならない。 

人間的に考えれば、サラには医学的にも生理的にも無理だし、アブラハムの子であればよい
のだから、若い女奴隷ハガルによって子をもうけても、その子は”アブラハムの子”と思える。 
その上、神ご自身もアブラハムに「あなた自身から生まれ出て来る者が、あなたの跡を継がな
ければならない。(創世記15:4 )」
と言われたのである。

しかし、ハガルによってもうけた子イシュマエルは、神が語られたことばの真意の中にはなかっ
た。 神のことばは、最初から最後まですべて、語られた神ご自身が、神の御力で、神のご計
画の中で、神の御心のままに成就される。 神のことばの真意は、神のみがご存知である。

アブラハムは99歳の時、割礼、肉を切り取り、神と「契約」を結んだ。 割礼の本当の意味合い
は、人の体に関することがらということではなく、パウロがロ-マ書2:29で言っている「心の割
礼」
のことを聖書は我々に語っている。 

アブラハムが割礼を受けた後、百歳のアブラハムと90歳のサラの間に約束の子イサクが産ま
れた。 そしてイサクがヤコブを産み、ヤコブは後に12部族となった子たちを産んだ。 約束ど
おり祝福の基となった。(創世記12:2) 神のことば通り、神にできないことはない。 聖書の神
「死人を生かし、無から有を呼び出される神」であられる。(ローマ4:17) 「神にとって不可能
なことは一つも」
ない。(ルカ1:37 )  イエスは言われた。「人にはできないことが、神にはでき
るのです。」 (ルカ18:27) 

我々は 神のことばは、神ご自身が神の基準、神の方法で成就されるということをよく肝に銘じ
ておかなければならない。 そして、神がことばを語られたとき、人間的な受け取り方をせず、
ただ聖霊の導きによって神がどのように成就されるかを遜って見ておくことが大切である。 

イエスは「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つ のことばによる。(マタ
イ4:4)」
と言われた。 一人ひとり歩みの中で、主はその人に必要なことばを語られる。 また
約束のことばを語られる。 神の個人的な語りかけがある。 それはアブラハムや聖書に登場
してくる者たちだけではなく、現代の我々にも語ってくださる。 神は最善のものを我々に与え、
主のみこころを行なわせ、また、天に宝を積ませようとしておられるからである。 

主が語られたことばは、神が定められた時に必ず成就する。 我々はただ、主と主のことばに
信頼して神の時に、神が成就して下さるまで主に信頼し祈り求め続けたらよいのである。 

我々は、主に祈って、主のことばを聞くことが大切である。 神は本当に主に従っていこうとす
る者、神に仕えようとする者に語ってくださる。 神のことばを与えてくださる。 日々、祈ってき
ちんと正しく聞くことができるようにしていただきたいものである。 人の思いこみや願望ではな
く、本当に神のことばを受け取ることができるまで、祈り求めていきたいものである。

一人ひとりが真にキリストを信じて、神のことばをいただき、「神のことばが私の上に神が成就
された」と証しできるようになりたいものである。 絶えず、祈って祈って、主の語りかけに(霊
の)耳をすまし、主のことばに従う道を進んでいきたいものである。

そのため、主イエス・キリストから目を離さず、絶えず主に尋ねること、絶えず祈ること、神のこ
とばと信じて時間をかけて聖書を読むことをしていきたいものである。

★新約聖書   ルカによる福音書     1:20
        ・・・・・私のことばは、その時が来れば実現します。

★旧約聖書 ヨブ記 42:2
       あなたには、すべてができること、あなたは、どんな計画も成し遂げられることを、私は知
       りました。



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