めんどり聖書研究会


めんどり通信/2009年4月19日。主が復活された記念すべき日曜日で
す! ハレルヤ!
<古い皮袋、古いぶどう酒と新しい皮袋、新しいぶどう酒>



★新約聖書 ルカによる福音書 5:37^39
    また、だれも新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれ      
    ば、新しいぶどう酒は皮袋を張り裂き、ぶどう酒は流れ出て、皮袋もだめになってしまい
        ます。  新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れなければなりません。  また、だれでも古い
        ぶどう酒を飲んでから、新しい物を望みはしません。『古い物は良い。』と言うのです。」

★新約聖書 マタイによる福音書 18:20
       ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからで
       す。」

●約2千年前、イエス・キリストはご自身をいけにえとして罪を取り除くために来られた。 ま
ず、ご自分の国に来られたのに、ご自分の民(ユダヤ人)は、主を受け入れなかった。 それど
ころか主を十字架につけてしまった。

神の民として最初に選ばれたアブラハムからキリストまで約2千年続くユダヤ人の歴史。 モー
セの十戒や旧約聖書のことばが与えられたユダヤ人たちは、神に従っていくうちに罪を犯して
は神のところに立ち戻ってということを繰り返してきた。

福音書の中で律法学者たちやパリサイ人たちが、イエスの言われることに意義をとなえている
場面が幾つか見られる。 主イエスの言われること、すなわち方法、仕方が自分たちが守って
きたこと、行ってきたこと、神の前の常識とは異なると批判していた。

律法学者たちやパリサイ人たちの主張することは、完全に間違っているとも、聖書から全くか
け離れているとも言えないようである。 そのように見るならば、同じ聖書の神のことばを読む
神の民の解釈がみな一致するとは限らないようである。 神の民としてとるべき言動が衝突す
るということは有り得るようである。 

古い皮袋、古いぶどう酒、新しい皮袋、新しいぶどう酒のたとえからみると古いものと新しいも
のとは無理に一致させようとしてもできないというこであろう。 皮袋が教会、神の民の集まりと
考えられるなら、ユダヤ教の体制も、当時、古い皮袋といえる。 その反対に新しい皮袋は、イ
エスを真に信じ、活き活きしているクリスチャンが集まる新しい教会と言えよう。

イエスは律法や預言者を廃棄するためにではなく、成就するために来られた。(マタイ5:17) 
そして「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。(マタイ16:18)」と言われ、ペンテコス
テの日、新しいぶどう酒が下り新しい皮袋、教会が誕生した。(使徒2:12、13 ) 神の民の新し
い集まりである。 旧約の最後に起きたことは新約の最後に起こると思われる。 終末に入っ
たかと思われる現代、新しいことが起こり始めているかもしれない。

ペンテコステの日から教会も約2千年という年が経過した。 旧約の時代の最後に起きたこと
が我々の目に見え始めてきた。 背教的なムーブメントや教えはもうすでに現われている。 
ローマ法王の進化論肯定、カトリックの地獄はないという主張、福音を信じないまま死んだ人
にも死後、悔い改めるなら、救われる機会があるというセカンドチャンス、完全な悔い改めをで
きなかった人の救済の道であるとする煉獄思想・・・。 これらは明らかにキリスト教の根幹を
変えようとしている。

「だれでも古いぶどう酒を飲んでから、新しい物を望みはしません。」と主が言われたとおり、古
いぶどう酒を飲む人は新しいぶどう酒を飲まないつまり古い体制にこだわる人は、新しい体制
や新しい教え、新しい方法を受け入れないということと思われる。

ペンテコステの日も、新しい皮袋、新しいぶどう酒を、古いぶどう酒を飲んでいたユダヤ人たち
は受け入れなかった。 たとえ、目の前で力ある、しるしが行われても頑固なまでに拒否した。 
そして『古い物は良い。』と自分たちが正しいと思い込んでいた。

我々、終末に生きているクリスチャンも旧約の神の民が惑わされたような危険性がある。 終
わりのときは、悪霊どもが大暴れすることの許しを神から得ている。 大きく引っ掛けられなくと
も微妙に引っ掛けられるということもあり得る。 そして、そこから軌道が外れていく危険性は
大いにある。 用心するにこしたことはない。

主が新しいぶどう酒を下し、どのような新しい皮袋、新しい教会、集まり、新しい方法を行われ
るかはわからないが、主のか細い御声を聞き取っていきたいものである。 主は、主につき
従って行こうとする者、主の喜ばれる者になりたいと切に願い、聖霊に従っていこうとする者を
主が様々な環境、状況を用いて訓練してくださる。 そうして正しい霊の見方、霊的感覚が身
についていく。 

著者もクリスチャンになって25年以上になった。 教会生活の中で知らず知らず、古いぶどう
酒を飲んだがために、ともすれば古い体制が気づかないうちに染み付いているかもしれない。 
新しいぶどう酒(真理、奥義)を真剣に求めていきたいものである。 新しいぶどう酒を飲めば
飲むほど、その古きシミは消えていくだろう。 

そして、主ご自身が自ら建てられる教会(新しい皮袋)の中に組み込まれ、主の御声を聞き、
聖霊の導きに従っていきたいものである。 今週も、主イエス・キリストから目を離さず、絶え
ず主に尋ねること、絶えず祈ること、神のことばと信じて時間をかけて聖書を読むことをして
いきたいものである。 

★新約聖書 マタイによる福音書 16:18
       ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教  
       会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません

★新約聖書 ヘブル人への手紙 13:8
       イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変ることがない。


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