めんどり聖書研究会


めんどり通信/2008年11月23日。主が復活された記念すべき日曜日で
す! ハレルヤ!
<キリストを信じる者は失望に終ることはない!>



★新約聖書  ローマ人への手紙 10:11
   聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」

●人生ただ無計画に行き当たりばったりで、その場しのぎの動物のような生き方よりは、人生
設計(人生計画)をして生きる方が知恵が与えられている人間の賢明な生き方であるとは、多
くの人が認めるところであろう。 

最終目的を設定して、それまでの幾つかの目標点を定めて日々を暮らしていくということを案
外、人は自然に行っているのかもしれない。 多くの人が大なり小なり、入学、進学、就職、結
婚、出産、老後の生活などのために程度の差こそあれ備えをする。 また正月、ゴールデン
ウィーク、3年先、10年先とか何かの行事や予定事などを意識して暮らしていく。 そういう一つ
一つのことが、おおげさに言えば人生の節目となり、次の目標地に向かってスタートということ
を繰り返しているようにも思える。

ただ、多くの人の最終目的地がこの世であって「永遠」ではないことがほとんどだ。 臨終が最
終目的地であったり、もう少し手前だったりと結局、この世が最終目的地となっている。 しか
し、聖書は、人はこの肉体が朽ちたときが最後ではないこと、臨終の後に永遠が続くこと、永
遠には天国と地獄があることをはっきり語っている。  

クリスチャンは聖書が語る永遠の天の御国(天国)を最終目的地としている。 そこに到達する
においてこの地で旅人として生きていくが、ある意味クリスチャンは競技者でもある。 クリス
チャンになったすべての者が確実に永遠の命を得られるとは限らないからである。 パウロも
「競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っている
でしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。(1コリント9:24)」
と言って
いる。 この賞とは朽ちない冠、いのちの冠、つまり「永遠の命」である。

クリスチャンが最終目的地、天の御国に着くまでのこの世の旅路には、幾つもの途中経過の
目的地がある。 そこへ行こうと聖霊の導きに従って行けば行くほど向かい風が吹く。 悪霊の
妨げがある。 ヨハネの福音書6章を見ればそのことがよくわかる。 

ある日の夕方、弟子たちだけで舟で湖を渡っていた。 マタイやマルコの福音書には「イエスは
弟子たちを強いて舟に乗り込ませた」
とある。 弟子たちは強い向かい風のため漕ぎあぐねて
いた。 そして暗い湖の上を歩く主をを見て、幽霊だとおびえ恐ろしさのあまり叫び出した。 そ
んな弟子たちにイエスは「わたしだ。恐れることはない。」と声をかけられた。 彼らは喜んでイ
エスを舟に迎えると、舟はあっという間に目的地に着いた、と書いている。 

聖書の訳によっては「舟はほどなく目的の地に着いた。(新改訳)」「舟は、すぐ、彼らが行こう
としていた地に着いた。(口語訳)」「間もなく、舟は目指す地に着いた。(新共同訳)」
とあるが、
原語ではあっという間に目的の地に着いた」となっている。

 クリスチャンが聖霊の導きによって進もうとすると、必ず、悪霊という妨げの向かい風が吹
く。 しかし、イエスが舟に乗り込んでくださったならば、どのような妨げがあろうとも目的地に
あっという間に着くのである。 日々主に祈り求めている者と共に主はいてくださる。

しかし、一つの途中経過の目的地に着くまで、あえて少しの間ではあるが、距離を置いて見守
られるということもある。 そして、祈りと叫びの6つの水がめが満杯になったとき(ヨハネ福2章
カナの婚姻の箇所)、もしくは祈りという水が水がめからあふれてこぼれ出したとき、イエスは
舟に乗り込まれると思われる。 すると、あっという間に目的地に着くのである。 つまり、あっ
という間に目的の事柄、みことばが成就するのである。 奇跡が起こるのである。

もし、水がめの水があふれ出しているのにまだ目的地に着いていないなら、主が舟に乗り込ま
れる一番良いときを見据えておられると思われる。 しかし、決して遅くなることはない。 その
時はあっという間に来るであろう。

一つの途中経過の目的地に着くまでの悪霊の妨げや試練は、いうなれば我々を真のクリス
チャン、神の喜ばれる、神が用いることのできるクリスチャンとして鍛え上げるための神の道
具ともなっていると思われる。 「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のように
ふるいにかけることを願って聞き届けられました。 しかし、わたしは、あなたの信仰がなくなら
ないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけて
やりなさい。(ルカ 22:31,32)」
とイエスはシモン・ペテロに言われたが、このことばはどんなこ
とがあっても主に従っていこうと志すクリスチャンにも言われているのである。

確かに悪霊の妨げも苦難、困難など「すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、
むしろ悲しいものと思われ(口語訳ヘブル12:11)」
、長く感じるものであるが、しかしこれらは
「あっという間に」主が解決してくださり、目的地に到着させてくださるものである。 主に従い続
けているクリスチャンには「あっという間に」と感じることができる日が必ずある。 そういうこと
を繰り返して最終目的地、天の御国に確実に着く。 

「人生過ぎ去ってみれば、あっという間だった」ということばは巷(ちまた)でもよく聞かれる。 
その通りである。 聖書にも「人のいのちの、いかに短<short>」とか「私たちの齢は七十年。
健やかであっても八十年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。それは早く過
ぎ去り、私たちも飛び去るのです。(詩篇 90:10 ) 」
とある。

とにかく、主はみこころを求めてくる者を見捨てることはない。 主は忍耐をもってたゆみなく祈
り続けている者の切なる願いを聞かれ、祈りを受け入れられる。(詩篇6:9)  「主に信頼する
者は、決して失望させられることがない。(Tペテロ2:6)」 「まことをもって主を呼び求める者す
べてに主は近くあられる。(詩篇 145:18)」

今週も、祈りつつ旅人として、天の御国を目指して主に従って歩んでいきたいものである。 そ
のためにも日々、祈りつつ聖書を読み、祈りに祈って聖霊に導いていただきたいものである。

★旧約聖書 詩篇 18:6
       私は苦しみの中に主を呼び求め、助けを求めてわが神に叫んだ。主はその宮で私の声
       を聞かれ、御前に助けを求めた私の叫びは、御耳に届いた。



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